戸の先へ
「なあ、本題にいく前にひとつ聞いていいか」
話が途切れたところで、卯槌さんが口を開いた。
「たしかに政府はかなり前から準備を始めていた。それは俺たちも分かっている。しかし、80年前という具体的な数字が話に出て来たことはない。なぜ80年前だと?」
私は卯槌さんの質問を反芻した。
もうすでに葉月さんは、政府が80年前に現世の政治について知って、それを機に動き始めたのだと説明している。
卯槌さんが聞き逃したのかとも思ったが、彼の表情には戸惑いが見られなかった。
つまりこの質問は、ビジネスの場でいうところの「エビデンスを示せ」というやつだろう。
正しく質問の意味を受け取った葉月さんが、少しだけ表情を改めて答えた。
「神力の量が多い妖の存在は、昔はそこまで問題視されていませんでした。多少は気味悪がられたり差別されたりしたかもしれませんが、あからさまに忌み嫌われるようになったのが約80年前からなのです」
葉月さんは言葉を馴染ませるように一度口を閉じ、一呼吸おいて続けた。
「政府は現世の政治体制の変化にともなって神力の量に規定を設け、それを超える者に呪印や呪具を渡すなど、国民の神力量を制御し始めました。さらに規定を大きく上回る赤子が誕生した場合、その者は『偽神』という烙印を押され、国の正式な措置として殺されました。このことはおふたりともご存知ですね?」
私は無言でうなずいた。
辺りの空気がいっそう重くなるのを感じる。
生まれて間もない赤子を殺すというのは、いつ聞いても不快な話だ。
「しかし、このように国民の安全のためと言いながら、彼らは依代になり得る妖を選別していたのです。けれど、なかなか条件に合うものが居らず、計画は長期に渡りました」
淡々と話す葉月さんの横で不機嫌まる出しのまま聞いていた私は、ふと疑問に思って葉月さんを見上げた。
「あの、葉月さん。計画を企てた政府というのは、今の大臣と同じひとたちですか? もしそうなら、だいぶ大臣たちはお年寄りってことになっちゃいますけど」
大臣のひとりである天音は、80年以上生きているにしては随分と若くみえた。
せいぜい4,50代といったところだろう。
もしかして2世代にわたって計画されていたことなのかもしれない。
そう思って尋ねると、予想外の質問だったようで、葉月さんは一瞬キョトンとした。
「……あぁ、そうか。すみません。つい常世だけの常識だということを忘れてしまって、説明していませんでしたね。実は大臣3名は、ああ見えて200歳を超えています。3名とも長寿の種族で、それこそが彼らの大臣たる所以なのです」
「に、200歳……」
唖然として呟く私の横で、葉月さんが複雑な表情を浮かべつつ目を伏せた。
向かい側に座る卯槌さんもつまらなさそうな顔をしている。
やはり高天原で生活している者として思うところがあるらしい。
そしてそれは、私にも理解できる感情だった。
(同じ人がずっとトップに立つのは、やっぱり怖いものがあるよね。自分の保身のために一生懸命になって、私たちの話を聞いてくれないんじゃないかって、不安に思うひとだっているはず)
私は何かのリーダーになったことがない。
学校のような小さな世界であっても、上に立つなんて考えてもいなかった。
そういう私のような見上げる立場のひとにもたくさんの願いがある。
そのひとつは矢張り、自分にとっての居心地の良い居場所の確保だろう。
だから私たちは為政者に国を良くしてくれと願う。
一方の為政者も私たちと同じようにひとの心を持っていて、そして彼らもまた願いがあるはずだ。
大臣らにとっての願いもきっと、自分にとってより居心地のいい場所にしたいということなのだろう。
言葉にしてみれば何の変哲もない、ただのひとの性だ。
けれど、似たような願いでありながら、国民と大臣らは同じ方向を向いていなかった。
それは一重に、「居心地のいい場所」の定義が違うからだろう。
「しかし200年。そんなに長い時間を生きているのなら、もう充分じゃないのか。なぜ満足しない」
卯槌さんが嘲笑のこもった投げやりな口調で言った。
同じことを考えたのちに不謹慎だと飲み込んだ私としては苦笑するしかない。
そんな中、壮絶な人生を送ってきた葉月さんが躊躇いがちに口を開いた。
「生きている限り、真に満足することなどないのではないでしょうか。ほんの一時満たされた気になっても、またすぐに欲が出てくる。それをあさましいと思うと同時に、どこかで仕方のないことだとも思うのです。だって生きているのですから。まだ終わりを迎えていない人生を、どうして降りる事ができましょう」
