第1話ーアメリカンダイナー風カフェ〝シスターズ〟にてー
〝地獄〟を描くと決めたのは名胡桃ルミ自身だった。
美大に入って最初の夏休み明けに「古典作品から着想して作品を作れ」という課題が出た。
配布された課題文の下のほうには教授のピックアップした〝古典作品〟が羅列され、その中のひとつに日本の国宝『地獄草紙』があった。
名胡桃は直感でこれを選んだ。
〝地獄〟は洋の東西を問わず表現されているモチーフである。
一番有名なのは、オーギュスト・ロダンの彫刻『地獄の門』だろうか。
西洋絵画ではヒエロニムス・ボス『快楽の園』の右側。ミケランジェロ『最後の審判』などがある。
だいたいどの作品も人間が密集して苦しんでいるから「拷問テーマパークでウォーリーを探せ!」のような絵面になりがちだ。
だから大勢の人間を描くタイプの絵を目指してみようかと、名胡桃はアイディアを練ってみたのだが——。
「しっくりこない!」
自分で選んだモチーフに苦戦して、名胡桃はアメリカンダイナー風のカフェ〝シスターズ〟で吼える羽目になっていた。
「大変そうだね?」
向かいのレザーソファにちょこんと座る名胡桃の同行者——雲母坂真央は涼しい顔をしてフライドポテトをフォークで刺した。
真っ赤な店舗内装にお似合いの、白と赤のギンガムチェックワンピースがよく映えていた。
雲母坂はフライドポテトをケチャップにたっぷり浸けながら、名胡桃を上目遣いで見る。
「でも、人間をたくさん描くなら早めに手をつけたほうがいいんじゃない? 楽ちゃんはもう制作に入ってるんでしょ?」
「それはそう」
名胡桃は本当ならここに来るはずだった、楽ちゃんこと安楽百枝に思いを馳せる。
安楽も『美大油画科進学メンツでグルメバーガーを食う会〜予備校時代からの交友を温めよう〜』に参加する予定だった。しかし安楽は「いまから描かないと課題終わらないから、パスで」とクールなコメントをグループチャットに投稿。
結局、名胡桃と雲母坂、ふたりでの女子会になったのだ。
雲母坂だけ大学が違うから、名胡桃は久々に3人で集まるのを楽しみにしていた。一方で安楽の課題に入魂したい気持ちもわかる。集まれなくてもしかたない。
名胡桃は唸りながらギュッとバンズを潰して〝マグマバーガー〟にかぶりつく。溢れ出る肉汁とトマトチリソースが溶岩に見立てられているらしい。ピリ辛で美味い。
やけ食いに走る名胡桃へ、雲母坂は小首をかしげた。
「そもそも、モチーフを自分で選べるなら、描きやすいものを選べばいいのに」
「わかってないね、きらら」
口の端についたソースを拭って、名胡桃は人差し指を立てた。
「課題は強制的に描くものなんだから、普段描かないものを選んで描いたほうがお得でしょ」
本当に大好きなモチーフは自主的に描いちゃうものだ。
現に、名胡桃は放っておいても動物園やアニマルカフェに通い、頼まれもしないのに見て触って調べて食べて、動物を描きまくっている。
だからこそ、課題では描かない。
人間や建物など、自主的に描かないものを選んで、描ける手札を増やしたい。
そう語った名胡桃に、雲母坂は感心と呆れの入り混じった声をあげた。
「ストイック〜。そんなに頑張っちゃって。ルミちゃんはどこを目指してるの?」
「絵で飯を食える人間。なんでも描ける神絵師」
名胡桃は即答する。
「もうね、あたしはまともな社会人になれる気がしないの。わかってんの。会社員とか無理だって。好きなことしかやりたくないし、好きな格好しかしたくないし、好きな相手にしか愛想振りまきたくないわけ。絵を描くのは好きだし向いてる気がするから、ギリなんとかなる。と、思うんだけどぉ……」
