第二十九話 光
気づいたら、真っ暗な場所にいた。
身体中が冷たい。見上げると、重たい色の空。雨が降っている。
周りには、瓦礫の山。もともと孤児園だったモノ。
雨をしのげる場所はいっぱいあった。けど、動く気にはならない。
この、オレたちの部屋があった場所から。
ベッドも机もタンスも写真も……跡形もなく壊れ、焼けていたけど、紛れもなくここはオレ達が生活をしていた場所だったんだ。
雨は降り続けている。
オレは一体、いつからここにいたんだっけ……。
手がかじかんで動かない。足先の感覚はない。まるで、氷の中にでもあるみたいだ。
でも、ここにいると落ち着くんだ。お兄ちゃんが、隣にいるみたいで。横を見ても誰もいないのにね……。
けどね、感じるの。お兄ちゃんの気配を。
目を開ける。
「……! お兄、ちゃん……!」
お兄ちゃんがいる!
ずっと見てきた後ろ姿。
あそこに倒れてたのははお兄ちゃんじゃなかったんだ! お兄ちゃんは生きてたんだ!
手を伸ばす。
「お兄ちゃんっ!」
……なんで、なんでこっちを向いてくれないの? どうして向こうに行くの? 行かないでよ。こっちを見てよ。
——ルーク……。
やけに響く、お兄ちゃんの声。こっちを向いてくれたお兄ちゃん。その、困ったような微笑に胸がざわざわしてくる。
その口が、動く。
——ごめん。ボク死んじゃった……。
「なに言ってんだよ……お兄ちゃん、ここにいるでしょ……」
——もうすぐいなくなるよ。
「やだよ……そんなこと言わないで……オレを一人にしないでっ」
——一人じゃないでしょ。カイ君もソラもラギ君も……孤児園のみんながルークの味方だよ。
「やだ……お兄ちゃんも一緒じゃなきゃ……嫌だ……」
声が掠れる。視界がぼやけて、何故か白く見えるお兄ちゃんがユラユラ揺れる。
——そんなんじゃ、カイ君に負けちゃうよ~? ほら、泣かないで。笑って? 強く、なるんでしょ。
「っ……ふ、ぅ……うぁ……!」
身体が動かない。近くに行きたいのに……!
——ずっと、見守っているから。ルークは、強い、ボクの唯一の家族、弟だよ……。
「あっ……お兄ちゃんっ!!」
嫌だ……行かないで……消えないでっ!
オレの伸ばした手が虚しく空を切る。
ふわっと、光が散っていくような気がした。
さっきまでお兄ちゃんのいた場所に、もう何もない。
消えてしまった。ゆっくりと、溶けていくように……。
「オレ、だけ……」
オレだけ、この世界に置いてって……!
落ちてるガラスをつまむ。両手で持つ。ピリッと、鋭い痛み。血が出る。皮膚が切れたみたいけど、そんなの関係ない。
空を仰ぐ。灰色の空。雨粒が顔に降ってくる。
腕を伸ばす。かけたガラスの角を、こっちに向ける。
指が震える。
視界の色がなくなる。
呼吸がしにくい。息が乱れる。
頭が痺れたように動かない。
心臓がどくどくと音を立てる。
「はあ……はあ……!」
これで首を切れば、お兄ちゃんのとこに行けるかな……!
ガラスにオレが映る。
酷い顔……お兄ちゃんにしか見せられない。
孤児園のみんなに見せたら……カイなんかに見せたら、笑われる……。
……カイ?
不意にガラスに映る青い髪と、猫耳。
そいつは……カイはオレを見て、笑った。
その口が動く。
「……ルークは……おれの……しん、ゆう、だ……?」
……だから。
「死ぬなんて、許さねーからな……ハッ、前はお前が死にそうになってたのに……あ……」
ガラスのオレを見て、目を見開く。
オレ、今……笑った?
「なんで、こんな時に笑えるんだよ……笑う場面じゃないでしょ……」
自分に言う。
でも、お兄ちゃんは笑えって言った……。
ガラスにお兄ちゃんが見えた。笑っている。つられるように笑った。
そしたら……。
「あ……」
雨が止んだ。前から光が差し込む。
ガラスに映ったお兄ちゃん、カイが消えた。代わりに、虹色に光り出す。
冷たかった胸のところは、いつの間にか普通に戻っていて。
視界が明るくなった。
身体中の感覚が戻って来る。
「痛っ!」
指先に鋭い痛みが走り、思わずガラスを離す。
落ちたガラスはパリンと、小さな音を立てて砕け散った。バラバラになっても、それはキラキラと輝いていた。
暖かい光。
素直にそう感じる。二人に包まれているような感覚がした。
重かった身体がすっと軽くなるのがわかった。
ゆっくりと立ち上がる。びしょびしょになった服から雫が滴り落ちる。
不意に、後ろから視線を感じた。
カイ、かな……。
目を細めて太陽を見た後、オレはゆっくりと振り返った。
「え……」
そこには、意外な人物が立っていて。
綺麗な水色の髪。細められた髪と同じ色の眼。整った顔立ちはあの頃よりも大人びていたけど、その優しげな雰囲気は変わってない……。
無意識に名前を呼ぶ。
「ソート……?」
「久しぶり、ルーク」
彼がふわりと微笑んだ途端、オレは走り出していた。
「うわぁ! ルーク! 急に抱きついたら危ないって!」
「ソート……!」
声は前より低くなってるけど、匂い、喋り方、笑い方……そして、心の中まで、全部全部変わってない。
ほんとに、ソートだ!
