スピンオフ・おうちはどこですか 2/2
朝礼後の制作部ミーティング。
「かおりちゃんの今日の仕事は」
「追加で登録することになった会計ノート18SKUの登録準備です。でも仕訳帳や総勘定元帳がどういうものか理解してから作りなさいって、神楽さんも社長も同じこと言うんですよ。なのでお勉強からです」
忙しそうだな。でも手伝える段階ではなさそう。
「私は今日は猫ちゃん優先です。でも何かあったらすぐ言ってね。それじゃあ今日も頑張りましょう」
どうして勤務中に猫のポスターやウェブページを作れるのか、それは社長が認めたからだ。得るものがあればよし。そういうわけで手を抜けなくなった。会社のサーバーに猫関係のファイルを一時的に置くことも許可された。仕事になったからだ。
動画をどうするか。専門誌にはこう書いてある。
Netscape独自の <embed> にIEも対応している。しかしどのように表示されるかはプラグインに依存するのでHTML側で完全に制御することはできない。将来のブラウザ環境を考慮するなら <object> も併用していこう。
そんな未来の話はさておき、制御のほうは問題がわかっている。動画再生のプラグインはいくつかあって、そのほとんどがページが読み込まれると同時に動画の読み込みを開始してしまう。自動再生をオフに設定しても無視されることが多い。
1.2MBの動画をダウンロードするのに数分間かかるとして、その電話代は閲覧者が払うことになる。そんなの不親切だ。リンクを設置するのが良いと思う。動画のダウンロードはこちらと書いておくのだ。
お昼休み。食事を終えた斉藤さんとかおりちゃんが猫ちゃんと遊ぶ様子を見ていた。遊べるくらいに回復したのだ。紙の切れっぱしでぶらぶらと両側から挑発されて子猫がキョロキョロしている。かわいい。
「かおりちゃんて、近くに住んでるんだよね」
「なんとか徒歩圏内というところです。猫ちゃんのことですか」
「土日でポスター貼りをするつもりなんだけど、どこに貼ったらいいか教えてほしいと思って」
「明日はお手伝いできないのですが、わかりました。場所は考えておきます」
ひとつずつ片付けていけばいい。ウェブページよし、動画よし、ポスターはこれから印刷だ。
「野原さん、インクジェット借りるね」
EPSON PM-750C の横に PowerBook 1400c を持って移動。プリンタのMac用ポートにケーブルを接続。WindowsのプリントサーバをMacから使うことはできない。
設定を確認後、ガタガタとA4のカラーポスターが印刷され始めた。枚数は50枚。
ポスターの下端に短冊状の切れ込みをハサミで入れていく。電話番号が印刷されているのを持ち帰れる仕組み。裏面にはあらかじめLP-8300でURLを印刷してあった。URLを書くならメールアドレスは書かなくていいという鈴木君の意見を採用して文字を大きめにした。
ハサミ作業は美香さんが手伝ってくれた。こういう作業が大好きな人だった。
ポスターを見て http://www.hinobungu.co.jp/neko/ にアクセスした人は保護猫情報と写真を見ることになる。そして動画はこちら、連絡先はこちら。メールアドレスはふだんは使っていない makochan@hinobungu.co.jp にした。仕事に使うのはinfoとshopだけだから。動画と写真は So-net にすでに置いてある。鳴き声の入った動画を選んだ。
これで準備は完了。かおりちゃんから掲示場所の候補一覧を受け取り、ポスターを持って帰宅する。明日手伝ってくれるのは山根さんと田中君。土日の猫ちゃんのお世話は社長と工場長が見てくれる。工場長なら安心だ。
会社の前で待ち合わせて発見場所の公園前に徒歩で向かう。公園内に掲示板がないことはかおりちゃんが確認済み。
「北側と南側の大通りを順番に当たるのがいいと思います。貼らせてもらえたお店はメモします。私と田中君で20枚ずつ、なくなったら今日はそこまで。連絡は私のPHSにしてください」
大通りには本屋、喫茶店、コンビニ、コインランドリー、酒屋さんなどがある。山根さんが仕切ってくれて助かった。残りの10枚は私がペットショップ、動物病院、神社にお願いに行くことになった。
