拓く者と守る者・1
目を開けて、数度瞬きをする。
柚子はベッドに寝ていた。肩まで掛けてあったシーツを引っ張り、頭まで被ろうとする。眠いというよりは、まだ起きたくない。あまりにも多くのことが詰め込まれて、パンクしそうなのだ。許容限界を超えたから、気を失ったのかもしれない。
あるいは、ちゃんと自分で寝床まで歩いてこられたかもしれない。
「覚えてるじゃない……」
自分の呟きに、がっくりと項垂れた。
何もかも夢だった良かった。ひどい内容だったと苦笑いでもして、そのうちに忘れていく。日常は変わり映えしないようでいて、目まぐるしく通り過ぎるもの。今日は昨日に、明日は今日になって、気持ちは過去に置いてけぼり。
いつだって現実は無情だ。
分かっていたはずなのに、何度も傷つく。苦しくなる。
「起きてる?」
「……ミア」
いつぞやの再現みたいだと思った。
彼女は既に着替えていて、薄化粧に髪型もばっちりだ。普段よりも気合が入っているように感じるのは、たぶん気のせいではない。
「おはよう、ユーコ。あまり良い目覚めじゃなかったみたいね、無理もないけど」
「あ、ごめんなさい。あなたのベッドを一人で使っていたみたいで」
「いいのよ」
ひらりと手を振り、ミリエランダがベッドに近づいた。
端っこに腰掛けると、手を伸ばしてくる。ぼんやりしている柚子を捉え、こつんと額を合わせた。ミリエランダの金色と、柚子の黒色が視界の端で戯れている。
重なりそうで重ならない、全く異なる色。
「こっちこそ、ごめん。守ってあげるって言ったのに」
「え、言ってました?」
「言ったの。そもそも、あんたは巻き込まれただけなんだから」
ミリエランダは変わらない。
強くて、気高く、そして優しい。柚子の黒髪を厭わしそうにせず、気遣わしげに見つめてくる。この顔と同じだなんて、やはり嘘なのだ。多少似ているくらいなら、化粧で誤魔化せる。ちょうどいいところに、ちょうどいい年頃の娘がいたというだけ。
彼女の都合で利用したから、申し訳なく思っているだけ。
「もう、いいんです」
「何が」
「ミアがここにいるってことは、ケジメをつけたんでしょう? 終わったんですよね」
「………………」
「ホルスとヴォルフっていう近衛騎士に聞きました。マルセル様は、王子じゃないんだって。それなら、ミアが王位を継ぐことになりますよね。おめでとう、って言うのはちょっと早いかな」
「あんた」
急に怖い顔をして、両手で柚子の頬を潰した。
思考がついていかなくて瞬きを繰り返していると、ますます怖い顔になったミリエランダが額をぶつける。ごつん、と音がしたかもしれない。痛みで頭が真っ白になり、余計に何も考えられない。
(何? なんか間違えた?)
分かるのはミリエランダが怒っている、という見たままの感想。
「諦めてんじゃないわよ!」
「え、えっ」
「誰のせいでとんでもない事態になってるか分かってんの。いや、分かってないわね。確かにあんたは巻き込まれた側になるけど、あんたがやらかしたのは間違いないのよ。そこんとこをまず理解しなさい!」
「やらかした?」
ミリエランダが頷く。
ものすごく嫌な予感がした。この世界に来てから、この予感はだいたい当たる。
「二つの塔が崩れたわ」
「えぇ!? な、なんで? 老朽化していたから、とか」
「それもあるでしょうけどねー。昨晩、ものすごい地震が起きたし」
「地震……」
覚えがない。
近衛騎士の二人と話している途中で、全部真っ赤になった後の記憶がない。気を失ったのだろうと思っていたが、その後で地震が襲っていたとは。
といっても、地震対策は「安全な所に逃げる」あるのみ。
なんらかの技術者でもなければ、騎士でもない。その辺を走り回っても邪魔なだけだ。せいぜい大きな怪我をしないように、隠れているくらいか。
「って、ミアは怪我とかしていませんか? わっ、確かに部屋が滅茶苦茶です!」
高価な調度品は粉々に散らばり、棚やテーブルに椅子も壊れた状態で積み重なっている。かろうじて扉とベッドに至る道筋だけは確保されているが、足の踏み場もないとはこのことだ。
こんなに大きな地震(の跡)を見るのは、生まれて初めてだ。
「地震が起きて、塔が崩れたんですね」
「ただの地震だと思う?」
「…………ただの地震じゃ、ないんですか」
否定してくれ、と言外に込めた願いは無視された。
至近距離にある顔をまじまじと見つめてから、ミリエランダが大きなため息を吐く。それはもう疲労を感じさせるもので、もしかしたら一睡もしていないのではと思った。
「シクリアに眠っていた竜が、目を醒ましたみたいなのよねえ」
「アークドラゴンが?!」