オレは心が落ち着くまで、今度は声を上げて泣き続けた。
懐かしい感覚があの頃を思い出させたけど、今はなんでかもやもやはしなかった。この涙が、全部を洗い流している、そう感じた。
崩れた瓦礫の下、水が溜まっていないところに腰を下ろすと、ソートはオレの肩に上着をかけてくれた。
温かい……。今になって身体が氷のように冷たくなってることに気づく。
下を向いていると、ソートが顔を覗き込んで来た。
「少しは落ち着いた?」
「……うん」
まだ、お兄ちゃんが亡くなった寂しさ、悲しさは消えてないけど、心は不思議とすっきりしていた。
隣に座るソートを見上げる。
「ソートは、なんでここに?」
「あぁ、実はスターに呼ばれて来たんだけど……一緒にはいないみたいだね?」
「お兄ちゃんに!? いつ!?」
「え? えっと、昨日の昼過ぎぐらいだけど……」
昨日って……あれ、オレいつからここにいるんだっけ……。
今、何日……? お兄ちゃんが亡くなったのって、今日? 昨日……?
「ルーク? 何かあったの?」
——そういえばルークすごく濡れてるし……こんなとこで泣いてた。なんかあったんだ。
そんなソートの心の声が聞こえる。
あぁ、変わってない。さっきも感じたけど、ソートは心の中もあの時のままだ。
オレは、さっきまで心が締め付けられていたのが嘘のように、自然と口に出していた。
「お兄ちゃん、死んじゃったんだ」
って……。
だけど。
じわり、じわりと視界が歪む。喉の奥から何かがせりがってきて、声が漏れる。
涙って、枯れないんだな……あんなに泣いたのに。
なんだか笑えてくる。
涙を拭いてソートを見ると、彼は驚きに目を見開いていた。
やっぱり、びっくりしたかな……?
「ルーク、強くなったね」
「え……?」
「もちろん、スターが亡くなっちゃってることには驚いたけど……前だったら泣き止まなかったと思うの に。落ち着いてるね」
「泣いたよ、いっぱい泣いた。でも……今のオレには味方がいるから。お兄ちゃんが、笑ってって言ったから……」
拭った涙がまた溢れる。
お兄ちゃんはそれほど大切な存在だった。悲しみとか寂しさはすごく大きい。
けど、だからこそオレは生きなきゃって思うんだ。お兄ちゃん分まで……。さっき死のうとしてたオレが言えることじゃないかもしれないけど。
カイに、言われちゃったしな……死ぬなんて許さねーって……。
ふと、空を仰ぐ。さっきまで降り注いでいた雨はとっくに止み、いろんな形の雲が浮かんでいた。
「……ソート。今って何時?」
「ん、っと、十時前かな」
「戻らないと。カイ達に心配かけちゃう」
立ち上がる。冷たい空気がスッと服の中に入ってきてぶるっと震える。ソートに上着を借りたものの、服はびちょびちょだ。……寒い。
「寒い? 大丈夫?」
「うん……カイ達のとこ戻れば服あると思う」
上着に腕を通して、あの広場に向かって歩き出す。水を吸い込んだ土が、びちゃびちゃと音を立てる。
歩きながら後ろ向く。崩れた孤児園。その瓦礫の上に、スターが立っているような気がした。
また、戻ってくるよ。みんなバラバラになっても、オレはあの場所に住む。家を建てて、一人でも……。オレにとって、その場所が居場所なんだから。
フッと微笑んでから前に向き直る。
広場はすぐに見えてきた。
雨が降ってたためか、テントがいっぱいある。
オレはここに来て最初の日に寝た場所……朝礼台のすぐ近くのテントに足を向け……。
「え……?」
固まった。
見知った、だけど久しぶりの人がいたから……。
いや、見たのは初めてかもしれない。
背丈はオレと同じぐらい。緑色の髪に、青色の眼。
しかし、その纏っている雰囲気はあいつそのもので……。
「……シ、シン……!?」
無意識に、そいつの名前を口にしていた。
* * *
風が身体、頬を撫でていく感覚。次第に風の音、鳥の声が聞こえてくる。
ぼーっとしていた頭がどんどん覚醒していく。
ゆっくりと目を開けた。広がっているのは青空。
「……?」
視線を横に向ける。
白い床に、壁のない場所。何もない、見渡しのいい場所だ。綺麗な空が遠くへと繋がっている。
「痛っ……!」
起き上がろうとして、身体中に痺れるような痛みが走った。
思わずまた寝っ転がり、胸を押さえる。
「うっ……!」
同時に蘇るのは、胸から腹にかけて切り裂かれる感覚。音。痛み。血。赤、あか、アカ……。
「はっ……はぁ……!」
呼吸が浅くなる。息が乱れる。頭が痺れていく。
胸を押さえた。服を握りしめ、息を大きく吸う。
落ち着け……落ち着け……!
