彷徨う✿
流血、暴力表現注意です。
最後に挿絵があります。見たくない方注意です。
誰もいない森の中、そこら中に淡い桃色の大きな花が咲いている。
花からは淡い光が溢れ出てきており、その光は風に乗り、空気に溶けていく。
静かな森で、一匹大きなオオカミのような生き物が川の水を飲んでいた。
通常のオオカミよりは一回り以上大きく、人を軽々乗せることができそうだ。
銀色の美しい毛は、日に当たればきらきらと輝く。
しかし、この美しい生き物は人々から恐れられる魔獣と呼ばれる生き物である。
オオカミ型の魔獣は青く染まるまっさらな空を見上げ、ふと考え事をする。
(わたしがあの城を出てから、どれくらい経ったんだろう? 長い時間が経った気がする)
魔獣は、目線を落とし、緩やかに流れる川に映る自分の姿を見る。
魔獣の首元、銀色の毛の隙間から輝く琥珀色の石が見える。
この魔獣を愛した人間がくれたネックレスだ。
「キエリ‥‥」
最愛‥‥だった人、フェリクスが自分の名前を呼ぶ優しい声を今でも鮮明に思い出してしまう。
キエリという名前の魔獣は、人間のフェリクスと恋に落ちて、そして、彼の元を去った。
一緒に居たい気持ちと離れてしまいたい気持ちが同時にキエリの心の中に混在する。
そのごちゃごちゃの気持ちがキエリの心を長い時間ずっと少しずつだが確実に削り取っていた。
キエリは、頭の中に浮かんだ彼のことを振り払うように首を横に振った。
(どうして、まだあの人のことを思い出してしまうの‥‥わたしから、あの人のもとを去ったのに‥‥)
しかしキエリは、愛した人間の瞳を思い出させるネックレスを捨てられずにいる。
しっぽと耳が悲しみから花がしおれるように垂れ下がる。
ひとつ思い出してしまうと、芋づる式に次から次へと暗い気持ちが湧き出てしまう。
フェリクスを愛していいのかわからなくなって、何も言わずに城を出て行ってしまったこと、ゼノに対して許せない気持ちがありつつも、酷いことをしてしまったと思う気持ち。
城が魔獣に襲撃されて、大事な人たちは無事なのだろうかという心配。
どれもこれも心の整理が今になってもできなくて、動けずにいる。
(‥‥とにかく進もう)
キエリは、また独りだけのあてもない旅を続けるために歩み始めた。
キエリが城を出てから四年の月日が経っていた。
その間、この国はすっかり変わってしまった。
この国の王都ウルブスは魔獣に乗っ取られ、さらには国中に魔獣が闊歩するようになった。
そして、魔獣そのものもが確実に変化を遂げていた。
もう、キエリが知る魔獣はいなくなってしまった。
魔獣たちの中で組織ができ、優劣がうまれた。
人間たちを惨殺したり、領地を占領して人間を捕まえて奴隷の様に扱ったりする魔獣まで現れた。
以前はそのように振舞う魔獣は一匹たりともいなかった。
一方人間は、苦渋を味わいつつも、魔獣に反撃ののろしを上げて、王都奪還、魔獣討伐を目的とした軍『ウィルトス』を結成し、魔獣の侵攻に抗っていた。
キエリは、旅をしながら魔獣の非道な行いを止め、人間を助けることもあった。
しかし、人間から敵視され、石を投げられ、武器を向けられることもあった。
時には、人間が人間を襲う場面にもでくわすこともあった。
キエリは、理不尽に人間を虐げる魔獣や暴力で弱い者をねじ伏せようとする人間を見て見ぬ振りができなかった。
その結果、魔獣や人間を傷つけたり、命を奪うこともあった。
だが、それも次第に慣れてしまっていた。
キエリが森をでると、遠くに人里が見えた。
(あそこ、人が住んでる‥‥)
だが、その村は遠目でも異常な状態なのがわかった。
人々が逃げまどい、その逃げまどう人を追いかけている人間がいた。
(あの村、襲われてる!)
