彼編(風原陽介)
こちらは前編です。
後編となる彼女編は来週投稿予定です。
イラストはClipStudioを使用して描いています。
俺は、まだ薄暗いアパートの階段を降りた。
朝の空気は澄んでいる。
昼間とは違って、道で誰ともすれ違わない。
ラッシュを避けて電車に乗る。
この時間帯なら座れる。
イヤホンを付け、スマホで動画を適当に流す。
特に何かを見るわけじゃない。ただの日課だ。
駅から会社へ向かう途中、
コンビニでドリップコーヒーだけを買う。
朝はこれだけ。もう何年もそうだ。
ミルの機械音と、漂う焙煎の香りがたまらない。
誰もいないオフィス。
無音の空間に、パソコンの起動音が響く。
——さてと。
今日も、いつもと同じ一日が始まる。
俺は機械メーカーの営業。
午前中は外回り。たまに後輩が同行することもあるが、基本は一人。
昼飯は、丼ものチェーン店やファストフード。時々、公園でコンビニ飯。
パッと済ませ、ゆっくり味わうことはない。
午後は帰社し、資料作成や会議に出る。
それが俺の日常。
◆
「先輩、最近ハマってる動画があるんスよ」
今日はアポなし、内勤日。
久しぶりに社内食堂で、後輩と昼飯を食べていると、
先に食べ終わった後輩が、スマホを片手に声をかけてきた。
俺がスマホをいじりながら飯を食う奴が嫌いなのを、コイツはちゃんと分かっている。
「これ、ただご飯食べてるだけの動画なんスけど
——ちょっといいんスよ」
画面には、顔の下半分だけが映った女性の上半身が映っていた。
鼻から下しか見えないが、着てる服と雰囲気から、たぶん若い。
彼女の左の口元にあるホクロに、自然と目がいく。
彼女は何も言わずに、胸の前で手を合わせると、
綺麗な所作で箸を取り、おもむろにカツ丼を食べ始めた。
「?」
後輩がなぜ俺にこの動画を薦めたのか、意図が分からない。
その時、彼女がペロリと唇を舐めた。
その仕草に俺はなぜだかドキッとする。
「……これのどこが良いんだ?」
動揺を隠し、カツ丼を掻き込みながら聞く。
すると後輩は、残念そうな目で俺を見ると、肩をすくめた。
「先輩は、僕と同じで、寂しい一人暮らしじゃないっスか~」
「なにが言いたい?」
意味不明の答えに、俺は丼ぶり越しに後輩を軽く睨む。
「ちょっ、そんな怖い顔しないでくださいよ!
……僕が言いたいのは、疲れ果てて真っ暗な部屋に帰って、
一人でご飯食べてると、
すんごく寂しくなる日ってありますよね?」
「……だから?」
「 ほら、カツ丼!
先輩が今食べてるもの、彼女と同じものっスよ」
「……ちょっと待て、まったく意味がわからん」
「ご飯は誰かと食べた方が、絶対美味いっスよね?
だから、こうすると……
ほら、一緒にご飯食べてる感じがしないっスか?」
後輩は、画面が俺と向かい合わせになるように、スマホをテーブルの上に置いた。
「……丼ぶりの柄が違うのにか?」
「あのね、先輩。そんな細かいところ、どうでもいいんで。
僕が感じて欲しいのは、彼女が持ってる独特の雰囲気?空気感?
とにかく、彼女は僕の癒しなんっス!」
「顔が半分、隠れてるのにか?」
「むしろ、そこがイイんっス!
顔が隠れてる方が、色々と想像できるじゃないっスか。
それに……
こういう回もあるんっスよ。」
後輩はそう言うと、画面をスクロールして他の動画をタップした。
さっきはワンピースだったが、今度は白いTシャツを着た彼女が現れる。
机の上には、大きな苺のかき氷。
彼女は前と同じく無言で手を合わせると、黙って食べ始める。
今回も自然と、口元のホクロに目がいった。
「実は僕が彼女を知ったのは、この動画がきっかけなんス。
見てくださいよ、……この谷間!
