託されたもの・6
翌朝、ミリエランダはブレッソン大臣から小言を言われていた。
国王の代理として執務に励む王女の所へ、怒り心頭といった面持ちで乗り込んできたのだ。大臣の隣にはアンティガ将軍もいて、ご自慢の髭をしきりに撫でている。
「いいですかな、殿下」
「はいはい、もうやらない。大体のことは分かったし」
「ちっとも分かっておらんようですな。陛下はもう、いらっしゃらないのですぞ」
二人とも父、アレクセルが特に信を置いていた者たちだ。
アンティガ将軍は共に剣の腕を競い合った仲だし、ブレッソン大臣にはミリエランダと同じ年頃の娘がいる。城内では王女派とされているが、彼らは王女の味方をしているわけではない。その証拠に、王位を継ぐべきは直系の男児という考え方の持ち主である。
「ミリエランダ様のことですから、陛下の敵討ちを狙っているのだと思いますが」
「当然でしょ。父様は暗殺されたのよ、毒矢を受けて」
「毒矢!?」
身を乗り出した将軍を制し、大臣が静かに息を吐いた。
その様子からして、王女の見せたカードは予想通りの効果を出せたらしい。してやったりと笑みを浮かべたくなるのを必死に我慢して、無表情で書類に集中しているふりをする。
「殿下」
大臣が声を抑えて呼びかける。
「それは、まことですか」
「ええ、確かな情報」
「ブレッソン殿、これは由々しき事態ですぞ。犯人には協力者がいたことになる! こうしてはいられない。至急、捜索の手を」
「お待ちなさい、将軍」
二度も大臣に止められては、さすがに将軍もうんざりとした顔だ。
国王暗殺はシクリアを揺るがす大事件であり、その犯人を突き止めることは城内だけでなく、全ての国民が期待していることだ。ひいては早々に事態を収拾できねば、虎視眈々と狙っている他国が付け入る隙になりかねない。
「将軍は、心当たりがあるの?」
「ありません! ですが、アレクセル陛下は偉大すぎる御方ゆえに、かえて反感を抱く者がなかったとは言えん」
「不敬ですぞ、将軍」
「わしはな、ブレッソン殿。陛下のご無念を晴らしたいと、そう願っておるだけですっ」
「その言葉とっても嬉しいわ、将軍」
「ゆえにミリエランダ様には、ここで大人しくしていただければ、と」
「次に狙われるとしたら、あたしだものね」
「殿下!!」
顔を真っ赤にして怒る将軍は、本当にミリエランダの身を案じているのだ。言葉少ない大臣もまた、その気持ちは同じだろう。嘘でも偽りでもなく、その心を嬉しいと感じている。
(でも、これとそれは別)
アレクセルは生前、牢獄の存在と囚人たちの扱いについて頭を悩ませていた。
牢屋とは、一時的な捕囚所であるべきだ。どんなに重い罪を犯したとしても、人間であることは変わりない。ただ押し込んでおくだけの部屋に、どんな価値があるのか。
刑の執行前に狂ったり、死んでしまった者も多い。
原因の一つとして、牢獄全体の不衛生さがある。与えられる食事も栄養価に乏しく、衰弱させるために機能しているようなものだ。
ミリエランダは初めて、その牢獄の実態を見た。
見世物の動物と同じような状態の囚人たち。地下牢はいうまでもなく、あれほどに劣悪な環境だとは思わなかった。そんな所の最奥に、一人の少女が閉じ込められている。
国王を殺した犯人(の疑いがある)というだけで。
「おそれながら」
「大臣、どうぞ」
「は。ミリエランダ様は、真犯人の見当がついていらっしゃるのですね」
「城に出入りしている誰かよ」
「しかしながら、陛下は城下にあります街の裏路地で殺されたはず。外部の人間、という可能性も否定できますまい」
「他国が介入したとしたら、それこそ外交問題よ。どの国も仲良しこよしでやってるわけじゃない。こっちが国王の仇と名乗り上げたら、シクリアの味方に回る方が多いでしょうね」
「では何故、城の者だと?」
「犯人として捕らえられたのが黒髪黒目の娘だからよ」
大陸、それも南部では珍しい色合いだ。シクリアに限るなら、各地から連れてこられた奴隷たちにしかない色ともいえる。職人の街から生まれた国ゆえか、シクリアの国民は美しいものに対してのこだわりが強い。
黒そのものに対する偏見はないのだが、人間の外見となれば別らしい。
白い肌に金髪碧眼が最上の美とされる一方、黒髪や黒目の持ち主はそれだけで人間扱いされない。顔立ちや体の美しさは、色彩の次なのだ。
「ふざけた認識だわ」
実際、化け物呼ばわりされている娘が、何か特殊な能力を発揮した報告は皆無だ。兵士や牢番たちが怯えて近づかない、というのもある。しかもクラインが見に行った所、瀕死の状態だったという。
もう一つ気になる点があるのだが、まだ言わない方がいい。
「つまり王女は、捕らえられた娘が化け物ではないとお考えなのですね」
「ええ」
「証拠がない」
「化け物だっていう証拠もないわ」
「剣聖王と謳われたアレクセル王ですぞ。かなりの腕前か、化け物でもなければ太刀打ちできますまい。遺骸はそれはもう、滅多切りで……」
「将軍っ」
「あ、いや」
「滅多切り? 剣で斬られたような?」
ミリエランダの問いかけに、将軍の目が見開かれた。弾かれたように、大臣と顔を見合わせる。そして揃って、王女の顔を凝視した。
「そ、その通りです」
「将軍、犯人を捕縛したのは王立騎士団の者だったわよね。武器らしきものは見つかった?」
「な、何も……」
「王立騎士団も大したことないわね」
大げさなため息を吐いても、将軍は何も言い返してこなかった。
返す言葉がなかったのである。何の罪もない者を大罪人として牢獄に放り込んだ。冤罪という可能性も出てきてしまった。
「し、しかし今更、奴隷の一人や二人」
「アンティガ殿っ」
「……今の言葉は、聞かなかったことにします」
ミリエランダは立ち上がった。
真っ直ぐに扉へ歩いていけば、戸惑いながらも侍従が開けてくれる。外で待っていた護衛兵士が静かに目礼した。壁のほとんどが窓になっている執務室を出ると、廊下は随分と暗く感じられた。
しかし牢獄の暗さは、こんなものではない。
ずんずん歩いていくミリエランダに、王女付きの侍女が近づいた。
「お供を」
「必要ないわ」
「ですが」
「気分転換に、場内を散歩するだけ。王立騎士と神聖騎士の両団長を呼びなさい。夕食後で構わないわ。それまで、誰にも部屋に近づけさせないように」
「かしこまりました」
王女の様子に、何か察したのかもしれない。
侍女は恭しく頭を垂れ、去っていく背を見送った。
そして、招致された団長たちは王女に会うことはできなかった。ミリエランダはこの日より、忽然と姿を消したのである。