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彼女編(相澤澪)

こちらは後編です。



イラストはClipStudioを使用して描いています。

挿絵(By みてみん)


 私は自分の顔が——嫌いだ。


「おい、愛人」


 きっかけは、その一言だった。

 彼は周りの男子を焚きつけ、いつも私に嫌がらせをしてきた。


 私の唇の左下には、少し目立つホクロがある。

 彼はそれを理由に、私を『エロい』だとか、

 将来は『愛人』になるだとか言って、揶揄った(からかった)


 小学三年生の男子が、その言葉の意味をちゃんと理解していたのかは分からない。

 私は正面から反論したし、クラスの女子も私の味方をしてくれた。

 勿論、学校側もきちんと対応してくれた。

 その後、私は彼と同じクラスになることはなかった。


 ——中学二年生になるまでは……。



 ◆


 私の二次成長期は、他の子より早かった。

 小学四年生で初潮を迎え、身長が一気に伸びて、胸が膨らみ始めた。

 体育で走ると、胸が揺れて痛くなった。


 母親から「ブラをしなさい」と何度も言われたけど、私はそれを拒んだ。

 周りにブラをしている子なんかいなくて、私だけ大人になったみたいで恥ずかしかったから。

 でも、ちゃんと言うことを聞いておけば良かったと、

 私は後悔することになる。


 五年生の宿泊研修初日。

 班行動で乗った電車で、私は知らない男にいきなり胸を掴まれた。

 周囲がすぐに男を取り押さえたけど、

 私は恐怖で過呼吸を起こし、意識を失った。


 すぐに親が呼ばれ、私は泣きながら帰宅した。


 それから——

 私は、大きめの服しか着られなくなった。

 人混みが怖くなり、友達と外で遊べなくなった。



 ◆


 小学校を卒業し、地元の中学へ進学した。

 私服で良かった小学校とは違い、中学は学校指定のセーラー服と体操服を着なくちゃいけない。

 大きめのサイズを購入して、胸が目立たないように、いつも背中を丸めて生活した。

 プールも、親に頼んで見学させてもらった。



 中学二年のクラス替え。


「あー!お前、『愛人』じゃんか!」


 隣の席になったそいつは、ニヤニヤ笑いながら私を指さした。

 ——あの男の子だった。


 そいつは周りの男子を巻き込み、再び私に嫌がらせをするようになった。

 私の椅子に足を乗せたり、教科書に落書きしたり、背中に「愛人」と貼り紙をしたり……。


 そんなことはまだ我慢できた。

 私が一番嫌だったのは、彼が私の背中を触ることだった。

 背筋を、上から下へ。ツーっと。

 ゾクッとして、変な声が出る。

 飛び上がった私を、あいつは気持ちの悪い目で見るのだ。

 嫌で嫌で、たまらなかった。


 でもなんとか耐えられたのは、クラスの女子達が私の味方をしてくれたから。

 ——だけどそれは、夏休み前までだった。



 ◆


 夏休み明け。

 教室に入ってきたあいつは、別人になっていた。

 背がぐっと伸び、顔つきから子どもっぽさが抜けて男らしくなった。


 すると、今まで私を庇ってくれていた女子達の態度が一変した。

 何故か、私に嫉妬し始めたのだ。

 なんで?

 嫌がらせをしてくるのはあっちで、私は被害者。なのに、どうして?


 私は男子だけでなく、

 クラスの女子からも無視されるようになった。



「しょうがないから、俺がお前を守ってやるよ」


 九月。登山合宿のキャンプファイヤー。

 そいつは、私を人気のない場所へ無理矢理連れ出し、ぶっきらぼうにそう言った。

「だから俺と付き合え」

 ——そんな言葉が、後に続いた。


 お前は、なにを言っている?