「ふぅ……」
ゆっくり息を吐く。目を開けて、真っ青な空を見た。汗が風に吹かれて、熱くなった身体が冷えていく。
そうして暴走しそうになった感情を押し留めると、そっと腕を服の中に入れ、腹から胸にかけて触れた。
傷はない、か……。縫った後とかも、触った感覚からは伝わらない。
これは、魔法で直してもらったのか……?
斬られたのは記憶は夢ではないだろう。実際、脳裏に焼き付いているし、傷はないが胸のあたりに痛みはある。
今度はそっと、上半身を起こした。
「く……」
疼くような鈍い痛みに思わず声が漏れる。
そうして改めて周りを見渡すと、ここは私がよく知っている場所だということに気がついた。
ここは、私が生まれた場所。蒼空ちゃんが無意識に、私を神として生んだ場所。
彼女はきっと、神は空の上にいるとでも思っていたのだろう。だから私が生まれた、私の家とも言える場所は雲の上になっている。
しかし何故、この場所に……?
「目が覚めたか、エン」
不意に、そう声をかけられた。その人物を見て、思い出す。
萌香に襲われた事。誰かに担ぎ上げられたこと。その者が、誰だったのかも。
「ユテイル……」
古き友人の姿がそこにはあった。
彼はいつものような笑みを浮かべることなく、真剣な眼で私を見つめてきた。私も、そんな彼をにらみ返す。
ややあって、彼の方が先に口を開いた。
「エン、お前は地上の世界に関わりすぎだ。自分でも気づいているだろう」
「何が言いたい」
「とぼけるな。……魔法、使えなくなってるだろ」
思わず口を噤む。
……はぁ、やはり彼には気づかれてしまうか。
私は神という役割が与えられた者。本来は、この場所で世界を見守ってなければならない。特定の人物に干渉することは禁じられていた。
だが、私は孤児園という場所を作り出し、親がいない子達に干渉した。他にも親のいない孤児達はいるのに、蒼空ちゃんの周りに集まる子達だけを救ってしまった。
そうすると、私は徐々に神としての力を失うことになる。神だけが使える、チートとも呼べる魔法が使えなくなり、年も取るようになり、ただの人間と化す。
ユテイルはそれを防いでくれたのだろう。萌香の力を使ったところが許せないが……彼女に取って私は邪魔な存在。そして、彼は私をこの場所に戻す理由が欲しかった。利害の一致と言うところか。
「ふっ」
そこまで考えて、思わず笑ってしまう。
なぜなら、もうそんな神としての“設定”は必要ないからだ。
神としての存在意義どころか、現段階でこの世界は何もかもが曖昧になってしまっているのだ。世界が成立しなくなっている。萌花が入ってきた時点でここは蒼空ちゃんと萌香、二人の感情、願い、妄想が混じり合っためちゃくちゃな舞台になってしまったのだ。今更、神の設定だとかこの世界のルールだとか、そんなものは必要はない。縛られる理由もない。登場人物は皆、自由に動き回れるようになってしまったのだ。
ここからは蒼空ちゃんと萌香の思いの強さによって、世界がどうなるかが決まる。その両者どちらの味方につくかは、自分で決められる。
「ユテイル、お前ももう気づいてるんじゃないか? もう、神としての設定に従う必要はないと」
「……」
「この世界はもう壊れている。そして、もうすぐ消えようとしている。ならば……」
神と設定されて与えられた力、人間と化して今まで感じた思いや痛み、それらを持ったまま、神でも人間でもない、曖昧の存在のまま、私は自分のしたいことをする。
私のしたいこと、それは――
――蒼空の理性として蒼空を支え、萌香を制し、蒼空の現実の世界に返すことだ。
そのためだったら何だってしてやろう。私のこの仮の姿が消えるまで。




