解体新書
社長は 98NOTE LaVie の画面を眺めながら悠然とネスカフェを楽しんでいるようだった。だが溜息を吐きながら指で島田君を呼び付けた。
「なんでしょう」
「春になったら受注管理部に新入社員が来るんだけど、これを見せたら受注業務を理解できると思いますか」
社長の前には複雑なツリーにまとめられた詳細な文書が開かれていた。
「無理だと思います」
「やっぱり」
「これってデータベースの設計書じゃないですか。説明書じゃないです」
「そうだよ。どうしたらいいだろう」
島田君はしばらく考えていたが、両手を広げながらこう答えた。
「家では父が新しい平面トリニトロンのテレビを買ったんです」
「それで」
「説明書には回路図なんてなかったです。リモコンのイラストが描いてありました」
「うーん。イラストは真子ちゃんなら描けそうかなあ」
名前を呼ばれた真子ちゃんが顔を上げて、なんですかとこちらを見た。
「イラストより受注入力画面のスクリーンショットを掲載したらいいんじゃないでしょうか。入力フィールドに番号を振って説明を付けるんです」
「なるほど」
「いいですね。それならきっとわかりやすいです」
島田君と真子ちゃんがうなずき合っているので社長も納得したようだった。
しばらく後。社長は美智子さんが EPSON LP-8300 から出力した納品書を手に取って眺めたり、美香さんの画面を後から見ていたりと不審な行動を取っていた。それから工場にも行ったり来たり。また面倒なことを言いそうなので誰も声をかけようとはしなかった。でもやっぱり島田君と真子ちゃんが指で呼ばれた。
「これを見てください」
Wordで作られたと思しき印刷物はA4で8枚あった。スクリーンショットのあちこちに丸番号が付いていて、対応する説明と手順が下に記述されている。真子ちゃんが受け取って評価する。
「これは先日の文書よりずっと見やすいです。これなら社員教育に使えると思います」
「それなら作った甲斐があった。でもそれは出荷用のCSVを書き出すところまでしか書いてない。受注業務はそれだけじゃないです。島田君はどう思う」
「受注管理システムの手順書を作るというお話でした。設計図の内容とほぼ一致しているようです」
社長は腕を組んで考えていた。それから美香さんと美智子さんを手招きした。
「新入社員用の資料はこれでは足りないよね。どう思いますか」
「そうですね。受注入力をするには電話の受け答えやFAXのメンテナンスも覚える必要があります。それから納品書印刷のExcelのCSV読み込み、プリンターの用紙カセット交換、印刷前後の確認、工場や営業とのやり取り。資料がなくてもひとつずつ教えるつもりでした。マニュアルはやはり必要でしょうか」
「教えるほうも資料があるほうが教えやすいでしょう。迷いが消えます」
いつのまにか斉藤さんが来ていて美智子さんと話していた。
「経理にも新入社員が来ることになってます。彼にもその資料を渡すんでしょうか」
「それは必要。受注レコードを取り出す方法を覚えてもらわないといけない。それも書いておかないといけないな」
「工場には新人は入らないんですか」
「予定はないです。でも工場も営業もクリエイティブも予定がないだけで採用しないとは決めてないです」
ということは、すべての部署のすべての仕事のマニュアルが必要になるのではないだろうか。なんとなく口を出しにくくて、誰もが黙ってしまったところに鈴木君がやってきた。
「おつかれさまです。これ今日の分の送り状控えです」
「ちょうどいいところに来た。鈴木君の意見も聞かせてください。業務のマニュアルをどこまで作るべきか考えてたんだけど」
手順確認。
受注管理部 (V200, VS26D) は受注管理システム (FileMaker Server 3.0J, FileMaker Pro 4.0J) の受注一覧画面からCSV書き出しを行う。ファイル名はデフォルトでnouhin.csvになる。
トヤマ運輸で発送される荷物はCSVをフロッピーに入れて工場に渡す。このときファイル名をlabel.csvに変更する。工場では担当の林君がPC-9821Aeで専用伝票を印刷する。発送後は送り状控え (伝票) を揃えて事務所に戻す。
それ以外の荷物 (営業部納品や大口発送) は別のCSVファイルを作って共有フォルダでPC-9821Xa12に渡す。帳票印刷に用いられるJUCHU2.XLSはもともと受注業務に用いられていたJUCHU.XLSを改造したものだ。受注一覧シートの読み込みボタンを押すとVBAでnouhin.csvの内容が取り込まれる。内容をチェックして帳票印刷から納品書、受領書、出庫票をA5でプリントアウトする。印刷した帳票を工場に送ると同時に使用したCSVも共有で渡す。
工場ではJUCHU2.XLSを複製したJUCHU3.XLSを用いて出荷内容を確認することができる。出荷後には出荷済みのチェックを付けてExcelファイルをそのまま事務所に渡す。
鈴木君の説明を斉藤さんが引き継ぐ。
「事務所に戻ってきた記録を受注一覧画面から1件ずつ反映させるのは私がやっています。美智子の手が空いていたら頼むこともあります」
「その流れを全部知らないと受注業務を覚えたことにならないだろう。困ったな。説明資料を用意するだけだったのに」
社長が頭を抱え始めたところに島田君が付け足す。
「いやちょっと待ってください。その手順は変更する予定だったはずです。工場にFileMakerが入ったんですから、納品用はCSVで渡さなくても現場で見られるようになります。発送用CSVだって工場で作って林さんに手渡せば早いです」
「工場で帳票印刷できるようにしないとその仕組みは作れない。すぐには無理です」
「予備のプリンターならLP-1500があるじゃないですか」
「あれはサポート切れで壊れたらおしまいの機械です。こんな重要な場所には使えません」
業務そのものに改善点がいくつもある。それを待っていたら手順書などいつまでも作れない。島田君は不満なようだ。
「まずは今の手順書を作って改修後に手順書も書き直すべきです。しかしこう大事になったからには工場長と話さないと進められない。みんな仕事に戻ってください。方針が決まったらまたお話しします」
終業後に工場に行くと残っているのは工場長だけだった。今日の生産記録はすでに入力されて在庫が更新されている。
「鈴木から聞いてます。システムの説明書を作るとか」
「それがね、FileMakerやExcelの説明だけじゃ意味がないとわかった。仕事と仕事がつながってる」
「それはそうでしょう。ひとりで仕事をしている人は会社にはいません」
我が意を得たりと社長が大きくうなずいた。
「だから会社全体の手順書を作るときが来たと考えました。仕入、生産、検品、保管、受注、出荷、集金、清掃すべてのマニュアルを作るんです。ここまで話せば続きはわかりますね」
「業務の棚卸。それから品質方針、目標設定、内部監査でしょう。ISO 9001 に挑戦しますか」
「コンサルタントは使いません。そのかわり時間がかかってもかまわない。やれると思いますか」
「準備を始めるのは賛成です。覚悟を決めれば最後までやれます」
「ではやりましょう。まずはFileMakerとExcelを中心としたシステム手順書を作ります。担当者は斉藤さん、島田君、鈴木君を考えています。それから他の業務にも広げます」
こうして方針が決定された。担当者たちは翌朝までこれを知ることなく、この夜は安眠することができた。