途中で自信を喪失して、名胡桃の語尾がへなへなになった。
理由を察したのか、雲母坂は眉を八の字に下げる。
「ルミちゃん、作品は売れるのに接客のバイト全落ちだもんね」
「むしろ応募したあたしがバカだったと自分でも思う」
コンビニ。カフェ。スーパー。あらゆるファーストフードチェーンのレジ打ち。
人手不足だと言われがちなバイトでも全て不採用だ。
制作のため、まとまった時間を確保したいので、一般的な大学生より時間に融通が利かないのも原因だろう。
だが、名胡桃自身にもなんらかの問題があるのでは? と薄々気づいている。
「だってデザフェスに出たときも、きららに売り子頼んだときと、あたしがブースに立ったときとで売り上げが違うしさ……。あと明らかに通販のほうが売れてんだよな」
肝心の創作活動も対人イベントだと全然うまくいっていないのだ。
面と向かって言われたわけではないが「作品は好きだけど作家本人は好きじゃない。むしろ嫌いかも」みたいな反応をもらうと、ふつうにへこむ。
「あたしの顔が怖いのか? こちらのこだわり強めビジュのせいですか?」
グレージュに染めたウルフカットは気に入っているのだが、と名胡桃は鎖骨あたりまで伸びた髪を指でつまんだ。
外見を思いどおりにできないと気合いが入らず、シャッキリして外に行けない。そこがダメなのだと言われると、単純に、困る。
憂鬱な名胡桃に、雲母坂は苦笑して明るく言った。
「でも、動物病院の受付のバイトは受かってたでしょ? 今日のごはんだってわたしはそのお祝いのつもりで、ごちそうする気だったんだけど」
「最初の出勤で『化粧が濃すぎる』って言われたから秒で辞めたよ」
雲母坂が固まった。
気まずそうな空気をひしひしと感じて名胡桃はため息をつく。
しかもこの動物病院受付バイトは雲母坂が「ルミちゃんに合いそうだから」と紹介してくれたものなのだ。
「ごめん。あんたの顔を潰すような真似したと思うけど、あれはあたし悪くないわ」
動物に直接触る仕事ではないから身なりにそこまでの制限はないだろうと思っていたのだが、違ったわけである。「最初に面接で説明してくれ」と名胡桃は思う。
「……残念だな〜。ルミちゃん動物好きだし、ピッタリだと思ったのに。それにお化粧ダメなのも知らなかったよ。……ごめんね」
申し訳なさそうな雲母坂に、名胡桃は首を横に振る。
「いいよ、きららが謝ることでもないでしょ。まあ、お祝いにはならないから本日は別会計ということで……」
名胡桃は途中でひらめいて、言葉を切った。
「きらら、本当に悪いと思ってる?」
「え? もちろん」
「なら課題のアイディア出し付き合って!?」
雲母坂は「う〜ん」と悩ましい声をあげた。
「ChatGPTのほうが適任だと思う」
「ダメだね。あいつ便利だけどふつうのことしか言わないじゃん。たまに嘘吐くし。存在しない作品とか挙げてくるし」
パンッと両手を顔の前で合わせて名胡桃は雲母坂を拝んだ。
「急に聞かれても困るのはわかるから、なんでもいいよ! なんか……最近ビビッときた怖い話とか、映画とかない? きらら、ホラー好きでしょ?」
「え〜……?」
雲母坂は当然ながら困惑している。
「わたしが好きなのは『シャイニング』とか『サスペリア』とか、ちょっと時代飛んで『ミッドサマー』とかの、美術がおしゃれな西洋ホラーで、『地獄変』って感じじゃないんだけど。……」
口をつぐんだ雲母坂を見て、名胡桃は直感する。
「なんかあるんだ?」
ここぞとばかりに名胡桃が追及すると、雲母坂は「最近ずっと繰り返し見る夢があって……」と、渋々といった感じで答える。
