296 ●竹中重治高山国へ
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次回更新は04/12(日)
(1581 ●竹中重治(37))
昨年の台風のシーズンが終わった頃に高山国へ向けて出航した。出発前には東北征伐が終わる報せが届いていた。視察団は巡洋艦と呼ばれる船種に乗船。仮装巡洋艦1隻と共に商船を守りながら高山国へ向かった。
船種には特に定義はないらしいが、主力艦は武装が多く、両舷に10門以上の砲を備えている。仮装巡洋艦は商船を改造して砲が備え付けられており、1つの船団だけで幕府が持つ大砲の数を超えていた。土佐の宿毛で巡洋艦に乗り換えたのだが、宿毛だけでも数隻の巡洋艦が停泊していた。高山国に着くと一回り大きい重巡洋艦が主力で配備されていた。これは日本にたどり着いているポルトガル船よりも重装備な船ばかりであった。
高山国までの航海途上では海兵の調練を見ていた。驚くことに多数の十字弓があり、練習が行われていた。十字弓は織田軍に配備されていたが、鉄砲に追いやられて廃れてしまっていた。聞いてみると高山国や四国では登録制ではあるが、民間でも広く使われていると言う。高山国到着前には大砲の実弾演習も行われ、練度の高さが窺えた。
途中、琉球にも立ち寄った。軍船は沖合で待機していただけで、商船だけが交易を行っていた。沖縄本島だけでなく、石垣島や宮古島にも立ち寄っていた。商船には琉球の役人が沖縄本島で同乗し、与那国島で降ろす取り決めになっているようであった。高山国に着く前に最後に立ち寄ったのは魚釣島(尖閣諸島)であった。ここには神社が建てられており、高山国の役人が住んでいた。琉球や朝鮮や明から漂着した船を助けるためだけに常駐しているのだという。
高山国に着くと一条房基の次男一条房和が直々に案内をしてくれた。一条房和は高山国総督になって9年(255話)、29歳であった。
『大御所からは聞かれたことには全て答えるよう、嘘だけはつかぬよう。一問一答全て報告するよう命じられております。些細な疑問でも遠慮なくお問いかけください』
視察団一行に挨拶を済ませた後、そう切り出してきた。大御所は一条房基のこと、御所様と呼ばれるのは一条家当主一条房平である。
「女性の姿が多いのだが?」
視察団に対陣しているのは一条房和と数名、他はその後ろに控えているが、半数が女性であった。
『女性の文官が多いのです』
「何故!」
『男性の多くが海軍・・・こちらでは水軍を海軍と呼びますが、海軍には多くの男性が勤めております。海軍は高山国周囲と交易路を巡回しており、年のうち大半を海上で過ごしているため、地上には女性の役人が必要なのです』
根本的に意識が異なっている。
「反発はなかったのか!」
『私が赴任する前からこうでした。開拓当初は男ばかりだったと聞いています。女性が入植するようになって、女性を大切にするためにも女性を登用するよう本国から指示がありました。開拓が早かった台北郡は男性が多いですが、台南郡は女性のほうが多いくらいです』
高山国は行政区分として台北・台南・台東(台中)・台西(花蓮)と四つの郡に分かれている。台の名を付けたのは一条房基と言う。その後、台東から台南、台西と巡ったが、各地で原住民を見ることがあった。鉄製の小刀や布を与えることで、日本人が有益な取引相手であると認識させ、文字を持たぬ民族に日本語を教えることで同化の流れを作っていた。集落を離れ、街で暮らす原住民も出始めたと言う。台南では多くの元倭寇が住んでいた。高山国から倭寇を駆逐した際に、倭寇に成らざるを得なかった人を受け入れ帰農させていた。朝鮮人や日本人もいたが、多くは明国人だった。海賊ではなく農民になるために、武器・言葉・風俗・習慣全てを捨てる覚悟を持つ者以外は国外追放されていた。迫害することなく共存共栄するために努力をしていた。一条房基は蝦夷を治めるためにこれらの同化政策を見せたかったのだろう。
斎藤義龍→斎藤龍興→浅井長政→織田信長→羽柴秀吉と仕えた竹中半兵衛は1579年没。今作では一色(斎藤)義龍の臣下のまま今に至っています。
魚釣島(尖閣諸島)は実行支配するためだけに人を配置しています。同様に竹島と鬱陵島にも大内氏から役人を常駐させています。
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