結果、眠れない
新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします( ᵕᴗᵕ )
寒空の下、複数の敵が迫ってくる。
荒々しい足音と、氷の矢が風を切る音。
闇夜にうごめく影がこちらに向かって手を伸ばす。
私は葉月さんに手を引かれて、森の中を必死に駆けていた。
隠れる暇もなく、呼吸すらままならない。
いつ届くか分からない敵の刃に怯え、逃げ場のない道のりに絶望する。
ふと、葉月さんの手が離れた。
驚いて顔を上げると、昼間見た壊れかけの五芒星の門が目に入った。
大きなヒビが四方に走り、扉の先に広がる闇からは、数え切れないほど多くの腕が生えている。
大量の腕で雁字搦めにされた葉月さんは、初めこそ抵抗していたものの、すぐに体の力を抜いた。
そして瞳に諦めの色を滲ませ、悲しそうな笑顔を私に向ける。
「結奈さん、逃げてください。私はもう――」
意識の浮上する感覚とともに、私は勢いよく飛び起きた。
やけにリアルな夢を見て、荒い呼吸を繰り返す。
汗で冷えたせいか、それとも恐怖のせいか、体が小刻みに震えている。
乱れた呼吸の中に嗚咽が漏れた。
(今の、夢、だよね……?)
バクバクとうるさい心臓に手を当てて、呆然と下を向く。
うつむいた拍子にポタポタと数滴の雫がこぼれ、布団にシミをつくった。
自分を落ち着かせるように目を閉じても、先程の情景が瞼の裏にこびりついていて不安は増す一方だ。
涙を拭うと、私は布団から這い出た。
そのまま錠前を外して襖を開けると、ひんやりとした空気が部屋の中に入ってくる。
私は両腕を抱くようにして廊下に出た。
ここは森の中で出会った老爺の家だ。
「大家族だったので部屋はたくさんあります。どうぞ、お好きな部屋をお使いください」
老爺はそう言って快く部屋を貸し、温かい夕食を出してくれた。
寝支度を整えて布団に入ったのがおよそ一時間前。
そのときは平気だったのに、今は一人でいることが恐ろしくて仕方ない。
後ろ手で襖を閉めると、ふと正面のガラス戸越しに情けない顔をした自分と目が合った。
シンとした縁側に不安が助長されて、振り払うように隣の部屋に向き直る。
薄い扉一枚。その先には葉月さんがいる。
名前を呼ぼうと口を開いた私は、しかし寸前で飲み込んだ。
(……何しているんだろ、私。こんな時間に来たら迷惑でしょ)
夢であることを確認したい。でも迷惑をかけるわけにはいかない。
そんな葛藤に板挟みされて、私は立ち尽くしたまま目を伏せる。そのとき。
「結奈さん?」
スっと襖が開いて、葉月さんが顔を出した。
起こしてしまったのかと罪悪感を抱きつつ、顔を上げる。
次の瞬間、見慣れた葉月さんの姿を目にし、止まっていたはずの涙が溢れてきた。
そんな私に驚くことも無く、葉月さんはそっと手を伸ばす。
「悪い夢でも見ましたか?」
子供に話しかけるような口調で尋ねつつ、涙を拭われる。
小さくうなずく私に、葉月さんは柔らかく微笑んだ。
「そうでしたか。結奈さんが心細くなるくらいですから、相当恐ろしい夢だったのでしょう。何か温かい飲み物でも入れましょうか。台所は勝手に使って良いとおっしゃっていましたし」
私は葉月さんの心遣いにありがたいと思いつつ、首を横に振って彼を見上げた。
「ぎゅってしてください」
そうお願いすると、ぎこちなくも優しく抱きしめられた。
すっぽり腕の中に収まって、ふわりと香ったのは、嗅ぎ慣れない石鹸の匂い。
香を焚く余裕がないのだろう。
檜の香りはもうしない。
それを寂しく思うと同時に、自分も同じ匂いを纏っているのだと気づいて少し嬉しくなる。
「落ち着きましたか?」
しばらくして、頭上から優しい声が降ってきた。
「……はい。すみません。葉月さん、休まないといけないのに」
「それは結奈さんも同じですよ。ゆっくり休んでください」
「はい。ありがとうございます」
名残惜しく思いながらも体を離し、自分の泊まっている部屋の前に立つ。
引き戸に手をかけた私は、けれどなかなか「おやすみ」を口に出来なかった。
あの冷たい布団の中に戻ることが恐ろしくてたまらない。
