記憶と現実
一歩、また一歩と踏み出すたび、足元でグググと雪の潰れる音がする。
あまり雪の積もらないところで育った私としては、こんな状況でなければ雪遊びに興じていたところだ。
それにしても寒すぎる。
白い息を吐きながら、私は体を震わせた。
もう随分と長い距離を進んだが、私たちは未だに山の中を歩いていた。
念のためにと着込んできた厚手のコートが、纏わりついてくる雪のせいで重たい。
分厚い雪で覆われた歩きにくい地面と相まって、体力を容赦なく奪ってくる。
(葉月さん、大丈夫かな)
黄泉比良坂から出た瞬間、葉月さんが顔を強張らせたのを私は見逃さなかった。おそらく呪印が発動したのだろう。
神力は妖のエネルギー源だ。
消費すれば疲れるし、無くなれば死に至る。
呪印によって神力を奪われ続けている彼に、あまり余計な体力を使わせたくない。
「あの、葉月さん!」
ビュービューとうるさい風音に負けぬよう、私は声を張り上げた。
わずかに深緑の光をにじませた狐耳が、ピクリと反応する。
こちらを振りむいた葉月さんに、私は顔を寄せて尋ねた。
「私たち、一体どこに向かっているんですか?」
視界が悪い中、迷いなく歩き続ける葉月さんが不思議でしょうがない。
彼には目印になるものでも見えているのだろうか。
しかし、葉月さんは少し考えて、事もなげにこう言った。
「わかりません。おそらく月夜町の家だと思うのですが」
──帰巣本能っ!!
喉まで出かかった言葉を飲み込んだ自分を褒めてあげたい。
自信満々に歩く葉月さんを見て、私は「よく迷わないなぁ」と安心しきっていた。それなのに……。
(いや、でも狐ってイヌ科だしね!帰巣本能の一つや二つあるよね!)
納得することにした。
それにしても、と私は雪の渦巻く空を見上げた。
記憶の中にある常世の空とは、だいぶ変わってしまった。
まるで綿を敷き詰めたような、そんな分厚い雲に覆われた夜空に、またたく星や美しい月などどこにもない。
それだけ世界の崩壊が進んでいるということだ。
(まだ町の様子は見ていないけど、レオドール様の手紙からして、かなり変わっちゃったんだろうな……)
好きな世界観だったこともあり、とても悲しくなる。
鬱々とした気持ちを抱えていると、ふと葉月さんの歩みが止まった。
「着きましたよ」
降りしきる雪の合間から見えたのは、あの様々な仕掛けの施された家だった。
「わっ、懐かしい!」
ほんの数カ月前まで住んでいたというのに、一気に私はノスタルジックな心地になる。
ほんの数カ月というには、あまりにも色々ありすぎたのだ。
葉月さんも同じように感じていたらしく、嬉しそうに目を細めている。
元から調子の悪いドアを押し開いて、私たちは足を止める。
「地震で壊れていないか心配だったのですが、どうやら杞憂だったみたいです。中は……あぁ、だいぶ悲惨ですね」
葉月さんとは違って夜目の効かない私は、部屋の明かりをつけてギョッとした。
食器棚や襖が倒れ、割れたお皿の破片が散乱している。
「ひどい……」
「結奈さん、危ないですから土足で上がりましょうか」
そして頭を抱える私の横で、冷静な反応をする葉月さん。
関係ないと突っ込まれそうだが、さすが師匠だ。
とりあえず、私たちはそれぞれの部屋に荷物を置き、地下室に向かった。
もちろん寝室もひどい有様だった。
それなのに家屋が無事だったのは、一重に葉月さんの施していた術が優秀だからだろう。
「さて、手早く出発の準備をしましょう。現世とは違って、薬局がどこにでもあるとは限りませんからね。もしものときの事を考えて、使えそうな薬草や道具を選別します」
「はい、師匠!」
こうして私たちは散らばった薬草や、薬箪笥の中にあった散薬などをかき集め、使えそうなものを探し始めた。
「うわ、意外とたくさん……」
隅々まで探すと、床一面に広げられるほどの量を見つけることができた。
しかし、葉月さんは集まったものを見渡して、残念そうに首を横に振った。
「ほとんどの薬草が駄目になっています。乾燥させてあったので大丈夫だとばかり思っていましたが……」
「雨や雪で湿度が高くなっていますから、そのせいですかね。現世だと、梅雨の時期になるとすぐに食べ物が悪くなっちゃうんです」
常世の基準で考えるにしては、今の気候は異常すぎる。
私たちは僅かな薬草だけを詰め込んで、道具選びに移った。
かさばりそうな薬研や丸薬の形成器は置いておくことにして、すり鉢とすりこぎ棒、それから小さめの湯たんぽを薬箱に入れていく。
いくつかの印籠も、薬を保存する容器として持っていくことにした。
(印籠……印籠といえば……)
「この紋所が目に入らぬか!」
「……ど、どうされました?」
決め台詞とともに葉月さんに印籠を突き出すと、ぎょっとされてしまった。
一度やってみたかったのだから仕方ない。
満足した私は、葉月とともに台所へ向かい、冷蔵保存してあった丸剤を印籠の中に入れた。
それから、薬箱の中から煙隠草と僗芳を見つけた。
どちらも【煙玉】の材料で、実験と称して採ったものの残りだ。
遊びで採取したというには多いそれを、私は風呂敷に包んで腕に抱える。
(武器になるか分からなけど、持っていて損は無いよね!)
そういう訳で、今日は徹夜で煙玉作りに励むことにした。
印籠やっと出せた!
なお、今後も活躍する模様( ᵕᴗᵕ )




