Glück 3/3
「グリュックさんのことは知らないな。でも顧客番号がゼロで始まる顧客は筆まめ住所録から登録したとわかるから、その中で動きのあるところを抽出すれば要確認顧客リストはすぐ出る。訪問しなくても電話で挨拶すればいい。ローラーでやりましょう。私もかけますよ。しかし先代だけが知ってて記録が何も残ってないんだから、これも暗黙知って言うのかな。暗黙知なら資源化しないといけない」
知らなかったのに、知っていたかのような涼しい顔で社長が電話をかけるジェスチャーをした。
「商品マスターのほうは特注に切り替えて名称も変更しておきました。グリュック・オリジナル手帳です。先方がそう呼称しておりましたので合わせました」
「顧客マスターにも書いたの」
「はい。それから営業部内にも事例として周知しました。問題点がひとつあります。特注品は全量買取でうちでは在庫を持たないはずです。しかしグリュックではそうなっていません」
「経緯がわかるまではこのままにするしかない。だけどこのままにはしておかない。契約条件を見つけ出す」
「わかりました」
「それと電話で発送を止めた件」
「仮受注で入力した場合、在庫のあるものはオペレーターが受注に切り替えてしまいます。持ち出しはまた違う表示にしたほうが安全です」
「それはそうだね」
「それと、いつもので注文が通った件ですが」
「履歴を見たら定期的な購入はわかるから。まずは受注と営業とで議論をして、順番に良くして行きましょう」
「グリュックのような店はどうするのが正しいんでしょうか」
「大きい会社なら切るかもしれないね。標準の商品だけ売りたい、運用コストを節約したい、マスターデータはきれいに保ちたい。うちみたいな会社がそんなふうに顧客を切っていたらやせ細って倒れてしまう。中小企業はきれいな水には住めないんだ」
「いつも言われてる、現実は理論に優越するというやつですね」
「今は現実をどんどん飲み込んでシステムを育てる。データベースに例外商品は認めないと宣言した理由がこれだ。どんなものが来ても例外でない商品として扱わざるを得なくなる。これは理論の敗北でなく生存戦略。標準化が永遠に終わらなくなるだけです」
「商品企画としても裾野を狭くするのは好ましくないです」
「営業部は売れ筋に注文を集中させて効率化させようとしてる。一方で商品企画は裾野を広げる。うちにはどっちも大事なんだよ。止揚するしかないんだ。そしてコンピューターには弁証法的な可能性があると思う」
席に戻って自分の新しい肩書きについて考えていたら、山根が話しかけてきた。
「山下さん、今回はいろいろと大変でしたね」
「たいしたことないよ。疑問が解決してさっぱりした」
「もっと大きなチャンスを期待してたんじゃないんですか」
「データの歪みには意味があるということが確認できた。それだけで価値があった。あとは勉強したらいいだけだ」
「私も特注は大事にしたほうがいいと思いますよ」
「営業の仕事は標準品を売ることじゃなかったっけ」
「でも小ロットの仕様品から次の定番が生まれるかもしれないじゃないですか。それに紙の会社なんですし」
「紙の会社だからどうだって」
「紙は文化の器です。やっぱり大事にしたいでしょう」




