表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/73

王女ミリエランダ・3

 指が動いて、石を引っ掻く。

 爪を立てるほどの力は残っていないから、石同士の合わせ目をなぞっただけにすぎない。ぺったりと手を浸せば、特有の冷たさが肌を通じて感じられた。

(きもち、いい)

 地下牢に入れられて、何日経ったのだろう。真っ暗だから、何も分からない。牢番は毎日様子を見に来ると言っていたから、少なくとも二日以上は過ごした。食事は、もらえた記憶がない。食べたような気もするし、食べられなかった気もする。

 無性に、眠かった。

 流し続けた涙は枯れて、アレックスの血も乾いて、次に干乾びていくのは自分かもしれなかった。結局、ここが何処かも分からないままに終わるのか。それとも、まだ夢の続きなのだろうか。考えようにも、頭はどんどん靄がかっていく。

「おい!」

 鉄格子が揺れた。

 この音を知っている。初めてここへ来た時、通路を歩く度に煩く鳴っていた。他の囚人たちが騒いでいるのだと、誰かが言っていた。少しも気にならなかった音が、今は何度も繰り返される。

「ん」

「よし、生きてんな。って、死んでないだけか。とりあえず、医者だ。あぁ? 当たり前だろうが、早くしやがれ!」

「うるさ、い」

「ああ、良かったな。そいつは生きてる証拠だ。おい、分かってんだろうな?!」

 鉄格子の音だけでも喧しいのに、怒鳴り声は頭に響いた。

 良い感じに眠れそうだったのが次第に覚醒していく。無理矢理目覚めさせられる不快感に、柚子は顔をしかめた。もう何もかもどうでもいいのだ。アレックスはもういない。謝りたくても、その相手は死んでしまった。

「放って、おいて」

 意識がはっきりとしていくのに、体は相変わらず動かない。喋るのもひどく億劫で、頭上で鳴り響く大音量が早く止まればいいと願った。

 完全に眠りへ堕ちることができれば、全て終わる。

 それはきっと、間違いない。

「死ぬな!!」

 一際大きな声が、牢獄を揺るがした。

「ミアが、ミリエランダがお前に会いたがってる。俺はお前を、あいつに会わせなきゃなんねえんだっ」

 ミリエランダ。

 柚子は数度瞬きをした。実際は一回きりだったかもしれないが、喧しい男が口にした名前は憶えがある。そう、アレックスが最後に言っていた。

 城へ行き、ミリエランダに会えと。

「無理よ」

 尽きたと思った涙が、また溢れ出す。

 ミリエランダはアレックスの娘だ。父親の死ぬ原因を作った人間のことを、よく思っているはずがない。第一、どんな顔をすればいい。こみ上げる申し訳なさで、胸が詰まる。急に呼吸がしづらくなって、何度か咳き込んだ。

「まずいな。牢番の奴、まだ戻ってこねえのか。もし医者を連れてこなかったら、牢に放り込んでやる」

「ろう、ばんの…………人」

 鍵マニアの彼だろうか。

 語り始めると長いが、悪い人ではない。こんなことで牢屋行にされるなんて、ひどい。止めなくては、と柚子は鉛のような四肢に力を込めた。

「あ」

 浮いたと思った直後、べしゃりと潰れる。

「何やってんだ。大人しくしてろ! 今助けてやるから」

「いら、な」

「言っておくが、死ぬことだけは許さねえからな。俺じゃなくて、ミリエランダが許可しない。だから、お前は生きるしかない。その心に、ほんの少しでも良心があるなら」

 腹が立つ。

 石を撫でるだけだった指が、とうとう爪を立てた。引っ掻いても音らしい音は聞こえなかったが、柚子は怒っていた。ふつふつと煮えてくるものが、痛みを思い出させる。悔しい、哀しい、辛い。腹が立つ。心のどこかでいつも繰り返していた「どうして」が今頃になって、強くなった。

 どうして、ここまで言われなきゃならない。

(わたしは来たくて、この世界に来たわけじゃない!)

 褒めてくれたのはアレックスだけだった。

 黒髪黒目の外見は、生まれてから一度も変えたことがない。両親から譲り受けたものだ。そりゃあ美形だとか、可愛いとか自分で思ったことはない。だが、少なくとも醜くはない。

 勝手な言い分ばかり押し付けて、痛めつけられて、挙句の果てに牢獄生活。

「ふざけんじゃ、ないわよ」

 何度も崩れ落ちながら、柚子は半身を起こした。

 蹴られ、殴られた箇所が熱を持っている。手当らしい手当もしていないから、傷が悪化しているかもしれなかった。骨もどうかなっている可能性もあったが、医学知識のない柚子には判別がつかない。

 とにかく激情が、体を突き動かしていた。

「ひっ、う……動いてる!」

「生きてんだから、動くに決まってんだろ。で、あんたが医者?」

「は、話が違う!! 死にかけて動けないから、何とかしろと言われたんだぞ私は」

「見ての通り、ちゃんと死にかけてる。放っときゃあ、そのうち動かなくなる」

 勝手なことを。

 怯えた声に応じる男は、どこまでも失礼だった。ミリエランダと無関係ではなさそうだが、こんなのと知り合いなのか。少しだけ、落胆した。

「こ、こっちを睨んだぞ」

「おっ、挑発が効いたか? 自慢じゃねえが、こういうのだけは得意なんだぜ」

「別の人間に頼んでくれ。私は化け物の治療など、やりたくない!」

「へえ」

 声のトーンが落ちる。

 前方のぼんやりとした灯が、複数の人間がいることを示した。はっきりと見えるのは足くらいで、そこそこ良質の靴を履いている。ぴかぴかだ。

 そして、重そうな靴がぴかぴかな方を踏みつけた。途端に悲鳴が上がる。

「あんたに二つの選択肢をくれてやる」

「あ、足…………あしっ」

「選べ。死なない程度に怪我をしてから、こいつの治療をするか。五体満足で、こいつの治療をするか」

「痛い、痛いっ。足を、どけてくれえっ」

「うるせえ、よ!」

 甲高い悲鳴が、地下の牢獄に反響した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