「あー、うん。なんか、そういう名前のアレ」
ミリエランダの投げやり加減が、かえって状況の深刻さを物語っている。
思わず窓――こちらもガラスが微塵に砕けている――の外を見たが、それっぽい姿は発見できなかった。耳を澄ましても、竜の咆哮や羽ばたきは聞こえてこない。
だんだん疑わしくなってきて、ミリエランダを振り返った。
「言っとくけど、外に出てきたわけじゃないわよ」
「あ、そうなんですか」
「本当に出てきていたら、あたしが呑気に喋ってるわけないじゃない。ここに頭があるんだから、ちょっとは考えなさいよ」
「ご、ごめんなさい」
「気持ちが追いつかない、ってのは分からなくもないけどね」
二度目のため息は、より重さを増している。
「ミア、寝てないんですか?」
「仮眠はとった」
心配するなと拒絶された気がして、言葉に詰まった。
国王の弟が祖父だとか何とか言われても、柚子自身はこの世界と関わりがない。メダルのことも、ホルスに教えてもらうまで何も知らなかった。祖父の手紙を読まなければ、そもそもシクリアに来ることもなかったのだ。
王族の血を引いている明確な証拠は、メダル以外にない。
(そのメダルだって、どこにあるのか分からないし)
ミリエランダに聞いてみようかと思い、顔を上げた。目が合う。
「言い忘れてたけど。あんたの持ち物、ホルスが持ってるわ」
「う、うん。そうらしいです」
「返しとけって言ったのに、あのキツネ目弟め」
「あれ、狐っぽいのはレノさんの方ですよね? ホルスさんはそれほどじゃなかった気が」
「兄弟だもの」
「え、…………はあ?!」
「それからレノ兄の方は王家の鍵を持って、どっかに逃げちゃったのよ。塔そのものは崩れちゃったから、放置してもいいかなあとは思ってる」
主犯じゃないしね、とミリエランダは足した。
この様子だと、国王暗殺から始まった一連の事件の決着も付いたようだ。浮かない顔をしているのは竜のことや、マルセルのことも含め、本当に色々ありすぎるからだろう。
「あの、塔に行ってもいいですか」
「危ないからダメ。実際に見て確かめたのは東の塔だけど、二つともガレキの山になってるのよ」
「竜が封じられた塔がどっちかだとしたら、そのままにしておく方が危険です」
「だから何? あんたがどうにかできるっていうの」
「そ、それは分からないですけど」
じろりと睨まれて、たちまち萎縮する。
そこへ三度目のため息だ。もう情けなさすぎて、泣きたくなった。
「そこは! 分からないけど、行かなきゃダメなんだーって強く押すトコでしょうが」
「えぇっ」
「えー、じゃない。それとも何? このまま竜が復活しちゃってもいいわけ? ちっぽけな人間が竜に敵うと思ってんの? まあ、手乗りだったら飼いたいかなーって思わなくもない」
「アークドラゴンですよ! おっきいに決まってるじゃないですか」
「へえ、知ってるんだ」
「へ? あ、いや、その…………ゲームで」
「幻夢?」
柚子は頭を抱えた。
ゲームをどう説明すればいいのか分からない。百聞は一見にしかず、とはよくいったものだ。どんなに言葉を尽くしても、実物を見た方が早いに決まっている。適切な言葉さえ選べなくて困っているくらいだ。
「あ、遊び道具? ちょっと、値の張る」
「あんたの世界って、遊びで竜と戦ったりするの? とんでもないわね」
「本当に戦ったりしませんよ。えーっと、模擬戦…………違うか。代わりの何かをそれに見立てて、ステータス……あ~、身体的特徴とか色々設定組んで!」
今ほど、従兄の存在を切望したことはない。
彼ならきっと、ゲームについて熱く語ってくれたろうに。
「それ、面白いの?」
「面白いよ?!」
「ふーん」
全然伝わっていない。
ミリエランダが興味を失っていく様子を目の当たりにして、柚子は力不足に嘆いた。ゲーム自体が存在しない世界でゲームの面白さを理解してもらっても、実際にそれで遊ぶことはできない。ぶっちゃけてしまえば、意味のない行為だ。
だが、柚子はゲームが好きだ。好きだが、従兄ほどではない。
(ちょっと寂しい、かなあ)
もう元の世界には戻れないと思っていた。
祖父がシクリアの王族かもしれないと分かった今、もしかすると世界を飛び越える術が見つかる可能性もある。だが、柚子が生きていた時間に戻れるのか。最も知りたい情報は穴だらけで、不確定事項ばかりだ。
皮肉なことに竜の実在説の方が、ずっと現実味を増している。
「ユーコ」
「は、はいっ」
「どうしても、塔に行きたいの?」
こくこくと頷く。
「じゃあ、ホルスに頼んでみるわ。あいつ、塔の守護者だとか言ってたから」
「えぇ!?」
今日は寝起き早々、驚いてばかりの柚子である。




