20 元服と周防大内のこと
感想、誤字報告いつもありがとうございます。
(1527 冬 4歳)
年が明けた。年始に家臣や国人達が挨拶に来るのにあわせて
評定に使われる大広間に主だった重臣も集めて私の元服の儀が行なわれた。
祖父が京へ行っていた間、父といっしょに来客対応をしていたこともあって
ほぼ見知った面々だった。
御一門として
東小路、西小路、入江、飛鳥井、白河
彼らは初代といっしょに京から下向した公家の一族衆
家老格として
土居、安並・為松・羽生
元々が地元の有力豪族。土居は叔父が養子に入って家督を継いでいる。
その他奉行衆として
加久見、平松、敷地、源、二宮
彼らのほとんどが曾祖父や祖父、父の正室や側室の実家である。
ここで少しばかり仕込んでいた清酒を正式にお披露目した。
大石屋に大規模な設備投資をしているのは周知の事実なので
皆が新酒ができあがるのを楽しみにしていた。
農業改革の出張指導や新しい農機具の買取や増産などについての
要望が多数寄せられたが、酔っ払いばかりなので導入スケジュールは
後日あらためて伝えることにして早々に退散させてもらった。
こうして1527年、4歳で元服し、万千代丸から正式に一条房基となった。
弟はまだ2歳なので、式やお披露目みたいなことはせず
名前だけ一条恒持となり、大内家に渡ってから
盛大な式をすることになるらしい。
大内家から迎えの家臣団がやってきてから
周防(山口)へ向かうことになる。
母である梅の方は土佐中村に残る予定だったが、
私から強く同行するように進言した。
恒持が2歳とまだ幼く、ストレスなく周防までの長旅を
過ごすには母親といっしょであるべき。
周防についてからも、大内家の内情に詳しく、
味方をしてくれるには母親以上の存在はいない。
実家に帰しても大内家と縁が切れるわけではない。
子供の幸せを願うならば母親と引き離さないようにと
粘り強く父に願ったのだ。
感激した梅の方にはとても感謝された。
こちらとしては逆に強く恩を感じて欲しいし、
頻繁に手紙をやり取りする口実を作りたかったのだ。
梅の方は大内義興の娘で次期当主である義隆の姉にあたる。
今の大内家当主は義興で、西日本一の大勢力を誇っていた。
周防、長門、石見、安芸、豊前、筑前の6国守護で、
将軍といっしょに上洛して管領代になったころは山城守護にも
なっていたのだ。朝鮮や明との貿易もおさえており、
周防に戻るまでは天下人に一番近い人物だったといえる。
大内氏領下には石見銀山をふくめて鉱山資源が豊富に存在している。
多くは外国へ輸出されて、生糸、絹、明銭(永楽通宝)だけでなく
明の書物などが輸入されていた。
その書物を求めて文化人も多く周防へ下向している。
京から下向という体で避難している公家も多い。
それに伴い国内の書物も多いだろう。
一部でもよいからそれらを保護して土佐に移したい。
となると取引材料が必要となる。清酒や椎茸だけでは弱い。
原材料を輸入し、加工したものを輸出する日本式な貿易を模索したい。
実際、大内氏も漆器や刀剣などを輸出して商売熱心な家だ。
大内氏からの迎えがくるまでの短い期間でできることをしておこう。
大内氏が滅亡したのは1557年
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