「夢の話だから起承転結がはっきりしているわけじゃないし、地獄っぽい、かどうかはわからないんだけど……。起きたときにけっこう『嫌だったな』とは思うんだ」
「いいじゃーん! 話せばスッキリするかもだし、聞かせてよ」
名胡桃が興味津々で身を乗り出すと、雲母坂はしかたなさそうに語り始めた。
※
その夢の景色はほとんど同じ。登場人物も、雲母坂の行動も何ひとつ変わらないのだという。
雲母坂は決まって白い半袖のクラシカルなワンピースを着ている。
細かい花の模様が立体的なジャガード生地に、くるみボタンがズラッと並んでいるのを見下ろし、エナメルの白いパンプスを確認してから顔を上げる。
すると、青空に一面の白百合畑が広がっている。
ため息が出るほどすてきな風景を前に立ち尽くしていると、フッと後ろから影が差す。
雲母坂が振り向くと、真っ黒な日傘を持った、黒いスーツの男が立っている。
雲母坂を見るとスーツの男は愛想良く微笑んで、案内するように白百合畑の中を歩き出す。
スーツの男を避けるように白百合がたわんで、どんどん道ができていく。その道に沿って雲母坂はスーツの男の跡を追う。
夢の中で、雲母坂はそれが当然だと思っていて、少しも疑問を覚えたりはしない。
気が遠くなるほど歩いて白百合畑を抜けると、角砂糖のような建物が見えてくる。
きれいな立方体の家だ。スーツの男は傘をたたむとハイブランドショップのドアボーイよろしく玄関扉を開ける。雲母坂は促されるまま、家へと足を踏み入れてしまう。
雲母坂が廊下をまっすぐ進んで居間に出ると、昔の薬棚を模した黒いキャビネットが目に入る。キャビネットの上には細々としたかわいらしいインテリア雑貨が飾られているので、誘われるように近づいてみる。
白百合の生けられた花瓶。アロマキャンドル。砂時計。アクセサリートレイに真珠のネックレスとピアス。女の子の写真——。
雲母坂はいつもキャビネットを確認したところで強烈なめまいを覚え、思わず後ずさる。
背中にとん、とぶつかるものがあって、その正体を確認しようと後ろを見ると、部屋の梁から何かがぶら下がっていることに気づく。
肉の塊だった。
「〝枝肉〟だ」と雲母坂は思う。
ホラーゲームなどでたまに出てくる、皮や内臓を取り除いた状態で、巨大なフックに吊るされた食肉——〝枝肉〟がいくつもいくつも、剥き出しになった部屋の梁にぶら下がって並んでいる。解体したてなのか、濡れて血が滴っているものもある。
ここで初めて雲母坂は恐怖を覚え、一刻も早くこの場から立ち去らなくてはならないと焦り出す。
その瞬間を見計らったかのように、横からスーツの男に肩を叩かれるのだ。
そして——。
※
「そして?」
「目が覚めるんだよね」
ニコッと雲母坂は笑ってみせた。
話のクライマックスで盛大に肩透かしをくらった名胡桃は、前のめりになっていた姿勢を戻し、赤いレザーソファの背に軽くもたれかかる。
——夢だからしょうがないけど、結末がはっきりしないな。でも……。
名胡桃は雲母坂の夢にいくつかのインスピレーションを得ていた。
受けた刺激で頭がギュンギュン回転していくので、名胡桃は落ち着こうとバニラシェイクを一口飲み、口を開く。
「あんたの好きそうな……美術に凝った映画みたいな雰囲気だから、確かにオーソドックスな地獄っぽくはなかったね。でも、肉の塊がぶら下がってるあたりとか、かなり怖くない?」
「そうなんだよ〜。牛にしてはサイズが小さめだったから、豚の枝肉かな? なんか、夢を見るたび数が増えていく気がするんだよね〜。あはは」
「笑いごとか?」