 怒りで目の前が真っ赤になった私は、そいつを思いっきり突き飛ばして走った。

 それが、地獄への幕開けになるとも知らずに……。


 地味な私が、生意気にも彼を振った。

 そんな噂が一人歩きし、女子からの虐めは陰湿さを増した。

 加えて、あいつからの嫌がらせも続いた。

 それまで見たことない顔で私を睨みつけ、あいつからの暴力で怪我を負うこともあった。



 三年生になり、彼とは別のクラスになった。

 でも、悪い噂を鵜呑みにした新しいクラスメイトから、私は受験ストレスの捌け口にされた。

 教科書を破かれ、上靴を隠され、鞄を窓から捨てられた。

 私は下を向いて耐えた。

 クラスで私を救ってくれる人なんて、誰もいなかった。

 勿論、担任にも相談した。でも、真剣に取り合ってはくれなかった。

 先生たちも、受験でピリピリしている生徒たちを無駄に刺激したくなかったのだろう。


 朝、学校へ行こうとすると足がすくみ、

 激しい動悸と息切れがして、涙が止まらなくなるようになった。

 弱い自分を親に知られたくなくて、私は自分の状況を隠し続けた。


 でも——

 中三の夏休み明け、私はついに学校へ行けなくなってしまった。



 ◆


 高校は通信制を選んだ。

 授業はリモートで、通学は年に二回だけ。

 そのたった二回すら行けなかった。

 三年間、私はずっと家に引きこもった。


 言葉だけの繋がり——ネット上の友達は、沢山できた。

 でも、現実の友達は一人もいなかった。



 高校卒業後、進学もせず、仕事もせずに、引きこもり生活を続けた。

 二つ下の弟は大学に進学し、就職し、まっとうに成長して、私を軽々と追い抜いていく。


 家族は、私に何も言わなかった。私の好きにさせてくれた。

 でも、それが何より辛かった。


 社会不適合者。

 ニート。

 穀潰し。


 情けない。

 自分で分かっていても、どうにもならない。

 どうしても外には、出られなかった。



 ◆


 数年後、世界中で新型コロナウイルスが蔓延した。

 マスク着用が義務化され、外出禁止令も出た。

 誰もがこの異様な事態に戸惑った。


 でも、私にとってこれは——

 大きなチャンスだった。


 私は玄関の下駄箱の奥から、埃まみれの靴を引っ張り出した。

 ふと横を見ると、玄関の壁鏡に、大きなマスクと前髪でほぼ顔を隠した自分が映った。

 こいつは誰?

 思わず、ふふっと可笑しくなった。


 ドアノブに手をかける。

 途端に嫌な記憶がフラッシュバックして、目が回る。

 息が苦しい。

 涙が出る。


 私はそれから一時間以上かけて、ドアノブを回した。



 6年ぶりの外の世界は、一変していた。

 すれ違う人全員がマスクで顔を隠し、一定の距離を保っている。

 挨拶もしない。

 目も合わせない。

 この世界は、誰も私のことなど——見ていなかった。


 たったそれだけのことが、どれほど嬉しかったことか。

 私は、少しずつ外へ出られるようになった。


 世界にとっては、コロナ禍は異常事態。

 でも、私にとっては快適な世界だった。

 マスクはもはや私の顔で、なくてはならないものになった。

 


