拓く者と守る者・3
ぱたぱたぱた、ぴたりと書類を叩いていた指が止まる。
「クライン」
「ん?」
ようやく呼ばれたか。
昨日の今日というのもあって、クラインは「王女の護衛」という名目で執務室に滞在していた。普通は扉の外に待機しているものだが、王女がそう望んだからだ。
当の本人は呼びつけておいて、目もくれない。
「んで?」
「様子見てきて」
「だが断る」
「なんでよ。暇を持てあましてたんでしょ」
全く以てその通り。
と、頷いてはいけない。
護衛っていうのは有事に対する保険であるが、真っ先に動かなくてはならないので当面の仕事はないに等しい。適当に気を配りつつ、生きた置物になるしかない。
(ストラルドが一緒にいるんだ。そんな大したことには、ならねえだろ)
信用している、と直接言ったことはない。
自分たちの間に不思議な絆めいたものがあるのは、理解している。最近になって、そこにもう一人加わりそうだと言うのも分かっている。見た目はともかく、ただの人間には思えない。そういうのがミリエランダに近づくことは、正直言って歓迎できない。
ちらり、と隣を見やった。
「昨夜、議会室が爆発したんだってな。幸いにも、その場で見張っていた近衛騎士が何とかしてくれたらしいが」
死者が出た。
それもイザベラ王妃だ。すぐ傍にいた妹のレティシアもひどい火傷を負ったらしく、薬師や何やらが治療に当たっている。現場を目の当たりにした王子派の面々は、すっかり縮み上がったとか。
竜の呪いだ何だと騒いでいるが、まあ放っておいても大丈夫だろう。
「クーベルタン家も、かつては魔術師を輩出していたわ。別に不思議じゃない」
「だからって燃えるか、普通」
「今まで一度も魔法を使ったことがなかったんでしょうね。魔力があっても、魔法の術――魔術の仕組みを学んでいないと暴走することがあるそうよ。って、レイちゃんが言ってた」
「人体発火現象だろ」
「ああ、それそれ」
「ヴォルフ、良く知ってんな」
「オカルト現象については、そこそこ知識がある。おお、そうだな。雑学マスターと呼んでくれてもかまわんぞ」
わははと笑う無頼漢が、ユーコと同じ異世界人だと知ったのはつい先刻のこと。
ミリエランダが「幻夢」とやらについて聞いたのがきっかけで、すっかり意気投合してしまったらしい。近衛騎士の服装をしていなければ、傭兵か何かだと勘違いしそうだ。
「他言無用じゃねえのかよ。隠密部隊が」
「時代は変わるもんだぜ、ボウズ」
「んなっ」
「全員招集は三度目だが、個別の任務は今までもあったからなぁ。この格好も、ちょっと間違えりゃぁ暗殺者みてぇだろ? こっちが名乗らなきゃ誰も知らねぇ分かんねぇって寸法よ」
どこの詐欺集団だ。
思わずツッコミたくなるのは我慢して、代わりに外へと視線を投げた。
昨晩の地震の被害はかなりのもので、朝から城内は大掃除の様相だ。執務室は最優先で片づけられたものの、割れたガラスはどうしようもない。えらく風通しの良い部屋で、ミリエランダは今日も国王代理としての仕事をこなしている。
「まあ、局地的な地震だったのは幸いだったかもな」
地震が収まった後、クラインたちはすぐさま王都の状況を確かめた。貴族の屋敷はともかく、職人や一般庶民がいる辺りは家が密集している。城の惨状を見る限り、死者がどれだけ出ているか予想もつかない。
だが、王都はいつも通りだったのである。
何処も崩れている所はなく、竜の咆哮を聞いた者もいなかった。
(城仕えの人間には箝口令を徹底したが、この有様じゃあな。異変が起きました、って看板立ててるようなもんだ)
と、残ったガラスが全て砕け散った。
「なんじゃこりゃあ!?」
「俺が言いてえよっ」
「……竜の咆哮が聞こえたわ」
「いつ」
「さっき。そう、…………『また』聞こえなかったのね」