キエリは、四本足で素早く地面を蹴った。
「ぐはははは!! 食いもんをだせ! まだあるだろ!」
屈強な大男が斧を振り回しながら村人を恫喝する。老婆とその孫であろう男の子はおびえて震えるばかりだ。
「ひぃ! お助けを‥‥これ以上お渡ししたらわしらの食うもんがなくなってしまいます‥‥」
「おい、ばばぁ! ってことは、食いもんあるんじゃぇか、さっさとだしな!」
「あぁ、そんな殺生な‥‥」
賊が家の中から村娘の腕を掴み引っ張り出してきた。村娘は悲痛な叫びをあげる。
「いやぁ!!」
「へへへ、まだ女がいたじゃねぇか。お前も根城でたっぷり可愛がってから、売り飛ばしてやるよ」
村の外から地面の振動が近づいてくる。
賊の一人がそれを見つけ、恐ろしさからくる絶叫をあげる。
「うあああ! あ、ありゃ魔獣だ!!」
オオカミ型の魔獣が村に侵入し、賊たちをにらみつける。
賊も村人も等しく魔獣を恐れてからだを震わせ、顔が青くなる。
老婆は、もうあきらめるように、両手を拝むように組み、女神に祈りを捧げだした。
「くそっ村人どもを魔獣の餌にして、そのうちに逃げるぞ!」
賊は、キエリが賊のみを狙っていることなど分かるはずもなく、成功するはずのない無駄な計画を口にした。
キエリは、村人の上をひらりと飛び越え、賊たちの前に立ちふさがる。
魔獣の行動に賊たちは悲鳴を上げ、斧を握りしめ、襲いかかった。
恐怖のせいで太刀筋が単純になっている攻撃をキエリは素早くかわし、賊の首に噛みついた。
鋭い牙はすんなりと賊の肉を突き刺し、キエリの口には血の味が広がった。
「ごふっ‥‥」
賊が血を吐き、からだに力がなくなった。
キエリは、そのまま賊を放り投げ、次の賊へと襲いかかった。
「ひぃ! やめっ!」
賊の願いもむなしく、キエリの牙に貫かれた。
賊の断末魔が終わったころ、すべての賊はキエリの手によって命を奪われた。
キエリは賊に襲いかかっている間、とにかく自分が殺されないように、村人を殺されないように、それくらいしか考えられなかった。
口の中のつばを飲み込めば、賊の誰のものかわからない血の味がする。
(きもちわるい)
キエリは、怯えている老婆と男の子を見る。
老婆にしっかり抱かれていた男の子が腕からすり抜け、老婆をかばうようにして立ち上がった。
「お願いだよ! おばあちゃんは食べないで! お姉ちゃんもいなくなってたった一人の家族なんだよ!」
孫である小さな男の子は、足が震えて今にも膝をおりそうなのを我慢してキエリのことを見つめる。
キエリは、じっと男の子を見る。
先ほど賊たちを無残に殺したと思えないほど落ち着いている。
キエリは、ゆっくり男の子に近づく。
男の子は食べられると思ったのか、ぐっと目を閉じた。
「‥‥っ!」
「‥‥‥」
「‥‥?」
男の子が目を開くと、そこには先ほどの魔獣の姿はなく、目の前には銀色のきれいなふわふわとした髪の透き通った水色の瞳を持つ美しい女性がいた。
ただ、女性の口の周りは血で赤く塗れていて、男の子は血の気が引いた。
そして、彼女は人間ではないことを彼女の獣のような耳とワンピースの端から見えるしっぽが物語っていた。
キエリは、膝をおって男の子に目線を合わせる。
「ねぇ、お水くれないかな?」
「ぉ‥‥おみず?」
男の子は驚きのあまり口をはくはくさせる。
キエリは、ゆっくり話しかける。
「うん、口をゆすぎたいから、お水を下さい」
「う‥‥うん」
男の子は、水を取りに自分の家へと向かって、コップに水をいれて戻ってきた。
キエリは、それを受け取るとお礼を言って、口をゆすぐ。
周りにいた村人は、ぽかんとしてその光景を見ていた。
キエリは、コップを男の子に渡し、周りで怯えている村人を見渡す。
(怯えてる‥‥当然だよね‥‥わたしは魔獣で、彼らにとっては化け物だもの)
ふと、視線に気づいて見下ろすと男の子がじっとキエリを見ていた。
もうからだは震えていないが、瞳からは不安がにじみ出ている。
「なに?」
男の子は、キエリに話しかけられてびくっとする。
だが、男の子はぎゅっとコップを握って唾を飲み込んで、何かを決心したようにキエリを見た。
「あのっ、おねえさんすごく強いんだよね! ぼくの、ぼくのお姉ちゃんを助けてください! お願いします!」
男の子は、深く頭を下げた。後ろで震えていた男の子の祖母が慌てて男の子に駆け寄る。祖母は、男の子の肩を掴んでキエリに頭を下げる。
「もっ申し訳ありません! この子の姉がさっきの賊の一味に連れていかれたもんだから‥‥そんな、無理なお願いしてどうするんだい!」
「でも‥‥」
男の子は顔を上げると、しゅんとした今にも泣きそうな情けない表情になっている。
キエリは、その顔をじっと見つめていた。そして、ゆっくりと口を開く。
「賊を殺してしまったから、おそらく数日後には、賊の仲間が村を見に来ると思うわ。その前に村から離れなさい」
男の子の祖母は、絶望したように顔が青くなる。
「あぁ、そんな‥‥もう、ここには年寄りと子供ばかり‥‥それに、一体どこに逃げろというのですか‥‥」
「‥‥わたしは、こうなる可能性も考えて、賊を殺した。だから、わたしには責任がある。最後までやり遂げる責任が‥‥だから、あの賊の住処を教えてくれない?」
それを聞いた男の子はパッと顔が明るくなって、大きく頷いた。
男の子は、顔が明るくなったが、キエリが賊の住処に赴き、責任を果たすということは、賊を皆殺しにしなければならないということだ。
キエリは、そこのない沼に足を自ら踏み入れてしまった気がした。