 しかし数年で、コロナは「特別」ではなくなった。

 世界は急激に元の姿へと戻っていく。

 私は、再び世界から弾かれる恐怖に震えた。



 ◆


 コロナ禍が終わっても、街からマスクが完全に消えることはなかった。

 ——嬉しかった。


 私は、極力人と関わらずにすむ、大手通販サイトの倉庫作業のアルバイトを始めた。

 朝、最寄りの停留所から通勤専用バスで出勤する。

 倉庫内で働く人の殆どが、私と同じようにマスクを付けている。

 沢山の人が働いていたが、仕事は常に一人作業。

 集荷ロボットがピッキングした品物を、箱に詰めてレーンへと流す。

 誰にでもできる簡単な作業だったが、初めて、社会の一員になれた気がした。


 でも……。

 一日働いても、誰とも喋らない。

 そういえば家族とすら、暫く話していない。

 声の出し方を、忘れそうだった。


 このままじゃいけない。

 そんなことは——分かっていた。



 ◆


 その日、いつもお弁当を食べる食堂の指定席が、埋まっていた。

 壁向きの一列席の、一番右の端。

 マスクを取っても誰にも顔を見られない、私の安息の場。

 昼休み時間は45分。

 それならどこか別の場所……と、思い当たったのはトイレの個室。

 嫌だ。

 あんな惨めな思いは二度としたくない。


 仕方なく、私は外へ出ることにした。


 季節は春。天気もいい。

 倉庫の隣には、特になにもない広い公園があった。

 通勤バスから、毎日何気なく見ていたその公園へ、私は行くことにした。


 公園にはベンチがいくつかあったが、近くに人影はない。

 遠くにぽつんと、コンビニ弁当を食べているサラリーマンがいるくらいだった。


 私は小道から外れたベンチに座って、弁当を広げ、マスクに手をかけた。

 ——外でマスクを外す。

 それは私にとって、大きな試練だった。


「……ハァ、ハァ……」


 涙が出た。

 たった、これだけのことがうまくできない。

 情けないし、悔しかった。


「大丈夫。大丈夫」


 私は何度も深呼吸をして、震える手でマスクを外した。


 息を大きく吸って、吐く。


 二十二年間生きてきて、

 こんなに一生懸命に息をしたのは初めてだった。

 鼻の奥がツーンと痛んだ。

 いつもと同じはずなのに、その日食べたお弁当は特別美味しく感じられた。


 それから何回か、私はあの公園でお弁当を食べた。

 でも、あのなんとも言えない高揚感は、二度と味わうことはできなかった。



 ◆


 その日も、私はいつものベンチでお弁当を広げた。

 マスクを外すことに、もう躊躇はない。

 それよりも、今日は食後に食べようと思って持ってきた、大好物が気になって仕方ない。


 毎年、おばあちゃんが送ってくれる大福。

 マシュマロのようなお餅の中に、苺と栗が丸ごと一個ずつ、

 それにバナナとあんこ、生クリームまで入ったケーキみたいな大福。

 昨日届いたそれを、ニマニマ見つめていた私は、油断していた。


「腹減った……」


 真後ろの、背向かいのベンチに、誰かがドサッと座った。

 驚きすぎて体が動かない。

 目線だけ横にずらすと、

 ベンチの背もたれに、白いシャツの袖をまくった男の肘が見えた。

 男は私のことなど気にも留めず、カシャカシャとコンビニ袋を漁る。

 私は緊張で縮こまり、下をむいたままギュッと目を瞑った。


 ペリペリ。

 何かを剥がす音がする。

 バリっ。

 微かに漂う磯の香り。


 ——おにぎりだ。

 男はたった三口で食べた。それも続けて三つも。


 続いて、箸を割る音と甘酸っぱい匂い。

 多分、ナポリタンだ。

 ガツガツ。

 そんな効果音がぴったりくる食べっぷり。


 最後にペットボトルの封を開け、一気に飲み干す。


「ふー、食った」


 男は満足そうにそう呟き、続いて空の容器を袋にまとめる音が聞こえた。


 私はその間、微動だにできなかった。

 真後ろに知らない男が座っている。

 マスクのない状態で、他人とこれほど近い距離にいるなんて、無理。

 今すぐ逃げ出した。

 でも、身体がすくんで動けない。


 一人、パニックになっていると、男がベンチから離れる気配がした。

 途端に体が弛緩する。

 ホッとしたのと同時に、どっと変な汗が背中を流れた。


 もうお弁当どころじゃない。

 私は震える手でマスクに手を伸ばす。

 でも目線のその先に、さっきの男らしきサラリーマンの後ろ姿が見えた。

 思わず目で追うと、彼は足早にどこかへ向かっているようだった。


 その先にあったのは、ピンクのキッチンカー。


