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戦国クラス転生  作者: 月本 一
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295 学術都市名古屋

感想、誤字報告いつもありがとうございます。

次回更新は4/5(日)

(1581 一条房基(59))

 九州調略を終えてから私は一条家の名古屋屋敷に拠点を移した。京屋敷は一条家の衆議院議員として一条義輝が利用している。名古屋には母玉姫と妻雪姫を呼び寄せた。武家屋敷や公家屋敷の内装や調度品の製作を行うために、次女蜜柑姫が嫁いだ(214話)土佐家を名古屋に呼び寄せて大規模な工房を立ち上げた。長女椿姫の嫁ぎ先の土佐西園寺家が監督している土佐音楽学校を名古屋に移設するために、土佐西園寺家も名古屋に移ってきた。


 一条家当主である一条房平は伊予にいるが、長男は再興された鷹司家当主として京屋敷にいる。次代の一条家は次男が継ぐ予定だ。そのうち鷹司家も名古屋に移ってくる。母玉姫は孫やひ孫に会える環境をとても喜んでいた。


 医学校、音楽学校、農学校が名古屋に新設され、土佐から多くの指導者が名古屋に移ってきた。土佐にあった各学校は縮小され、それぞれ研究施設として残されることになっている。音楽学校については京で買い上げた楽器類の収集施設になり、学生も指導者も皆が名古屋に移る予定だ。


 そんな中、豊富秀吉と千利休が揃って来訪した。千利休は京で公家や武家相手に茶道を広めていたが、拠点を名古屋に移していた。全国から名古屋の下見に来る大名達は一条家に挨拶に来る。彼ら相手の茶席を設けていたので、ほぼ数日おきに顔を合わせていた。


「本日はお願いがあって参りました」

 豊富秀吉がかしこまって頭を下げてきた。


「名古屋に商科大学と外語大学を作っていただきたい」

 商科大学は伊予と堺にあった。商家の子弟や商才があると士官学校から推薦された者が学んでいた。


『私塾でよいのではないか?』

 堺の商科大学は元々は千利休の私塾が始まりだった。西欧貿易のために堺の商人達へ外国語を教えていた。堺が炎上(231話)した後、復興事業として商科大学と外語大学を作った。


「用地の確保が難しいのです。幕府へのお取次ぎをお願いしたい。資金や建設の手配はこちらでやります」

 名古屋京は御所、議事堂、行政機関の建設が優先された。それに公家と武家の屋敷群が続いた。新しい都の建設には、各地の大名だけでなく有力な寺社から莫大な寄進が行われ、民間が利用できる用地は後回しにされていた。医学校と農学校は幕府の肝入り、音楽学校は朝廷からの要望があったから成しえた事業だったのだ。


『丹羽長秀殿へ推薦状を書くことにしよう。2人とも従五位下であることだし、参議院議員になるつもりがあるなら朝廷へ推挙するがどうか?』

 丹羽長秀は名古屋京の総監督であった。資材調達、労働力供給、技術供与など多くの貸しがあった。


「皆に声を掛けていただいていますが、茶室巡りで忙しい。それに英語の書籍が手に入るようになりました。1冊でも多くの本を読みたいので議員活動などお断りです」

 多くの屋敷がそれぞれに茶室を作り始めていた。多くの弟子を抱える千利休は茶室の監修や批評で多忙を極めていた。英語本が手に入るようになってからは、茶会の数を減らして英語本の研究に没頭していた。


「私も商人達から頼られたので大学開設まではしてやるつもりですが、これが終われば西欧に移住しようと考えています」

 豊富秀吉は第一回遣欧使節の主席だった(224話)。帰国してから20年。自らの商会を興し、西欧との取引で成功していた。私を除けば運用している貿易船の数は国内随一であった。


『西欧に?』


「日本はほぼ統一されました。これからは好きに生きていきたい。金はいくらでもあります。残りの人生は伊太利亜(イタリア)仏蘭西(フランス)で過ごしたいと思っています」

 秀吉は美術への造詣が深かった。絵画技法や顔料に詳しく、これまでも多くの芸術家の後援者(パトロン)であった。個人的に西洋絵画を収集し、伊予には私立美術館を建てていた。


『豊富商会はどうするのだ?』


「もう妹婿に引継ぎを終えています。甥達も育っていますから大丈夫です」

 秀吉は各港に愛妾を抱えていたが、子供はいなかった。姉(智)と妹(旭)が嫁いだ商家は、今では豊富商会の傘下に入っていた。弟の木下長秀は一条家の家臣として重用されていた(224話)。


『一族内で話がまとまっているなら何も言うことはない。いつ頃向こうに行くつもりだ?』


「早ければ年内に」


『・・・・早ければ来年には譲位が行われる。正式な国会が開かれるだろう。歴史的な行事が目白押しだ。見届けてから発ってはどうか? それまでに大使館か総領事館の仕組みを作らせて公的な身分を用意できるかもしれない』


「・・・・言われてみればその通りですね。謙信殿からの便りを読んでいると羨ましくて、少し焦っていたのかもしれません。もう少しよく考えてみます」

 謙信はヨーロッパ各国を渡り歩いていた。私的に資金援助をしているため、遣欧使節の世話役のようなこともしてくれている。最近は英国や阿蘭陀(オランダ)へ遣欧使節を案内してくれていて、多くの書籍を日本へ発送してくれていた。


 名古屋所司代になった織田長益の後押しも受けて、商科大学と外語大学の用地も確保された。多くの商家からの寄付を受けて仮設校舎を建てる形で開校し、他の学校よりも多くの学生が集まっていた。

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