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託されたもの・10

「その手を放しなさい」

 闇を照らす灯ではなく、真っ直ぐに切り裂く鋭い刃だ。しかし男の手を止めさせただけで、柚子の首は絞まったままだ。ばたつかせた足が、鉄格子の錠前を軽く蹴った。

「ば、かな。貴女は行方不明になっていた、はずでは」

「聞こえなかったの、レノ執政官。二度も言わせないで」

「…………御意に」

 ふっと力が抜ける。

 柚子はその場に落下し、何度も咳き込んだ。体が求めるままに酸素を取り込んでいる間、彼らにどんな会話があったのかは知らない。滲んでいた涙を拭い、疲れ切った体を支えているのも限界だ。色々打ったせいで、鈍痛があちこちで活発化している。

 泣きたい。でも、泣きたくない。

 いっそ石の床に倒れ伏してしまおうか悩んでいると、いい薫りが鼻をくすぐった。顔を上げなくても、王女が近くに来たのだと分かる。

「助けに来たわ」

「…………ゲホ、ゲホッ」

「それにしても酷い臭いね、ここ。長居は無用よ」

「ミア、いいのか?」

「馬鹿ね。特権というのは、こういう時に使わないでいつ使うの」

 つくづくアレックスの娘だ。

 生まれながらの王族、とは彼女のような存在を指すのだろう。堂々として、揺るがない。異論も、反論も認めない。やると決めたら必ずやり通す、強い意志の力がある。

 鉄格子の扉が動いて、誰かが入ってきた。

 闇に慣れた目でもよく見えなかったが、体格からして男の人だというのは分かる。何度か地下牢へ来た、あの青年だ。柚子は抵抗しなかった。しかし、青年は一瞬手を止めた。

 ここの所よく感じた、あの空気を帯びる。

「………………」

「…………」

「クライン?」

「予定変更だ。医療室へ直行する」

 言うなり、横抱きに掬い上げた。

「我慢しろ」

 クラインと呼ばれた青年の声が、ひどく固い。

 何か抑えている感じと短い台詞に、柚子はこくこくと頷いた。暗いせいで見えなかったと思う。それでも青年は、長い時間をかけて鉄格子の向こうへと出る。とても慎重な手つきと、さんざん馬鹿にされた記憶が重ならなくて、軽く混乱してしまう。

「先へ行くわよ」

「ああ」

「ちゃんと照らしながら歩くから」

「下だけでいい」

「そうね」

 王女と対等に話せるということは、それなりの地位にあるのか。

 兄妹には思えないし、王女よりも身分が高い人間は国王くらいしか思いつかない。どう考えても不敬罪ではないのかと、柚子は二人の関係をつらつら考えた。

「あっ」

「忘れ物?」

「ど、どうして分かったの。じゃなくて、分かったんですか」

「何となく」

 ミリエランダが微笑んだように見えたが、今はそれどころではない。

 さっきのやり取りで、ハンドバッグを落としてしまったらしいのだ。あの中には祖父のメダルが入っている。鍵は奪われてしまったが、あれだけは誰にも渡せない。

『何があっても、できるだけ外に出さないようにしまっておくんだ』

 今ではアレックスの言葉も、重要な意味を持っていると思えてならなかった。

 もしかしたら、何か伝えようとしていたのではないか。夢の中で、祖父がそれっぽいことを言っていたような気もする。なのに思い出そうとすればするほど、内容がどんどん曖昧になっていくのだ。目覚めた時はあれほど鮮明に覚えていたというのに。

「あれを、取りに行かせてください。お願いしますっ、お願い!」

「あ、おい。暴れるな!」

「あたしが取ってくる。どんな形をしているの?」

「ミアッ」

「こんなに必死になって頼むくらいなんだから、大事なものなんでしょ」

「俺が行く。お前はここにいろ」

「ダメ。あんたね、その子はどうするの」

 青年の反論を封じた王女は、柚子からハンドバッグについての情報を得た。

 ほどなくして、カンテラの明かりが揺れながら遠のいていく。一本道だから大丈夫だと言い張る王女に、青年が押し付けたのだ。彼女が戻ってくるまで、この場から動かないという条件付きで。

「仲良いんですね」

「まあな」

 会話終了。

 何でもいい。とにかく痛みから気を逸らしたいのだ。痛いのは神経が無事である証拠だというが、このままだと頭がおかしくなってしまいそうだ。今までのように考えることも放棄してしまえば、それほど気にならなくなるかもしれない。

(王女との関係、聞きたかったな)

 単なる好奇心だ。

 ぽんぽんと弾むような言葉のやり取りは、二人の信頼関係を見せつけられているようで仲間外れにされた気分になる。そもそも仲間どころか、知り合いですらない。王女が、父の死についてどこまで知っているのか分からないし、助けてくれるのは何か「裏」があるからとも考えられる。

 無条件に信じるのは、ちょっと無理だ。

「持ってきたわよ」

「遅かったな」

「まあね、場所も聞いておけば良かったわ。手間取っちゃった」

 笑い混じりに答え、柚子にハンドバッグをあっさり手渡す。

 腹の上に置かれた感触を手で確かめて、ようやくまともな呼吸を取り戻せた。

「変わった形ね。それに、革でも布でもない物で作られているみたい」

「あ、ええと」

「そんなものは後だ。今度こそ、医療室へ行くぞ」

 青年のつっつけどんな台詞に怒ることなく、王女が歩き始めた。

 頼りになるのはカンテラの明かりのみ。一歩ずつ、柚子が閉じ込められていた牢屋から離れていく。この世界で初めて寝泊まりした場所だが、二度と戻りたいとは思わなかった。

(あ。なんだか、眠くなってきた)

 彼女たちは柚子の味方になるとは、限らないのだ。

 寝ている間に何をされるか分からないし、裏があるのではと思った矢先だ。それなのに揺られていると、勝手に微睡んでいく。寝るなと怒られるかなあ、なんてぼんやり思ったのが最後になった。


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