文学少女仁志乙姫
「乙姫先輩まだ図書室にいるかな?」
次の日、太郎は授業後に図書室に向かう。
図書室には1人の少女が、近い席も空いているのににわざわざ1番入り口から遠い席に座って読書をしていた。
「お待たせしました、乙姫先輩」
「あ、太郎君、ごきげんよう」
太郎の呼びかけで本から目を逸らして太郎のほうを向く。
目元が隠れそうなほど長い髪は全体的にロングで黒がとても目立つ。
大人びた容姿と儚げな雰囲気はまさに文学少女といった感じである。
仁志乙姫。旭高校の3年生で、太郎の1つ先輩に当たる人である。
制服の着こなしも校則どおりで遊びがまったくなく、化粧やアクセサリーといったおしゃれも全くしていないので、かなり地味ではある。
だが、前髪に隠れた目元を筆頭にかなりの隠れ美人である。それを知るのは太郎だけだが。
「おくれてすみません」
「ううん、いいの。それでどうだったかな? あの本は」
「とても面白かったですよ。恋愛小説なんてほとんど読んでませんでしたけど、結構おもしろいですね」
「それならよかった」
「悪いんですけど、もう少し貸しておいてください。読みなれてないものであまりはやく読めなくて」
「気にしないで。私の自分の本だし、ここには本はたくさんあるから」
「もし気に入ったなら、その本はあげてもいいよ」
「それは悪いですよ」
「その本は何度も読んだから、また何度も読んでくれる人が持ってくれてたほうが本も嬉しいと思う。それに……」
「それに?」
「太郎君とは、きっとこの後も同じ時間を過ごせるから、私の本を太郎君が持っていても問題ないよね」
「……はい、とりあえず読み終わってからにしますよ」
「うん、また感想聞かせてね」
生徒会も部活動も図書室には関係なく、残っているのは自習をしていたり、本を読んでいたりする生徒だけで数は決して多くない。
そんな空間で太郎と乙姫はゆったりとした時間を過ごしていた。
この2人の出会いは、昨年の夏休み明けつまりまだ太郎が1年生の頃になる。
この学校では、各学年が前期と後期に分かれて1つのクラスから委員を出す。いわゆる保険委員だとか、美化委員だとか、図書委員だとか、体育委員だとかである。
それぞれ週に1回から2回活動を行うがそこまで面倒な仕事でもなく、クラスの係よりちょっと面倒なくらいである。
太郎は特に何かやるつもりではなかったが、図書委員の枠が余っていたので立候補した。太郎のクラスは部活に入っている生徒が多く、委員会の中でも昼休みと放課後に図書室の管理が求められる図書委員会は人気が無かったのである。
図書委員は合計10人。3年生は委員会に入る義務が無いため、1年生と2年生だけである。
各曜日に1、2年生が1人ずつ担当してローテーションをしていき、太郎と同じ曜日になった2年生が仁志乙姫である。
とはいっても、基本的に女子に話しかけない太郎と、一見無口で地味でおとなしそうな乙姫では会話など成
立するはずもなく、初めのほうはお互いに読書をしながら黙々と仕事をしていただけであった。
きっかけは少し経った後に起こったとある事件であった。
『なぁ仁志さん。今日この後暇? 付き合ってくれねぇ?』
読書感想文の時期でもなければ基本的には物静かな生徒ばかりが集まっている図書室に似つかわしくない活発そうな容姿と大きな声を出している男子生徒が、乙姫に貸し出しカウンター越しに話しかけていた。
「……、私はゆっくりと本を読んでいたいので、別の方を誘ってください……」
その様子に太郎は少なからず驚いていた。
おっとりして大人しそうなイメージがあった乙姫が、明確に男の誘いを断ったからである。
気が弱くて男に慣れていなさそうだったのに、おどおどするわけでもなく、きっぱりとしていた。
『そ、そんなこと言わなくてもいいじゃないか。本ばかり読んでても楽しくないだろう?』
乙姫を誘った男も太郎と同じイメージを持っていたのか、一瞬びっくりして言葉に詰まったが、あきらめずに誘い続ける。目元が隠れて見えないが、なんとなく美人そうで、簡単に誘えそうだと思っていたのだろう。
「本を読むのは好きです。それだけです」
だがまたもや明確な拒絶。しかも今度は目をあわせすらしなかった。
『ちっ、地味なくせに調子に乗ってんじゃねぇぞ。ここじゃ駄目だ。外に来い!』
すると一見優しそうだった顔が、一瞬で怒りの表情に変わりカウンターに入ってくる入り口に入ろうとする。
ガタッ、ギギ!