名胡桃は呆れて、ケロリとした様子の雲母坂を見やる。
「繰り返しこの夢を見るんでしょ? よく平気だね?」
「うん。最近は毎晩これだけど、もう慣れちゃった。怖いのは最後だけで前半はきれいだし。別に現実で不幸があるわけでもないし」
「メンタル強……」
名胡桃はさらにバニラシェイクを啜りながら雲母坂の夢を振り返る。
雲母坂本人に堪えた様子はないけれど、『地獄の話を聞かせて』『怖い話とかない?』と尋ねてこの話が返ってくる理由は、なんとなくわかる気がした。
——青空と枝肉をのぞいてモノトーンなんだよな、きららの夢。黒いスーツの男とか白百合とか……。
雲母坂は優れた色彩感覚の持ち主で色鮮やかな絵を描くほうだ。ファッションもパステルカラーを好んで黒い服はほとんど着ない。
なので、雲母坂の夢に出てくる人や物が白黒というのは意外である。
そして、ストレートに不気味だった「肉の塊がぶら下がっている部屋」を除いても、けっこう死を暗示するモチーフが登場している気がするのだ。
キャビネットの上に載っていた小物を思い返して、名胡桃は眉をひそめた。
砂時計は「死が迫っている」「命は有限」、ろうそくは「命が尽きかけている」、宝石類は「富は死んだら無意味である」など、それぞれ死や人生の儚さを象徴しているという。
西洋絵画のテーマ「死を想え」によく登場するモチーフだ。
なによりもその組み合わせが、名胡桃には不吉に思えてならなかった。
白百合の生けられた花瓶。アロマキャンドル。女の子の写真。
極めつけに、薬棚のような黒いキャビネット。
——なんか仏壇みたいじゃない?
名胡桃はチラリと向かいを窺った。
雲母坂はノーマルなハンバーガーをフォークとナイフで器用に切り分け、口に運んでいる。
——あたしが深読みしすぎかな? 肝心のきらら本人が通常運転だし……。
雲母坂は何度も繰り返しこの悪夢を見ているという。
ホラーが好きで考察も得意な雲母坂が夢を分析した様子もないのは珍しい。
だが、深く考えないようにしているからこそ、こうしてふつうに過ごせているのかもしれない。
そう思うと、余計なことを言うのはためらわれた。
——別に、指摘することはないよね。そうしよ……。
「ルミちゃん、考え込んじゃってどうしたの?」
結論を出した瞬間、見計らったかのようなタイミングで問われ、名胡桃の心臓が跳ねた。
雲母坂は「大した夢でもないし、あんまり参考にならなかったでしょ?」と、笑っている。
「その、……きららを案内するスーツの男、最後に何か言いかけてるんじゃないの?」
名胡桃が取り繕ってとっさに言うと、雲母坂はパチクリと目を瞬いた。
夢の最終盤に出てくるスーツの男——肩を叩く、という所作からして明らかに雲母坂の注意を引こうとしているように思えたのだ。
口にした瞬間、名胡桃は気づいた。
「ああ、でも、なにか言われても聞こえないのか。きららが見てる夢、音がないっぽいもんね」
雲母坂の夢は色や光の印象が強いけれど、音については何も触れられていなかった。
「そういうタイプの夢もあるよね」と納得する名胡桃に、雲母坂はちょっと考えるそぶりを見せたあと、にこりと微笑む。
「そうかも。覚えておくね」
雲母坂が至ってふつうの態度だったので、名胡桃はホッとすると、意識して笑顔を作った。
「ね、いまの話参考にしてもいい? お礼にアイス奢るからさぁ」
頼み込む名胡桃に、雲母坂は「いいよ」とかわいく笑った。それから流れるようにメニューを開き、ストロベリーアイスクリームを指差してみせる。
ピンクと赤のマーブル模様が目に楽しいアイスは、いかにも雲母坂らしいチョイスだと名胡桃は思った。