めっちゃヤバいっスよね?」
俺は口元ばかり見ていて、全く気づかなかった。
言われてみれば、大きく開いた襟ぐりから胸元が見えていて、
左胸の谷間近くには、小さなホクロまで見えた。
その時、
彼女が、苺シロップで染まった赤い舌で、チロリと唇を舐めた。
その仕草に、俺の心臓がドキリと跳ねた。
ただ、かき氷をスプーンですくって食べているだけなのに、
そういう目で見れば、確かにエロい。
「実は僕も初めは、そういう目で見てたんスけど、
エロ回は数年前に数回あっただけで、
アップされてる動画のほとんどは、ただ黙ってご飯を食べてるだけなんス。
でも彼女の食べる姿は、ずっと見てられるし、
だんだん癖になるっていうか、……癒されるっていうか。
とにかく!
結構ファンも付いてて、この回は特にコメント欄が荒れたんっスが、
ちゃんと常連が撃退してるんっスよ。
……ほら」
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デカ盛りハンター
『ぺろぺろww
ほくろエロすぎ
オレのも喰って』
眠れぬ狼
『熟れ×2メロン
昼飯どころじゃなくなるんだが
なあ、もったいぶらず顔見せろよ〜』
田中の昼
『性的コメント禁止!!
ここはお前らみたいなのがくる場所じゃない』
miso_shiru
『最低!
このチャンネルは「ご飯を大切に食べる」のがメイン
そういうのはいらない』
野菊
『不快!
お前ら、出禁』
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荒しコメントと常連とのやり取りが、この後も続いているが、
彼女自身のコメントはなく、最終的に常連が彼らをやり込めて終わっていた。
「へえ」
俺は努めて気のない返事をする。
「どうっスか?
めっちゃ愛されてる感じするっスよね?」
「……ああ」
「因みに、僕も前に、
『顔出しNGなんて勿体ないです!
顔、見せてください!』
ってコメントしたら、
ここまで酷くなかったんスけど、常連に怒られました」
後輩はそう言うと、机の上に突っ伏す。
「はぁ~、癒し系の彼女が欲しい。
先輩。誰か紹介してくださいよ~。
営業先でいい子いないっスか?」
後輩は、そう言って俺を上目遣いで見上げた。
「……なら、俺の得意先をひとつ、お前にやるよ」
「へっ?!」
「確か、大沢さん?だっけ。神谷電機の受付嬢の」
「ふぇっ!」
途端、後輩のソバカスのある頬が赤く染まった。
「でもな、あそこの飯沼部長は結構厳しいからな。
……いい加減な仕事をするヤツには、任せられないな」
俺はニヤリと笑って、食器を持って席を立つ。
もうすぐ昼休みが終わる。
久しぶりの終日社内。
プレゼン資料や契約書の作成を一気に仕上げたい。
カツ丼大盛二杯で、燃料フルチャージ。
とっとと仕事を終わらせて、今日は定時で帰りたい。
俺は動揺する後輩を食堂に残し、足早に自席へと戻った。
◆
……明るいうちに会社を出たのは、いつぶりだ?
帰宅ラッシュの満員電車に圧し潰されても、心は軽い。
しかも今日は金曜日。
明日からは土日祝日の三連休で、休日出勤の予定もない。
完全なフリーは久しぶりだ。
とりあえず明日は部屋の片付け。
いや、その前にゴミ出しが最優先だな。
コンビニ弁当の容器はプラごみ。洗って乾かして分別……はぁ、面倒くさい。
夜はほとんどコンビニ飯だ。
深夜に帰宅して、自炊するだけの気力はないし、ぱぱっと飯を作れるスキルもない。
皿を洗うことまで考えると、無理だ。
24時間のファミレスもあるが、その選択はない。
俺は一人で外食するのが、どうにも好きになれない。
ただ、昼間の一人飯は別だ。
あれは「食事」じゃない。
仕事の合間に、腹に食い物を詰め込むただの作業。
味わう余裕も、楽しむ気分も、最初から期待していない。
でも、夜は違う。
明るい店内で、周りを見渡せばカップルか、友達同士か、家族連れ。
誰もが和気あいあいと食事を楽しんでいる中で、
一人で飯を食うのは——
結構、クる。
いっそのこと、孤独なドラマ風に楽しめたらいいんだろうが、
俺にはそんなユーモアはない。
『ご飯は誰かと食べた方が、絶対美味いっスよね?』
昼間、後輩が言っていた言葉が、ふと頭をよぎった。
それには、激しく同感だった。
俺は食うのが好きだ。
美味しいものは誰かと共有したい。
別に不味くてもいい。