 そういえば、先週から公園の入り口にクレープのキッチンカーが停まっていた。

 男は店主に話しかけ、キッチンカーの前に並んだ椅子に座る。

 遠目だが、なんとなく上機嫌に見えた。


 暫くすると、フルーツ盛り盛り、

 生クリームでパンパンに太ったクレープが男に手渡された。


「……まだ食べるの?!」


 思わず声が出た。

 クレープを夢中になって食べる男を見ていると、きゅ〜とお腹が鳴る。

 なんだか可笑しくなった。


 私は膝の上に載せたままだったお弁当をベンチに置いて、ランチバックにある大福に手を伸ばした。

 柔らかくて大きな大福。

 それに、大口でかぶりついた。

 一口目で苺に当たった。

 生クリームと甘酸っぱい苺。それに粒あん。

 幸せな味がした。


 あそこにいるのは、誰だか知らない人。

 それなのに、

 一緒に食べているような気がして、なんだか嬉しくなった。



 ◆


 初夏に入り、日差しがきつくなると、私は公園へは行かなくなった。

 今年も例年と同じ猛暑。

 でも倉庫内は冷房完備で、季節を感じるのは通勤時だけ。

 いつもと同じ作業。

 代り映えのない毎日。

 気づけば、あっという間に秋になっていた。


 久しぶりにあの公園へ行ってみると、キッチンカーが茶色に変わっていた。

 看板を見ると、メインメニューにはケバブの文字。

 薄切り肉と野菜を、薄いパンに挟んだトルコの料理。

 炙った大きな塊肉が二つ、キッチンカーの目立つところでクルクルと回り、

 スパイシーな匂いが、公園中に漂っていた。

 その匂いに誘われたのか、キッチンカーの周りには人だかりができている。

 私はキッチンカーの横を足早に通り過ぎ、いつものベンチに座った。


 ここからだと、キッチンカー全体がよく見渡せた。

 簡易テーブルには、カップルが三組。

 店主は、スーツ姿の男性客二人に対応中だ。


 遠目でそれを見ながら、お弁当を広げてマスクを外した。

 久しぶりの解放感。


 仲良く食べるカップルを見て、少しだけ羨ましいと思った。

 私だって、本当は誰かと一緒にご飯を食べたい。

 でも、ご飯を食べるにはマスクを外さなくてはならない。

 顔を晒すのは、無理。

 だから……。


 一緒に食べさせてもらいます。

 勝手に手を合わせた。我ながら痛い。


 店主は塊肉から薄く肉を削ぐ。その手際の良さに目が惹かれる。

 スーツの二人組にはそれぞれ二つずつ、大きなケバブが手渡され、

 二人はキッチンカーの前に並べられた椅子に座って食べ始めた。


 二人とも食べるペースが速い。

 あっという間に食べ終えると、一人はスマホを取り出し、

 もう一人は立ち上がって、店主に話しかけた。


 暫くすると、彼は店主から二つの包みを受け取った。


「まだ食べるの?!」


 ガツガツと勢いよく、また食べ始めた彼を驚きながら見ていると、バチっと目が合った気がした。

 私は慌てて目を伏せた。

 これだけ距離があれば、私が見ていたことなんて分からないはず。


 それなのに……。


 見られている。

 そんな気がして心臓が大きく跳ねた。

 私は慌てて食べかけの弁当をしまい、キッチンカーとは反対側の出口から公園を出た。


 ドキドキする。

 顔が熱い。


「っ!!」


 無意識に手を頬にやって、そこで気が付いた。

 ——マスク、してない。

 私は口元を手で隠して、急いで公園へと引き返した。


 ベンチには、マスクがぽつんと一枚。

 良かった。

 慌ててそれをつける。

 脱力して何気に目線を上げると、茶色のキッチンカーが目に入った。


 あのサラリーマンはいなかった。

 ホッとした。

 でも同時に、なぜかもの寂しさを感じていた。



 ◆


 私は、おかしい……のかもしれない。


 あれから何度も公園に通った。

 キッチンカーは暫くして、茶色から黄色に変わり、カレーのいい匂いが公園に漂うようになった。

 美味しそうにカレーを食べる人たちを見ながら、私はいつものベンチでお弁当を食べた。


 初めは、

『誰かと一緒にご飯を食べたい』

 のだと思っていた。


 でも、そうじゃなかった。

 あのサラリーマンと目があった、あの瞬間。


 私の胸の奥に湧き上がったものは、なんとも言えない、

 ゾクリとした高揚感だった。

 あの時のことを思い出すと、ゾクゾクしてウットリとたまらない。

 心の底から湧いてくる欲望。

 あれをもう一度体験したくて、私は今日も公園へ出向いた。


 でも——


 誰も私に、気が付かない。

 誰も、私を見てくれない。

 当たり前だ。

 それなのに……。


 見て。

 ねぇ、私を見て!見てよ!!