それは大臣らの行いに対する共感だった。
仕事や地位を「人生」と表現したのは、葉月さんがワーカホリックであるからだろう。
仕事を失くすことと命を落とすことをイコールで結ぶ思考が、まさしく仕事中毒者のそれである。
しかし人生に置き換えて考えてみると、私にも共感できるような気がした。
(そりゃ、やっぱり自分が1番大切だよね。国を良くすることよりも、自分の環境を良くする方が大事って気持ちは分からなくもない、かな。でも……)
まだ続きがあると分かっているので、私は口を挟まずにただ傾聴した。
案の定、葉月さんは「けれど」と戒めた。
「気持ちが分かるからといって、彼らの行いを許すことはできません。彼らは本来ならば国のために使うべき力を己の私利私欲のために使った。そして最後は、自分たちの失態を隠蔽するためにすべての門を開け、世界を崩壊に向かわせた」
あまりにも身勝手な行いの数々に怒りが込み上げてくる。
それはこの場にいる誰もが感じている気持ちだった。
「自分たちのためだからと、そんな勝手な理由でひとびとの命を犠牲にして良いわけがない」
強い口調で言い切った葉月さんが、おもむろに居住まいを正した。
「ですから卯槌さん。わたくし、葉月は、弟子の結奈とともに、ビールの泡が消えゆく前に、すべてを終わらせることをここに誓います」
「……なんて?」
つい。唐突に誓いを立て始めた葉月さんに驚いて、間抜けな声が漏れてしまった。
いや、誓いの言葉に変なフレーズが挟まっていたことに驚いた、という方が正しいかもしれない。
あんまりにも驚いたものだから、おそらく今の私は「開いた口が塞がらない」を体現したような顔をしているだろう。
そんな私の反応を見て盛大に吹き出す葉月さんの真正面で、卯槌さんが冷静に口を開いた。
「ここを開ける際の合言葉みたいなものだ」
「合言葉? ど、どういうことですか?」
ギョッとして再び尋ねると、なんとか落ち着いた葉月さんが笑い混じりに答えた。
「姿というのは変化の術でいくらでも変えられますからね。こういう有事の際に使われる、レオドール様じきじきにお作りになられた合言葉です。先ほどアーロンさんの封印を解いた時、術の構造にその言葉が仕組まれていたのです」
「えっ、それって『わたくし、葉月は』のところからですか?」
そんな長文が隠されていたとは思えないが。
そう疑問に思う私に、葉月さんが頭を振った。
「ああ、いえ。そのあたりは定型文です。仕組まれていたのは『ビールの泡が消えゆく前に」です」
「やっぱり!」
ビールが相当お気に召したようだ。
気に入ってもらえたようで何より。
(でも釈然としないなぁ。一滴くらいは舐めたことあるけど、あんな苦いの飲めたもんじゃないよ。本当に美味しいのかな)
そう思いながらも、私は少し反省する。
さすがに一国の王への献上品にしてはケチりすぎたと。
次からは箱ごと買ってくるべきだろう。
そんなこんなで一通り状況を整理できた私たちは、ようやく席を立った。
ぞろぞろと連れ立ってガラス戸の前に移動する。
卯槌さんがお札をかざし、カラリと子気味良い音とともに戸を開く。
その瞬間、暖かな風が吹き込んだ。
乾いた土の匂いと甘い花の香りが鼻腔をくすぐり、小鳥のさえずりが鼓膜を揺らす。
しばらく無言で立ち尽くしていた私たちだったが、卯槌さんがこちらを振り返ったことで我に返った。
「行ってくれ。俺は見張ることしか出来なかった。あの方にも恩があるのに。ここから先は、あなたにしかできない事だ。あの方をよろしく頼みます」
そう言って深々と頭を下げる卯槌さんに、葉月さんは大きくうなずいた。
「任せてください。それから、ここを守り抜いてくださってありがとうございました。あなたは世界の救世主です。胸を張ってください」
その言葉を聞いて、卯槌さんは勢いよく顔を上げて葉月さんを見た。
目を丸くして驚いた彼は、少し目を泳がしてから、困ったように小さく笑った。
「それはあなたたちも同じです。胸を張ってください」
私と葉月さんは顔を見合せ、笑い合い、そして一歩踏み出した。
いよいよ旅の終着点だ。
わあああ! 今見てみたら、もしかしてポイントが増えている!?
評価をしてくださった方、本当にありがとうございます!
続きを書くための糧とし、このまま最後まで書ききろうと思います!