それをネタにして笑いながら、食いたい。
そんなことを考えていると、腹の虫が鳴った。
結局、今日もコンビニ飯なのは変わらないだろう。
問題なのは、何を食うか、だ。
「旨そうだったな……」
昼間見た動画の彼女は、食べ方が綺麗だった。
しかも旨そうに食べる。
そうだ。
彼女の動画から、今日何を食べるかを決めよう。
確か、今日見た動画のタイトルは……
『2月24日カツ丼』
日付と食べたものの名前だけ。それが逆に印象的だった。
ちなみに、なぜ日付を覚えていたかというと、2月24日は偶然にも俺の誕生日だからだ。
俺はイヤホンを付けて、そのシンプルなタイトルを検索した。
動画はすぐ見つかり、彼女のチャンネル名が、
『ひとりごはん』
だと知った。
チャンネル名までシンプル。
アイコンはデフォルトだし、紹介文もなし。
でも、上げている動画の本数は50を超えている。
どの動画もタイトルは、日付と食べたものだけ。
チャンネル登録者数は300人強。
どの動画も、再生回数は三桁。
因みに登録者数も再生回数も、多いのか少ないのか俺にはさっぱり分からない。
『2月24日ホッケの開き』
動画をスクロールすると、一昨年の2月24日の動画を見つけた。
魚か。
そういえば、ここ最近魚を食っていないことに気づく。
俺はその動画をタップした。
昼間と同じく、顔の半分が見切れた女性の上半身が映る。
でも、昼間見た動画より髪が少し長かった。
彼女は手を合わせると、無言のままテーブルに置かれた大きなホッケの身に箸をつけた。
昼見た時も思ったが、上手な箸使いだ。
綺麗に骨が皿の端へ取り分けられていく。
そして、分厚いホッケの身を、白ごはんと共に口へ運ぶ。
「!!!」
俺は慌てて動画を止めた。
な、なんだこれ。
ヤバすぎるだろ?!
ビリビリっと、尻から背中が甘く痺れた。
音。
咀嚼音。
昼間、食堂で動画を見た時は分からなかった。
イヤホンから直に耳に響く、彼女の口の中の音。
ダイレクトに耳元で、
誰かの咀嚼音を聞く初体験。
なんというか……
エロいし、色々とヤバい。
軽く性的な興奮を覚えて、俺は慌てて辺りを見回した。
顔が赤くなっている自覚がある。
随分と人が減った車内。乗客は全員、スマホを見ていて誰も俺のことなんか気にしていない。
ちょっとだけホッとした。
おいおい大丈夫か、俺。
人が食べてる音に反応するとか、どんな変態だよ。
イヤホンはダメだ。危険すぎる。
俺は首を振って、メッセージアプリを開いた。
そして、未読のまま放置していた、お袋からのメッセージをタップした。
お袋のメッセージは無駄に長い。
画面いっぱいに映る、うるさい小言。
でも今は、それがありがたかった。
◆
残念ながらコンビニに、ホッケの開きはなかった。
代わりにレンジでチンする「鯖の塩焼き」を買った。
実はスーパーに寄ってみたが、惣菜コーナーにホッケの開きはなかった。
普通に干物のホッケは売っていたが、ガスコンロの魚焼きグリルの使い方が分からない。
結果、いつものコンビニで買える魚——
鯖の塩焼きになったわけだ。
すっかり日が落ちたアパート。まずはテレビを点ける。
買ってきた鯖を、パッケージ通りにレンチンしている間に部屋着に着替える。
鯖が終わったら続けて、チンするご飯パックをレンジに入れる。
それが終わるのを待って電気ケトルでお湯を沸かし、大盛りカップ焼きそばもスタンバイ。
俺は結構ガッツリ食う。
鯖とご飯だけじゃ絶対に、足らない。
いつもなら、そのままテレビを見ながら飯を食うが、今日はスマホを机に置いた。
『ごはん中はテレビ禁止!スマホを触るなんてもってのほか!!』
実家ではそれがルールだった。
しかし、独り暮らしを始めてから割とすぐ、テレビは解禁した。
基本、部屋にいる時はずっと点けてる。
別になにか見たい番組があるわけではない。
一人暮らしだと無音なのが、辛いからだ。
俺は姉と妹に挟まれた長男。
女三人で姦しい、とはよく言ったものだ。
家族五人の実家は、いつも賑やかだった。
スマホに関しては今も、実家ルールをなんとなく守っていた。
だが、俺は今日、
そのルールを破ることにした。
理由は簡単。
『ご飯は誰かと食べた方が、美味い』からだ。
俺はさっき閉じたアプリをタップする。
音は……イヤホンじゃないから大丈夫。
続きを再生。
俺は彼女を見ながら同じように、鯖に箸を付けた。
残念ながら彼女の様に綺麗に骨は取れない。