その動きを見て、太郎は自分の椅子を少し動かしてカウンターの入り口をふさぐ。
『何だお前は! そこをどけ!』
「いや~、そうはいかないもんで。この張り紙見てください」
太郎は指を指した先には、「教師、図書委員以外立ち入り禁止」と書いてあった。
『関係あるか! あいつを外に出せ!』
「ですけど今日は仁志先輩は図書委員ですし、受付担当ですから用事が無ければ基本的にはあそこにいなきゃいけませんよ」
『ちょっとくらいいいじゃないか! 俺が用事あるんだから。お前が代わってくれても』
「別にあなた友人でもなんでもないでしょ。断られてたじゃないですか」
『つべこべ言うな! 俺はここに入るからな』
「まぁ落ち着いてください」
落ち着いた口調だが、明確な拒絶の意思を持って、その男の進入を食い止める。
この時点で乙姫を体を張って助けるほどの意味は太郎には無い。太郎は別に町や学校で絡まれている人間を助けるほど正義感にあふれた人間ではない。
だが、自分しかなんとかできない状況で、一応知り合いといえる人間を見捨てるほどはドライではなかった。
『こら! 何をしてんだ!』
『やべっ。誰だ知らせやがったのは?』
いつも物静かな図書室でやや騒ぎになっていたため、誰かが教師に伝えたのだろう。その男子生徒は、教師に連れて行かれて、再び図書室には静寂が戻った。
「ほっ、よかったよかった」
太郎は落ち着いた様子を見て、再びカウンターの整理に戻る。
くいくいっ。
すると左腕の辺りが軽く引かれる。
「ん?」
何かと左を向くと、そこには乙姫がすぐ横にいた。
「どうしましたか?」
「あ、……あの、ありがとう……」
「?」
太郎はなぜお礼を言われたのか初めわからなかった。
太郎にとっては、面倒くさい男を図書委員のカウンターに入れないことが目的であり、自分も迷惑がかかっていたから結果的に自分のためにやったことになっていて、乙姫のためにやったことを忘れていたのである。
「あ、ああ、別に気にしないでください。俺は図書室で騒いでいる人に注意しただけですから」
「そ、それでも、……結構怖かったから……」
乙姫が手元に持っている本は小刻みに震えていて、本を読んではいるが、ページは進んでいない。
「大丈夫ですか? 調子が悪いんでしたら、先に帰られてもいいですよ」
「ううん……、一緒にいて……。1人で居るほうが怖い……」
この会話の間、乙姫は一切本から目を逸らしていないので、太郎は表情を伺えないが、そう言われては離れることはできなかった。
図書室はさきほどの騒動のせいか、やや人が少なくなっており、妙な静かさがあった。
その間手の震えが止まっていないので、乙姫の持っている本のページが進むことが無く、それが妙に気になってしまった。お互いに本を読んでいたり、作業をしているのであれば無言でも気まずくは無いが、本を持っているだけで何もしていないのでは、ただ無言で2人でいるだけなので、妙に気まずい空気がある。
「仁志先輩は本が好きなんですか?」
というわけで、当たり障りのない図書委員らしい会話をしてみた。
「…………、ええ、本は好き」
「図書委員ですもんね。俺も好きです。この作者さんが好きで……」
「わ、私も好き……」
太郎は自分の持っていた本が自分の好きな作者だったので、何気な本を掲げたのだが、すると急に乙姫はさきほどまで一切合わせなかった目をこちらに向けてきた。
(ち、ちかっ! 目も大きい)
すると普段隠れている目がよく見えて、乙姫がものすごく美人であることが彼にも理解できた。
「あ、ごめんなさい……」
自分が興奮したことに気づいたのだろう。すぐに離れて椅子に座る。
「いえ、大丈夫ですよ。仁志先輩、少し話しましょうよ。俺の友人はあまり読書する人がいなくて、こういう話できる人居ないんです。それに気もまぎれるでしょう」
「え、ええ。そうね、ありがとう」
そして2人で図書室が締まるまでその作者の作品の話をし続けていた。
「仁志先輩、家近いんですか?」
「ええ、どうして?」
校門の外まで出ると、太郎は乙姫に話しかける。普段は特に会話もなく別れてしまうので、どこに家があるのかは分からないが、乙姫は自転車を押していたので、少なくとも電車通学である自分よりは家が近いことは分かっていた。
「もし近いんでしたら送ろうかと思いまして。俺が話しすぎたせいで、結構暗くなっちゃいましたし」
いつもはさっさと帰るのに、話がつい盛り上がってしまって、校門に来るまでの時間もかなりかかってしまった。
「気を使わないで……、私も楽しかったから」
「いえ、暗いから危ないですし、さっきの人がいるかもしれませんから。俺が遠回りにならない程度ですから気にしないでください」
「そ、そういうことならお願い。私ももう少し話したい……」
そして歩きながら話していると、乙姫の家は太郎の通学定期の通っている電車の駅のすぐ近くと言うことが分かり、家までついていくことになった。
彼女が図書委員の日でなくても、普段から放課後は図書室で読書をしていることを聞き、用事がないときは図書室に行って話すことを約束し、携帯電話の番号も交換して、太郎と乙姫は友人となった。
そして話をするだけでなく、2人で新刊を見に行ったり、お互いに趣味ではない本を交換し合っているうちに、太郎がもっと一緒にいたくなって、乙姫に告白した。
「仁志先輩……、好きです。一緒に大好きな本を話している時間がすごく楽しいです。先輩が俺に本を薦めてくれて、感想を言うと喜んでくれるのがうれしいです。俺の薦めた本を読んでくれて、楽しそうにしてくれてる先輩は可愛くて素敵です。すいません、もっと先輩と一緒にいたいんですけど、先輩のことももっと知りたいんです……」
太郎にとってはこの告白はかなり賭けであった。これが失敗すれば、一緒にいることすら難しくなる可能性が高いからである。それでも抑えられないほど、気持ちがあふれていたのである。
「み、三波君」
その声は震えていた。果たしてどちらなのかは判断しかねた。
「ありがとう、とっても嬉しい。私の好きな恋愛小説みたい……。危ないところを助けてくれて、優しくしてくれて、同じ作者さんの本が好きで、そんなに話すわけでもない私と一緒にいてくれて……、それで素敵な告白をしてくれて……、とっても素敵だわ。私も恋愛小説みたいな恋がしてみたかった……、だから、よろしくお願いします……、私も好き」
こうして2人は恋人となった。特に変わったことをするわけでもない、ただ呼び方は三波君から太郎君になり、仁志先輩から乙姫先輩となった。
そして、目立つのが嫌いな乙姫は、この関係をできるだけ周りには教えない2人の秘密ということにした。
だから、太郎と乙姫が付き合っているという話を知っている生徒はほとんどいない。