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幕間 夕暮れの後で

 名残惜しむレティシアと別れたレノは、王城を足早に出た。

 しばらく経過を見ていたが、思ったよりも利用価値があるのはいい。権力にも種類があり、制限も多くあるということをレノは知っていた。自らが行使するよりも、想定した通りに動いてくれるよう仕向けた方が楽だというのも知っていた。

 今、その恩恵を受けている。

(容易いものだ)

 この時の自分は、己に酔っていた。

 後から思えば、そういうことなのだと分かる。時間というのは無情にして平等だ。前後をひっくり返すことなどできない。ゆえに、あの頃に戻ることは決して叶わない。

 出迎えのない静かな屋敷は、レノ自身が望んだ。

 不在時の管理をする者くらいはいるが、大抵のことをするのにレノ以外の存在がうろちょろするのは我慢ならなかった。執事が一名、必要に応じて姿を現す。例外はない。屋敷で働くのはレノにとって「人間」ではなかった。レノが会話するのは、人間のみだ。

 そういう意味で、あの娘は「例外」だった。

 レノの認める存在が「人間」として扱うから、そうせざるを得なかった。温情で「人間」たらしめているのに、とても強情だった。人間のように思考し、人間のように囀り、人間のように抵抗をする。終いにはレノとあの方以外の人間にまで、最低限の存在意義を与えられてしまった。

 それどころか、貴族でもおいそれと近づけぬ場所まで登りつめた。

「許されるわけがない」

 王妃に続き、王女毒殺未遂と一部で噂されている事柄は正しくない。狙ったのは王女ではなく、あの娘だ。運良く王女が戻ってきてくれたはいいが、捕らえられる絶好の機会をみすみす取り逃がした。一度ならず二度までも、レノの計画を邪魔してくれた男。

「ストラルド・ヴィッヒ・ケストナー」

 シクリアの貴族でありながら、三つの名を持ちうるのは選ばれた者たちだけ。末子でありながらミドルネームを持っているストラルドは、若くして筆頭書記官になった。

 王女の幼馴染、というだけで。

「…………いや、それだけではないな」

 元凶はあの娘だ。

 聞けば、替え玉について話したのはストラルドではない。イザベラ王妃の生んだマルセル王子だ。もうすぐ国王になるべき御方までが、惑わされている。

 なんとも恐ろしい能力、なんとも忌まわしい化け物。

 可哀想なケストナ―の末子も、化け物の魔力にかかったのだろう。あの方のように、本来あるべき尊厳を見失ってしまうのだ。

「消してしまわねばならない」

 あれは、国を滅ぼす元凶だ。

 いや、考え方を変えてみようではないか。あれはもしかすると、真なる「鍵」かもしれない。古の言い伝えが再び甦らんとしているのだ。

 この手に『王家の鍵』があるのは、何よりの証拠である。

「そうか。そういうことか」

 では、仕方がない。あの娘は今しばらく生かしておこう。

 全てが正しく行われるために。過去のまた愚を犯さぬために。この忠誠を、永遠のものとするために。

 レノは祈った。

 それは幼子の頃より、一日たりとも欠かしたことのない聖なる儀式だった。


****


 その扉がうっすらと開いているのを見て、マルセルは立ち止まった。

(どうしようかな)

 ここへ来て、迷いが浮かんだ心に苦笑する。

 きちんと戸締りがされていないというのは、普通に不用心だ。誰かがいるのかもしれないし、誘われているのかもしれない。足が竦むのは、マルセルの心に後ろめたさがあるからだろう。

 いずれは何もかも、みんな自分のものだ。

(だから大丈夫)

 そうっと手を差し込み、それから体を滑り込ませた。

「ミリィ……?」

 おそるおそる声をかけた。

 この部屋は、ついこの間まで彼女が使っていた医療室の一室だ。怪我や病気で、安静にしていなきゃいけない人が寝ている場所だと教えてもらった。今はほとんど利用者がなく、一つしかないベッドに彼女が横たわっている。

 足を忍ばせて、近づいた。

「栗色」

 姉の替え玉をする必要がないからだろう。

 化粧は落としてしまったようだが、あどけない寝顔は可愛い。派手さや艶やかさがない分だけ地味に思われるかもしれないが、花壇に咲いていた花を思い出させる。

 白くて小さくて、だけど可憐で――。

「ミリィ」

 マルセルは背伸びをして、眠る彼女の髪に触れた。

 頭を撫でるよりも強く動かせば、やっぱりカツラだ。栗色の下から現れた黒は、初めて見たのと変わらない色だった。触れてみると、少し冷たい。でも柔らかくて、しっとりとしていて触り心地がいい。

「ねえ、ぼくのものになってよ」

 守ってあげるから。

 マルセルは近いうちに、この国で一番偉い人間になる。誰もが逆らえない、最高の存在だ。強くて美しい姉も、亡き父しか見ていない母も、マルセルを無視できなくなる。どんな命令だってできるし、何をするのも自由だ。

 だって『国王』なのだから。

「ミリィ…………ぼくだけの、ミリィ」

 この国でマルセルだけが、彼女の本当の色を愛してあげられる。

 姉は聡明な人だが、愚かだ。せっかくの美しい髪を、こんな紛い物で隠そうだなんて間違っている。わざとそうしているんだとしたら、姉もミリィのことを気に入っているんだろうか。

 だけど本当に守るつもりなら、一人にしちゃ駄目だ。

(今日だってぼくが来なかったら、どうなってたか)

 偶然だったが、聞こえてしまった。

 部屋に入るまで、姉の代わりにミリィが仕事をしているなんて思わなかった。でも、間に合って良かった。ミリィは死ななかったし、これで堂々と「侍女のミリィ」にもお話ができる。

「待っててね。頑張って大人になるから」

 マルセルはまだ幼いから、ミリィを王妃にできない。

 それは国王になっても、ちょっと難しいだろうって分かっている。だって大人は女の方が年上だったり、身分の差だったり、見た目なんかをすごく気にする。でも、そういうのはマルセルが大人になれば違ってくるはずだ。

 国王になって、大人になって、それからミリィを迎えに行く。

「それまで、死んじゃダメだよ?」

 可愛いミリィ。ぼくだけの王妃さま。

 彼女の穏やかな寝顔を、飽きることなく眺めていた。


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