内紛勃発・5
「ご命令を」
二度目だ。
これで動かなければ、男は諦めるつもりだった。
そういう風に言い遺されているし、普通に考えても簡単に受け入れられるものではない。何よりも彼女は王に相応しい器であったが、王冠を受ける人間は自分ではないと思い続けてきたのだ。おそらく、物心ついた時からそうだったろう。
名ばかりの王女、と知らぬ者は言う。
確かにそうだ。ミリエランダ・エイメ・シクリアは生まれながらの「女王」なのだから。
「少し、よろしいですか」
「…………」
「せっかくの場面で、騎士らしい態度もとれないのはさすがに憐れなので」
王女が話している間に、縄は全て切ったらしい。貴族らしい品のある動きで椅子から立つと、無造作に小型ナイフを振った。あえて身体検査をしなかったのだが、そのナイフは手の中に隠れてしまうほどに小さい。
「ふぐっ、ふごぁー!」
「はいはい」
ため息交じりに、ストラルドがナイフを振った。
穏やかな表情を崩しもせず、鍛えているとは思えない腕が正確に猿轡を切断する。縄の太さや、どの部位を縛っていたかなど関係なく。
「っあー、酷い目に遭った……」
ばらばらと落ちていく縄の残骸は、きれいな断面を残していた。
ケストナー家の末弟、毒舌と頭脳だけが取り柄の男だと思っていたが、認識を改めなければならないようだ。いやしかし、だからこそ王女の傍についていられるのか。
クラインも王女も、なんだかんだで感情に左右されやすい。
時にはそういった激情も必要であるし、衝動的に動いた方が良い結果を生むこともある。いつでも理性的な人間よりも、人間臭さがあった人格を好むものだ。王女はそうして、民からの人気を得た。
かつて、アレクセルがそうしたように。
彼と違うのは、王女に二人の幼馴染がいることだろう。アレクセルは己の経験から得たもの全てを、愛する娘に注いだ。何があっても信じ抜くことのできる関係は、まず疑ってかからねばならない国王の因果な性質とは矛盾するものだ。それでいて、得難い宝だ。
(アレクセル様)
初めて出会い、近衛騎士として見出された日を想う。
今はもう振り返るべきではない過去。過ぎ去ったからこそ、触れることのない日々。かつての主君が与えた命令を遂行するために、男はここにいる。
「あんた、名は?」
「ホルス・レノ」
菫色の瞳に、男の顔が映っている。
何を考えているのか分からない、どこを見ているのかも分からない亡霊の顔だ。
「じゃあ、ホルス。最初の命令を与えるわ、この馬鹿騒ぎを収めなさい」
「既に手の者が動いております」
「あっそ。分かってると思うけど、ミリィっていう侍女に手ぇ出すんじゃないわよ。傷一つでもつけたら、承知しないから」
「御意。身柄の確保に向かわせます」
「え? ああ、そうね」
王女は知らない。
その侍女が、シクリア王家にとって重要な存在であるということを。レノの一族が塔にまつわる伝承を守る家であり、今は廃れた魔術師の家系をほんの少しだけ継いでいることを。
扉へ向かおうとすると、二人の青年が前を塞いだ。
「何用か」
「お前、ジャン・レノの弟だろ。あいつの居場所を突き止めたい」
「匿っているとは考えないのか?」
「あん? どっちでもいいんだよ、そんなことは」
訳の分からないことを言う。
眉を顰めれば、背後からくすくすと笑い声が届けられた。
「生きていることが重要なの。処刑したいとか、そんなことは考えてないわ」
「そういうことです」
目を細め、ストラルドが言葉を重ねる。
この三人には他の者には通じない何かがあるようだ。それもまた、アレクセルが願ったものには違いない。だとしたら、ホルスに異論などあるはずもなかった。
改めて前に進もうとすれば、再び阻まれる。
「……何か」
「もういっこ。あいつの『ばっぐ』を返しやがれ」
あの紐がついた小物入れのことか。
ホルスがすぐに答えなかったのは、あの中にメダルが入っていたからだ。王女たちはメダルのことをどこまで理解しているのかが不明で、判断材料に不足していた。もしも王家の鍵こと「アセビの鍵」との関連性にまで気付いているのであれば、渡すわけにはいかない。
沈黙をどう取ったのか、ストラルドが静かに言い添えた。
「彼女にとって、大事なものなのですよ。命の次くらいには」
「我が君」
「あたしに返す必要ないわ。あの子に直接渡してあげて」
「承知しました」
ここでやっと、壁が取り除かれる。
つくづく信用されていない。今日、ついさっき会ったばかりの人間を頼りにしろという方が難しい。それは分かっている。アレクセルは、と思考が至ったところで止めた。
あの偉大なる王は、亡くなった。
為すべきことを為して、残すべきものをその目で見定めて、次代を担う者たちに必要な試練を用意した上で、わざと殺された。決断が正しかったのか、間違っていたのかは、ホルスたちが見届けるようにと告げて。
最期を看取ることすら、許されなかった。
きっと手を出さずにはいられなかっただろう。そうすれば、暗殺は成功しない。あの少女は王女と出会うことなく、今と全く違う時間を歩んでいっただろう。
ホルスには、その方が良かったと思える。
(確かにミリエランダ様は、女王になるべき御方だ)
かつて王族が犯した罪を知っても、きちんと受け入れる。
だが、所詮は女だ。
マルセルに丸め込まれないとも限らないし、神聖騎士団にも邪な想いを抱いてしまっている輩が何人もいる。国内だけではない。時代の移り変わりと共に、露骨な欲望が渦巻いている。剣聖王ですら、薄氷の平和を維持するので精いっぱいだった。
それにミリエランダは即位するまで「王女」だ。忌まわしい伝承が、息を吹き返さないとも限らない。あのメダルは誰の手にも渡してはいけない。
レノ――守護者の名にかけて。




