この世で一番長い夜・3
近衛騎士の二人が沈黙する。
柚子はもう泣きわめきたいくらいなのを、必死に我慢していた。そんなことをしても意味がないと分かっている。目の前の男たちに、慰めの言葉を期待しても無駄だ。鬱陶しいとばかりに、捨て置かれるだろう。
あるいは、その方がいいかもしれない。
国を捨てた王族の孫が突然現れても、この国は喜ばない。だって、ミリエランダがいる。庶子だとかそんなものは知ったことか。マルセルが王位を継げないなら、王女に継がせればいい。
最初からこの場所に、柚子の居場所なんかなかったのだ。
「自己紹介が、まだでしたね」
重苦しい空気を割ったのは、淡々とした台詞だった。
「……はい?」
「私はホルスと申します。こちらはヴォルフガンク」
「ヴォルフでいい。ま、姫さんと同じ現代人なんだけどな」
「…………!?」
「はっはっは、普通は驚くわな。わしも驚いた」
あっけらかんと話すものだから、柚子は開いた口が塞がらない。
だが、そういえばと思い当たる節はあった。会話中に何度か、シクリア人に通じなかった単語が混ざっていたのだ。わざとそうしていたのか、無意識に喋っていたのか。そんなことはどうでもいい。
急速にわいた何かを制すように、ヴォルフガンクが手を挙げた。
「あー、親密度アップとかマジで勘弁な。お姫さんの知り合いなんざ、かゆくて仕方ねぇ。お友達も遠慮しとく」
「ど、どうしてですか」
「ガラじゃねぇんだよ。それに、わしは昔のことなんざ捨てた。あの世界のことは、名前と一緒に墓場行きよ。近衛騎士になった以上、ろくな死に方はできねぇだろうしな」
「それから王位についても、お気になさらず。ミリエランダ様が女王の座に就くことについては、ご本人の意思を確認いたしました」
事態の収拾がつき次第、継承式の準備が始まる。
そう告げるホルスの声を聴きながら、柚子は意識が隔離していくようだと思った。どこまでも、どこへいっても振り回されるだけの人生だ。知らないうちに話が進んでいき、知らないうちに巻き込まれ、逃げることも許されない。
よくも白々しく、マルセルに説教を垂れたものだ。
権力も何も持っていないはずの柚子こそか、最も縛られている。選ぶことも、望むことも許されないとでもいうのか。何のために、この世界へ連れてこられたのだ。祖父が持ち出したメダルを、元あった世界へ持ってきただけの――。
(わたしの存在に、何の意味も……ない)
絶望が脳裏を埋め尽くす。
真っ黒な闇に飲み込まれるのかと思いきや、それは真紅だった。世界を飛び越えた時のような鮮烈な色ではなく、アレクセルが死んだ時に降り注いだ雨でもなく、ただただ赤い。べっとりと塗り込められて、何も分からなくなる。何も考えられない。何も感じない。
何も、ない。
どこかで咆哮が聞こえる。不思議と懐かしい、そんな気持ちが最後に残った。
ミリエランダがその「咆哮」を聞いたのは、回廊を突き進んでいる時だった。
「今、なんか聞こえた」
「王女? 私には何も聞こえませんでしたが」
「俺もだ。幻聴じゃねえか?」
「獣っていうか……、とても大きいものが吼えるような声だったのよ」
「おいおい、王都まで魔物が来るわけねえだろ。仮にそうだったとしても、何の報せも届かないはずがねえ」
「しかし現在、王城は王子派の反乱で指揮系統が不安定です。近衛騎士団が動いているとはいえ、王都の外からの情報がきちんと届くかどうか」
つい先日、辺境の小競り合いがあったばかりだ。
神聖騎士団の一部はまだ帰還しておらず、そのために王子派の行動を制限しきれなかった。父がこの事態を見越していたのなら、最終的な後始末はミリエランダの手で終わらせなければならない。
王女として最後の仕事であり、女王として最初の仕事になるだろう。
「つか、部屋で待ってなくて良かったのかよ」
「あんたは、ホルスを信用しているの?」
「いんや」
首を振るクラインに、ストラルドは苦笑いだ。
反論しないところを見ると、こちらも同意見らしい。近衛騎士団は存在そのものが怪しまれるほど、実際にその姿を見た者はいない。いるにはいるのだろうが、ことさらに吹聴する者がいないのだ。結局、謎に包まれた組織として認識されている。