動物病院を訪ねて受付でお願いしていたら獣医さんが出てきてポスターを見てくれた。
「元気になってよかったね。ポスターは待合室に貼っておきますので、見つかったら電話で教えてください」
しっかりと水を飲ませるようにと念を押された。アフターサービスがしっかりしていると思った。
最初のペットショップでは貼る場所がないと断られ、次のお店でレジ台の後ろに貼ってくれることになった。うれしかったので羽のおもちゃを購入した。そうしたら系列店が町の反対側にあるのでそっちの分も預かってくれると言った。世の中は持ちつ持たれつだ。
最後に向かったのは千歳稲荷社。特注の御朱印帳のお客様だ。かおりちゃんメモによると裏側に氏子会の集会場と掲示板があるという。でもまずは正面からご挨拶だ。宮司の須藤さんが待っているはず。
「お待ちしていました」
授与所のすぐ横の社務所の引き戸を開けると向こうから声をかけられた。私はお会いしたことはなかったけれど、社内では熊みたいな宮司さんとして知られている人だ。白衣と袴なのに熊なのね。なるほどなあと思いながらご挨拶をした。
「比野文具の坂上と申します。お電話でお願いした件でまいりました」
「はいはい。そういうのは慣れていますのでご安心ください。後ほど掲示板のところへご案内します」
お茶でもどうぞと座布団を勧められた。
「坂上さんはウェブの担当者なんですってね。どこかで専門的な勉強をされたんですか」
「いいえ、私は必要なことをその都度、覚えてきただけなんです」
「私にもできますかね」
神社でウェブ。目的がわからない。もしかしてネット通販がしたいとか。
「いやいや、私のことを商売人と呼ぶ人もおりますがね、そういう目的じゃないんですよ」
私の心を読み取った須藤さんは笑いながら説明してくれた。
「氏子会への連絡は電話網と回覧板なんです。手間ばかりかかるので電子化できないかと思ったんですよ」
「そうですね、ページを作るのは入門書を読めばすぐできます。でも回覧板をウェブに置き換えるなら、氏子さん全員にパソコンとインターネットを覚えてもらわないといけないと思います」
「そうですか。どうしようかなあ」
思いつきでよければ、御朱印帳やお守りの遠隔授与、祭りの案内、地域情報などウェブを活用するアイデアはないでもない。でも無責任なことを言うわけにはいかない。猫の件とはいえ会社の看板を背負ってきているのだから。
「参考になりました。ありがとう。それでは掲示板のところへご案内しますね」
本殿の横を通って小さな森を抜けると裏の道に出た。
「ここが集会場です。これが掲示板。氏子でなくても近所の人には使ってもらってます」
千歳稲荷社集会場。利用料金はひとり1時間100円、会員は半額と書いてある。20人くらい入れるとして会員なら全部で1,000円。高いのか安いのかわからない。その隣には私が作ったのと同様の迷い猫のポスター。キジトラの成猫だ。
「空いているところに3枚くらい貼れるでしょう。掲示板のご利用は無料です」
熊みたいな宮司さんがまた笑った。
山根さんに連絡して会社で合流。寝ている猫ちゃんを見ながら3人で休憩。
「半日で終わったね。追加するなら明日も手伝うよ」
「予定していた場所は終わったので、あとは待ちましょう。今日は手伝ってくれてありがとう」
買ってきた羽のおもちゃは猫ちゃんの箱の横にそっと置いておいた。起こしたらかわいそうだから。本当にあとは待つだけ。
月曜日は通常業務。公式サイトの使いにくい部分を見つけたので改善案をメモする。かおりちゃんのページ点検も行う。まったく普通の日だった。休憩する人はそっと猫ちゃんを見に行く。みんなが同じことを気にかけているのがおもしろいと思った。
メールは来ていない。夕方、営業先から戻った裕太さんがコンビニでポスターを見たよと話しかけてきた。何人かが連絡先を持ち帰ってくれている。動画を観てくれた人はいるのだろうか。アクセス数を調べられるようにしておくべきだった。
「猫ちゃんばいばい、また明日ね」