ミリエランダが静かに呟き、クラインは歯噛みしたくなった。
何が絆だ、何が幼馴染だ。
一緒にいた時間の分だけ、互いのことが分かっている。身分を越えた繋がりというものを自覚していた。それを疑ったことはなかった。それなのに、今はどうだ。
実在も信じられていなかった化け物のせいで、揺らいでいる。
「ヴォルフガンク」
「おう」
「近衛騎士は、国王の専属部隊だったわよね。王子派の反乱を父様が予見していて、それを機に動き出したのは理解したわ」
ミリエランダが立ち上がる。
「今回の招集は、誰が集めたの?」
「そんなのぁ、もちろん隊長殿であらせられます。密命に関しても、わしらは聞いちゃいなかった。最初っから街でのイザコザについては、ノータッチっつー約束だったしなぁ」
「手出し無用ってことね。それで近衛騎士団がいるにもかかわらず、暗殺は成功した。まあ、首謀者は消し炭になったけど」
「ジャン・レノの奴が仕組んだんじゃねえのか?」
「あいつは、手を貸しただけよ。塔を守護する一族として、あたしたちが知らない真実を知っていたかもしれないし、違うかもしれない。そして王妃が国王を狙った理由は、明白。マルセルが国王になれない。次期国王はあたし、ミリエランダしかいないと父様が断言したからだわ」
「そんなことで夫を、国王を殺そうと考えるか?!」
「イザベラはとっくに壊れていたの。ある意味、可哀想な人よ」
「…………っく、そ!」
散らばったガラスの破片を踏み潰した。
その程度で苛立ちが紛れるのなら、苦労しない。まるで他人事のように話すミリエランダは、おおっぴらに悲しむことはできない。憎むことも、怒ることもできない。王族の宿命として、そう躾けられてきた。
「ちなみに、あたしの母親殺しを命令したのもイザベラ。そうでしょ、ヴォルフガンク」
ちっ、と舌打ちをした熊男が頷く。
「お前の母ちゃん……助けられなくて、悪かったな」
「助けようとしてくれたんだ?」
「初任務だった」
苦々しげに白状し、ミリエランダが目を細めた。
カツカツとヒールを鳴らして近づいたかと思えば、髭面に一撃をくらわせる。当然ながら平手ではなく、しっかり握った拳だ。ヴォルフガンクには意外だったらしく、殴られた格好のままで目を丸くしていた。
「それで、勘弁しといてあげる。温情、でしょ?」
「女がグーで殴るか」
「うちの王女殿下はこれが普通だ」
「一発くらい覚悟しちゃいたが、…………こいつぁ女の力じゃねぇぞ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
そう言って、再び机に戻った。
ミリエランダは、それで区切りをつけるつもりだ。
父母を殺されて、望んでもいなかった王位を譲られ、まもなく王位継承の儀へ望まなくてはならない。だから悲しむ暇がないのだと、そんな言い訳が通じるか。平然と振る舞っているように見えるが、手が震えている。背を向けたのは、顔を見られたくないからだ。
(泣けよ)
クラインは口を引き結んだ。
そうしないと、言わなくていいことまで叫んでしまいそうだ。王女たるべしと努めている彼女の覚悟を、微塵に砕いてしまう。あの晩のように、泣けばいいと思う。だが、そんな姿を誰にも見せたくはない。少なくとも、ミリエランダの母を守れなかった男の前では――。
ガラスが全てなくなった窓から、風が吹き込んでくる。
「この国は、これからどうなっちまうんだろうな」
「決まってるわ」
後ろから凛々しい声がした。
「アークドラゴンとかいう竜を倒して、ちょっかいをかけるバロアを黙らせ、シクリアの民が安心してくらせる時代を築くのよ」
「やるしかねえのか」
「やるしかねぇだろうよ」
シクリア王国に、異世界人がもう一人。
黒髪でも黒目でもない男を見やって、クラインはニヤッと笑った。