 自分でも意味が分からない。なぜこんなことを思うのか。

 こんな私はきっと、

 どこかおかしいに違いない……。



 ◆


 それから数か月。

 私は、悶々とした毎日を送っていた。


 素顔を晒すのが、怖い。

 それなのに、誰かに見て欲しいという欲望が、どうしても止まらない。


 私だって、もう分かっている。

 自分の顔と身体が、男性から『そういう対象』として見られていることを。

 私を虐めていた彼が、私を意識するあまり、ああいう行動に出ていたことも。


 だから顔を晒し、身体のラインがはっきりする服を着れば、

 簡単に『見て』はもらえることだろう。


 でも、それは違う。

 私が欲しいのは——それじゃない。


 今までずっとそういう目で見られ続けてきた。

 私を上から下まで舐めるように見る、あの気持ち悪い視線。


 見られたいくせに、あの目で見られるのは絶対に嫌だ。

 自分でも、どうしたらいいのか分からない。

 矛盾した欲求を抱えたまま、時間だけが過ぎていく。


 季節は秋から冬に移り、

 私はまた、公園へ行かなくなった。

 代り映えのない毎日。

 独りきりの私。


 ——でも。

 そんな私に、大きな転機が訪れる。


 ついに見つけたのだ。

 私の欲望を完璧に満たす方法を。



 ◆


 動画配信。


 なにを見てもらいたいのかは、こちらが決める。

 見てもらいたいものだけを、一方的に流すことができる。


 そう考えただけで、

 目の前がチカチカして、意味もなく叫び出しそうになった。

 こんなことで、ここまで浮かれるなんて……。

 自分でも、ちょっと引いた。


 やることは決まった。

 でも、ここで気づく。


 一体、なにを撮ればいいの?


 一番人気はダンス。

 次はゲーム実況。

 歌う?

 無理。どれもハードルが高すぎる。


 そして、辿り着いたのが、

 ただ黙って『ごはんを食べる』だけの動画だった。


 意外にも、多くの人たちが配信している。

 顔を出している人が多かったが、誰だか分からないように隠した動画もある。


 これなら私でも、出来そうな気がした。

 素顔を晒さず、

 喋らず、

 ごはんを食べるだけなら……。


 早速、動画を撮ってみる。

 スマホのカメラアングルは、口から下。


 ——しかし、これが意外と難しい。


 土日を使って、朝昼晩。

 計六食分を撮った。

 でも、うまくいかなかった。


 なかなかコツが掴めず、

 納得いく動画が撮れるのに一か月近くかかった。



 ◆


「見たいけど、怖くて見られないよぉ」


 12月2日、午後7時。

 それは、私の初めての動画がアップされる日時。

 その日は朝からソワソワして仕事が手に付かなかった。

 部屋で時間になるのを待つ。


 7時ジャスト。

 ——見られない。


 5分経過。

 ——まだ無理。


 30分経過。

 ——気になる、けど見れない。

 見たいけど、やっぱり無理。


 そんなことを繰り返しているうちに、一時間が経っていた。

 そろそろ、お腹も空いてくる。


 私が、黙々とご飯を食べるだけの動画。

 そんなものに、本当に需要があるのか、今更ながら怖くなった。


「ああ、もう無理!!」


 ずっと握りしめていたスマホを机に置き、私は夕ご飯を食べることにした。



 次の日。

 仕事へ向かうバスの中で、私は何度も深呼吸しながら、自分のチャンネルを確認した。


 再生回数……13回。

 コメント……なし。

 チャンネル登録者数……なし。


「っ!」


 思わず、胸の前でグッとガッツポーズする。


 13回!

 私の動画を13回も誰かが見てくれた。


 ヤバい。

 どうしよう……!!