火曜日。美智子さんが半休なので、受注管理部の手がまわらないときはお手伝いする。私はもともとは雑用係だったので電話番くらい問題ない。それはかおりちゃんもなんだけど。考えてみたら変な会社だなあ。
お昼前に社長が話しかけてきた。
「社長会に須藤さんが来ていたよ」
社長会というのはルノアールで不定期に行われている若手経営者の集まりのこと。内容はほとんど雑談らしい。須藤さんは宮司であって社長ではないけれど、たまに参加しているそうだ。
「うちが前に契約していたリムネットを教えたよ。共用CGIで掲示板も作れるって話したら興味を持ってた」
「神社のウェブサイトを本当に作るんですね」
「内容は神社の由緒と迷い猫掲示板。できることからやるんだって。真子ちゃんによろしくとも言ってた」
そういうところから電子化するんだ。これは地域のお役に立ちそうだね。
「そのウェブサイトには仕事で関わるのですか」
「どうして。うちはそういう商売じゃないよ」
それもそうだ。
水曜日。裕太さんのすごいノートパソコンが届けられた。戦闘機のような端末だ。裕太さんは興奮して騒いだりする人ではない。だけど、まんざらでもない気持ちが表情から伝わってくる。560Xは次の持ち主のところへ送られる。
お昼休みに猫ちゃんを囲む会。
「目がかわいいです」
「尻尾がまっすぐなんだ。曲がってるものだと思ってた」
「たくさん食べるようになってよかったね」
買ってきた羽のおもちゃで遊んでみる。右に左にリモートコントロールだ。
席に戻ると PowerBook 1400c がメールを着信していた。漠然とした不安とともに開封する。
猫、探していました。
夕方にケージを持って現れた飼い主さんをみんなで出迎えた。若い女性だった。猫ちゃんを面通しして間違いがないと断言されるので丁重にお返しした。
公園の近くの住宅街の住人である後藤さんは介護生活のパート事務員と簡潔に自己紹介した。足が悪くてあまり出歩けないお母さんのために友達がくれた子猫がシロちゃん。あの日、窓に隙間が開いていてシロちゃんは外に迷い出た。お母さんは追いかけることができなかった。そしてきびしい残暑と日差しを受けて、外に不慣れなシロちゃんは行き倒れるところだったわけだ。
「今日は昼上がりだったのでスーパーでお買い物をして帰るところでした。ポスターを見かけて似ているなと思ったんです。それで帰宅してから動画をダウンロードしてみました。それを見た母が間違いなくシロだと言いました。手作りの首輪でしたので、写真と動画ですぐにわかったそうです。それで見にきたんです」
「出会えてよかったです」
後藤さんはお礼だと1万円を置いていった。固辞したけれど、どうしてもと引き下がらなかったので受け取り、病院代を出した私とごはんを用意した工場長とで分けることになった。
お別れのあと、みんなでよかったねと話した。さびしいと言う人はいなかったし言うべきでないとも思った。
トイレやごはんの残りは工場長が片付けた。なにかをやり遂げたような満足そうな顔をしていた。ポスターを貼らせてもらったお店には金山さんと田中君がお礼にまわってくれた。なぜかカタログを持参していて何冊かを置いてきたようだ。山根さんは冬用のひざ掛けをクリーニングに出していた。猫ちゃんの段ボールに敷いてあげたら毛だらけになって臭いまで付いてしまったので。
おもちゃを買ってきたのは私だけでなく、美香さんや斉藤さんもだった。それらは比野文具からのお土産として猫ちゃんに持ち帰ってもらった。
それから猫ちゃんのページを書き換えた。
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猫ちゃんは
無事におうちへ帰りました。
ご協力ありがとうございました。
比野文具株式会社
担当 坂上真子
1998年9月30日
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ファイル一式をフロッピーに収めて引き出しの奥にしまいこんだ。
So-netの動画も会社のサーバーのHTMLファイルも数日後には削除する予定だ。
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