「父様も父様よ。王位を譲るつもりなら、近衛騎士団についても話すべきでしょ。そうしたら、無駄な立ち回りもしなくて済んだのに」
言わんとするのはレノ執政官のことだ。
「あのヒョロ男もよく分からないし、なんだかんだで逃がしちゃうし! ああもうっ」
「とりあえず議会を招集し、反乱に加わった者たちを粛清するのが先ですね。神聖騎士団については、クライン」
「ああ、分かってる。プライムの奴、どこをほっつき歩いてんだか」
「それから王立騎士団の処置も考えなくちゃね。ガロアとプロスティンの動きも気になるわ。対抗して軍備を増強するのは危険だけど、また辺境の村が襲われるのは防ぎたい」
「防衛戦の引き方はこちらで協議しましょう」
「ええ、お願い」
宵も更けた刻限だが、蝋燭の火はぼうっと辺りを照らしている。
こうして夜遅くまで歩き回るのは久しぶりだ。気にかかることは山のようにある。やるべき仕事も、これまでこなしてきた執務の内容よりずっと多い。それらを片づけていくことを思うだけで、今すぐ逃げ出したい。
ちょくちょく脱走していた父を想い、くすりと笑った。
(今なら、気持ちが分かるわ。すっごく)
それでも面影を思い出そうとすると、太陽のような笑顔ばかりだ。
新しい体制を作っていくのは容易ではなくて、古いものを維持していくにも細やかな気配りが必要とされる。国は一人でどうにかなるものでなく、両手で余る人々の意志によって動いていく。
父は楽しそうだった。
辛そうな横顔など、見たこともない。弱音も、聞いたことがない。そういうのは惚れた女に聞いてもらうのが一番だと、どこぞの本で読んだ気もする。父、アレクセルにとって「惚れた女」は誰だったのだろう。
そこまで考えて頭を振った。
「わっ、わ!?」
足がもつれる。一瞬、頭を振ったせいかと思った。だが違った。
床が大きく跳ね、たわむ。
「王女!」
「なんだ、地震かっ」
ぽぅんと低く飛ばされた王女は、クラインの腕に収まった。
藁にすがる思いで腕を掴む間も、激しい揺れが続く。蝋燭が落ち、ガラスが割れた。あちこちで何かが倒れたり、壊れたりする音が断続的に聞こえてくる。
オオオオオオオオォン……ッ
掴んだ腕が強張り、クラインにも聞こえたのだと悟った。
「竜の、咆哮?」
「ち、ちょっと、ルディ。冗談にしても、笑えないわよ」
「王女が古い文献でお伽話を見つけた、という話を聞いた後。私もシクリアに伝わる古い話を探してみました。城の人間、それも侍女や侍従たちが塔について口を閉ざす理由。単なる古い建物、というだけではなさそうだったので」
「ああ。竜を封じた塔、ってやつか」
「あんた、知ってたの?!」
「いや、けっこう有名な話だぜ。俺の周りじゃ、誰でも知ってる」
「っていうことは何? お伽話だから、っていう理由だけで信じなかったあたしが馬鹿だっていうの? 最初から答えは目の前にあったってこと?!」
「お、落ち着け…………ぐるじ、いっ」
興奮のあまり、クラインの首をぎゅうぎゅう絞めていたらしい。
とりあえず手を放して、辺りを見回した。揺れは収まったが、灯りが無くなった回廊はとても不気味だ。しばらくすると暗さにも慣れてくるが、どうにも地下牢を思い出させる。
耳を澄ませても、あの咆哮は聞こえない。
「塔へ行きましょう」
「正気か? 本当に竜がいたら、どうするんだよ」
「倒すしかないわね。お伽話――……伝承が本当なら、大陸が焦土にされるわ」
「どうやって!?」
「分かりませんか、クライン。竜の力は世界最強と謳われているのです。竜が実在するのであれば、伝承も信じるしかありません」
「だーっ、そんな化け物をどうやって倒すんだって聞い――」
「神聖騎士の本分は?」
「シクリアの民の命を守ることだよ、畜生!」
「はい、よくできました。…………行くわよ。まずは東の塔からね」
勇ましく言ってはみたものの、やはり足元がおぼつかない。
これまでの行進とは一転して、ミリエランダたちは壁伝いにそろそろと歩き始めるのだった。




