スピンオフ・坂上真子の物語 6/7
二礼二拍手一礼。正月はふたりとも帰省せず初詣に出かけた。どこにこれほどの人がいたのかと思うほどの群衆で粉物の屋台まで出ている。
「拓也君、元日から開いてる喫茶店が近くにあるよ。コーヒーは煮詰まってて美味しくないんだけど」
「美味しくないのは嫌だなあ」
「じゃあうちでいいか」
お湯を沸かしてカップを用意する。彼には豆を挽かせている。抽出したコーヒーをローテーブルへ運ぶ。砂糖やクリームは使わないのでスプーンもいらない。Macintosh Performa 5410 が田中君から借りた Penguin Cafe Orchestra のCDを小さめの音量で再生中。
「真子はドリップが上手くなったね」
「毎日やってればどんなことも上手くなるよ」
沈黙。仕事のことを考えたね。
「就職はもうあれで決まりなの」
「うん。俺なんて仕事が決まっただけましなほうだ。今の就職難はすごいよ」
「それで、どう考えてるの」
また沈黙。
「長野はそんなに遠くない。来ようと思えばすぐに来れる。そう考えてる」
ふたりの誕生日はどちらも都合が付かなかったので中間の祝日に会うことになった。
「これが有名なナポレオンパイ」
銀座をぶらぶら歩いたあとに入ったお店でホールが買えたのだ。
「イートインが満席でなかったらホールは買えなかった。かえって運が良かったね」
「このまま外で食べちゃいたい」
「フォークは入ってるけど外は寒いよ。でもすこしだけなら公園で」
「よし、じゃあ缶コーヒーは私が買うよ」
ベンチで箱を開けると甘いリキュールの香りがふわりと広がる。
「ものすごいカスタード。こんなに重いケーキだとは思わなかった」
「イチゴがおいしいな」
サクサクパリパリと生地を食べる。缶コーヒーもこうやって飲めばおいしいものだ。
「なんだか楽しい」
「そうだな。食べられるなら全部食べてもいいよ」
「残った分はうちで食べる」
翌月は私はウェブサイトのリニューアルにかかりきりだった。彼はもうすぐ帰郷して地元の軽運送会社に就職する。配属先は営業部の予定。例年より温かい春だとラジオのニュースで言っていた。桜はいっしょに見られなかった。
4月は会えなかった。そのあいだに新入社員の山代さんと野原さんが入社したりして慌ただしく、私のほうも掲載商品の再考などでけっこう忙しかった。
彼は新幹線で会いに来ると言った。そして翌月のある日、玄関のチャイムが鳴った。
「あれ、予定より早く着いたのね。昼食はもう食べたの」
「まだ。どこにも寄らずに来た」
「チキンライスと粉末スープならすぐ出せるけど」
「食べる」
うちにも運送屋さんの営業は来るから彼の仕事内容はよくわかる。彼はきっとがんばっているのだろう。
「ときどきはこっちから行ってもいいのに」
「だけど問題もあるだろう」
帰郷すれば実家に顔を出さないわけにはいかない。友人にも会う。自由に動くためにはお互いの両親に紹介するのが自然だ。彼はそれが問題だと思っている。
「私は別にいいのに」
「真子は心配しなくていいよ。俺がこれからも毎月来るから、それでさびしくないよな」
「コーヒーの焙煎もできなくなったよね」
「実家の台所の換気の問題だから親を説得すればなんとかなると思うんだけど」
食後のコーヒーを飲みながら彼は言った。
「今日は原宿でどうかな」
「やっと来れたのにのんびりしないの」
「せっかく来れたんだからいろんなお店を経験しておきたい。経験はきっと役にたつ。だから投資のつもりだ」
彼の言葉は私の心を不安にする。
「社長、ちょっとおたずねしてもいいですか」
「なんでしょう」
「投資か投資じゃないかってどう区別するんですか」
「なにそれ」
なんて説明すればいいのかな。
「私は毎月1万円の株式積立をしています。これって投資ですか」
「もちろん投資です」
「じゃあ宝くじはどうですか。1枚100円で当たったら100万円もらえます」
「それは投資じゃないです。回収計画がありません」
「当てる方法があったら」
「そんな方法があったら投資になるかもしれないね」
わかった。そういうことなんだ。