『見られた』という喜びに、マスクの中の口元がだらしなく緩んだ。

 嬉しすぎて、小躍りしそうだった。


 記念すべき初投稿は、

 大好物の酢豚をメインに、ごはんと味噌汁、それからほうれん草の胡麻和え。

 なんの変哲もない、普通のご飯を、ただ黙々と食べているだけのもの。


 それでも、

 どこかの誰かが、

 わざわざ選んで『見て』くれたのだ。


 昨日に続いて、今日も仕事が手に付かなかった。



 ◆


 それから私は動画をアップし続けた。

 再生回数は少しずつ伸びていった。


 初めてのチャンネル登録者を見た時、思わずコメントでお礼を伝えた。

 食べて欲しいメニューのリクエストがあれば、応えたりもした。


 私にとって、視聴者は『かけがえのない大切な人』だった。


 ——————————————————————————————


 炊き立てご飯

『ご飯を美味しそうに食べられる人は、それだけで才能だと思います。』


 食券2枚

『ちゃんと味わって食べているのが伝わります。』


 田中の昼

『会社帰りに見るのが習慣になりました。』


 ——————————————————————————————


 どのコメントも、優しさに溢れていた。

 そんな人たちに『見て』もらえることが、心から嬉しかった。



 でも——

 チャンネル登録者数が50人を超え、一つの動画の再生回数が400回を超えた頃から、

 コメント欄に、『そういうこと』を書く人たちが現れ始めた。

 ショックだった。

 同時に、私に代わって撃退してくれる人たちの優しさに、泣きそうになった。



 私はその後も投稿を続けた。

 でも、登録者数が100人を超えた頃から、動画の再生数が思ったように伸びなくなった。


 再生数じゃない。

 ただ『見て』もらえるだけでいい。

 そうだったはずなのに、

 一度味わってしまった快感は、まるで麻薬のように私を蝕んでいた。

 私は再生数を気にするあまり、無意識のうちに——


『そういう人たち』が喜ぶ動画を、アップするようになっていた。


 数字は伸びた。

 その代わり、ずっと私を支えてくれていた人たちのコメントは、

 少しずつ減っていった。


 ——————————————————————————————


 隣の席

 『ねぇ、ホントは見られるのが好きなんでしょ?』


 ——————————————————————————————


 そのコメントを見て息をのんだ。

 私のあさましい願望を見透かされた気がした。


 不特定多数の人に向けて自分を晒すということは、見る側を選べないということ。

 そんな当たり前のことを、

 私はその時になって、ようやく理解した。

 そして初めて、自分がしてきたことを、心から怖いと思った。


 その日を境に、私はコメント欄を見るのを止めた。

 再生数を気にすることも、止めた。


 初めの頃の、あの狂おしいまでの高揚感は、もうない。

 それでも私は、動画をアップし続けた。

 欲望に勝てない、浅ましい自分を嫌悪しながら——



 ◆


「いいなぁ」


 夜。窓を開けて部屋で独り晩酌。

 まだ半分も飲んでいないのに、もう酔いが回ったらしい。

 月が羨ましい、だなんて。

 私はあの月のように、誰かを照らすことなんて出来ないのに……。


 独りを実感すると心が弱くなる。

 そういう時に、ふと感傷に浸ってしまう。


 たった一人でいい。

 私の全部を、まるごと『見て』くれる人が欲しい、と。


 動画配信で、いくら欲求を満たしても心は満たされない。

 動画の再生数がどれだけ伸びても、本当の私を知る人なんて、どこにもいない。


 初めは、一方通行でいいと思っていた。

 ただ、見てくれるだけで、それで充分だった。

 それなのに、今はこんなに苦しくて、つらい。


 滲む目で月を見上げながら、

 私は一気に缶を煽り今日も配信の準備をする。


 誰かに見られる——

 その、ほんの一瞬のためだけに。



この物語を元にした曲を作成し、YouTubeにアップしています。


もしよろしければ

ARISATO | Story & Song 


もしくは、

ひとりご飯を、ふたり食べる 

で検索して聴いていただけると嬉しいです。


リンクはこちら↓

https://youtu.be/X5TThmiMVxA

他にもオリジナル短編小説を元にした曲を投稿中です!


▶ https://www.youtube.com/@ARISATO-g1v


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