そんな私の様子に、見かねた葉月さんがちょいちょいと手招きした。
「一緒に寝ましょうか」
「えっ、でも迷惑じゃ……」
伺うように顔を上げる。
すると、葉月さんは朗らかに笑って、くるりと踵を返した。
「ちょうど寒くて眠れなかったのです。結奈さんは温かいから、いい湯たんぽになりそうですね」
少しのあいだ呆気に取られていた私は、慌てて彼の後を追った。
部屋に入ると、布団のそばに置いてある行灯の光が柔らかく迎えてくれた。
しかし、落ち着く雰囲気とは裏腹に、私の心臓はドキドキとうるさく跳ねている。
「し、失礼します……」
先に布団の中に入っていた葉月さんに一声かけて、私ももぐりこむ。
先ほどまで寝ていたのだろう。
じんわりとした温もりに包まれて、私はようやく体の力を抜いた。
そうして緊張の糸が解けると、今度は罪悪感に襲われた。
「ごめんなさい。葉月さん、疲れているのに。勝手に付いてきて、迷惑かけて」
再びじわりと涙が滲む。
そんな私の目元を拭いながら、葉月さんが小さく笑った。
「今日の結奈さんは、珍しく泣き虫ですね」
私の謝罪を軽く受け流す彼に、ムッとして顔を上げる。
すると、からかうような口調と反対に、優しげな瞳とかち合った。
「私は嬉しかったのですよ。結奈さんが一緒に来て下さったこと。今はもう、一人で旅をすることなど考えられません。結奈さんがいなかったら、きっとここまで辿り着けなかったでしょうから。生きることを諦めて、そしてそのまま……。生きたいと思えるようになったのは、戦おうと思えたのは、間違いなく結奈さんのお陰です」
静かに語る葉月さんの声が、心地よく鼓膜を揺らす。
適当な慰めとは違う誠実な声に、私は心が救われたような気持ちになった。
優しい行灯の光に包まれながら、私たちはポツポツと他愛ない会話を続けていく。
いつの間にか不安は消えていた。
それから少しして、どちらともなく会話の速度がゆっくりになり、やがてロウソクの火が消えるようにふっと途切れた。
寝返りを打った葉月さんの、大きな背中がゆっくり上下する。
(寝た……のかな?)
しばらく様子を伺ってから、目の前の背中にそっと身を寄せてみる。
背中に額をつけてみると、じんわり温かくてほうっと息を吐いた。
(安心する……)
わずかに身を捩って落ち着ける場所を見つけると、本格的に私は目を閉じた。
よく眠れそうな予感に安堵する。
意識がぼやけてきて、まどろみ始める。
──刹那、体に大きな衝撃を受けた。
「わっ!?」
驚いて目を見開くと、思いのほか葉月さんの顔が近くて、一気に緊張が体内を駆け巡った。
覆いかぶさる葉月さんの、細められた目が妖しく光っている。
「結奈さん、悪戯が過ぎますよ」
いつもと違う雰囲気にドギマギして、彼の金の瞳から目が離せない。
「えっと、あの……」
「私だって男です。お忘れですか?」
ブンブンと首を横に振ると、葉月さんはあっさり手の力を緩めて離れていく。
そして、目を瞬かせている私に向けて、すこし拗ねたような顔をした。
「結奈さんはずるいです。私は色々と我慢しているのに」
一瞬の空白ののち、言葉の真意に気づいて顔が熱くなった。
うろたえながらも、私は懸命に言葉を探す。
すでに頭の中は大混乱だ。
「わ、私は、その、嫌じゃないので……我慢しなくても……」
「私が嫌なのです。大事にしたいから」
間髪入れずに言われて、思わず私は口をとがらせた。
「……それじゃあ、お預けですか? キスもだめ?」
迫られるとパニックになるくせに、止められると悲しくなるのは何故だろう。
つい意地になって言葉を返す。
そんな私を宥めるように、葉月さんはそっと私の頬を撫でた。
「もう寝てください。そろそろ薬草の知識がつきそうなので」
「えっ、薬草……? なんの話ですか?」
「いえ、こちらの話です」
話は終わりとばかりに背を向けられて、私はしょんぼりと目を伏せる。
(私、魅力ないのかなぁ)
ドキドキ、モヤモヤ、胸が騒めいて落ち着かない。
悪夢を見た直後の言い知れぬ不安は無くなったが、どうやら今夜は別の意味で眠れなさそうだ。
次の行き先は海の見える都!、
風景がガラリと変わるのでお楽しみに(*ᴗˬᴗ)