彼女は画面の向こう側で、俺がやっていることは、ただの一方通行。
でも今日の飯は、いつもより旨い気がした。
◆
口元しか映らない。
声も出さない。
ただ、ご飯を食べるだけの動画。
それだけ聞くと、なんだその動画?って誰だって思う。
でも俺はそれから、
彼女が動画をアップする度に、夕飯に同じメニューを選んで食べるようになった。
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北風と太陽
『所作も食べ方も、綺麗ですね。』
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初めての投稿。
コメント欄にそう書いたら、常連にちょっとだけ怒られた。
言葉のチョイスが、キモいらしい。
失礼な。
邪な気持ちなんかないのに。
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北風と太陽
『手羽先は、そうやって食べるんですね。
勉強になりました!』
北風と太陽
『食べるメニューは、どうやって決めてるんですか?』
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でも、半年も経つと常連から仲間と認められ、
彼女への質問も許可されるようになった。
ただ、何を書いても彼女からの反応は、なし。
でもそれは、どの常連さんも同じだから気にならなかった。
もしかしたら彼女は、コメント欄を見ていないのかもしれない。
でも別になんとも思わない。
俺は彼女と繋がりたいとは、思っていないから。
◆
「ん?!」
それは小さな気づきだった。
『8月11日お好み焼き』
いつものように、仕事帰りに同じものを買おうと、
公園で昼飯を食いながら、最新動画をチェックしている時に気がついた。
「あれ?ここに映ってるのって、スーパー・チャオのじゃ…?」
お好み焼きが入っているのは、どこにでもある普通のプラパック。
でも、そのパックを包んでいる緑色の薄紙を見て俺は気づいた。
近所にあるスーパー・チャオ。
入り口近くの軽食コーナーでお好み焼きを買うと、
パックにお好み焼きを入れてから、なぜか緑色の薄紙でぐるっと巻いてから渡されるのだ。
不思議に思って調べたら、
東海地方ではなぜか、お好み焼きやたこ焼きを買うと、緑色の薄紙で巻くのが普通らしい。
今はパック入に入っているお好み焼きだが、
オープン当初は、二つ折りにしたお好み焼きをアルミ箔で巻き、
白の薄紙と、この緑色の薄紙で巻いた状態で渡された。
出来立ての熱さが手にダイレクトに伝わり、ちょっとびっくりしたのを覚えている。
スーパー・チャオは、東海地方に数百店舗あるメジャーなスーパー。
この情報だけを見れば、彼女が愛知・岐阜・三重・静岡の何処かに住んでいると考えるのが妥当だが、
「彼女は、この近所に住んでいる?」
俺がそう思うには、ちゃんとした理由があった。
実は少し前、
彼女が削除した動画に、俺が住んでいる区のみで夕方に流れる
特徴的な防災無線のメロディが入っていたのだ。
それに気づいた常連がコメントに上げて注意を促し、
その直後、動画が消された。
彼女の個人情報が漏れたことは勿論大きな問題だったが、
彼女がコメント欄をちゃんと読んでいることのほうが、常連界隈で騒ぎになった。
うちの区は広い。
だから、そこまで神経質になる必要はない。
でも、これにスーパー・チャオが加わると——
途端に範囲が狭まる。
「いや、探そうなんて思ってない。……思ってないけど、
スーパー・チャオは都内に二軒。
あの防災無線を流している区は、ここだけ。
ということは——
もしかして、俺は彼女とすれ違っていたかも……?」
そう呟いて、俺は自分の言葉に、引いた。
……いや、ちょっと待て俺。一旦落ち着け。
これじゃまるで特定班じゃないか。
俺達が撃退してきたヤツ等と変わらない。
むしろ俺の方がヤバいヤツじゃないか!
そう焦りつつも、俺は動画のコメント欄の全てに目を通した。
今のところ、俺以外の誰かが、緑の紙に気づいていることはなさそうだった。
だからこそ悩む。
俺がコメントで、緑の紙について書くことが正解なのかどうか。
別にこれだけで、身元が割れることはないとは思う。
チャンネル登録者数が300でも、常時再生している常連は十名弱。
身元を特定しようと、本気で考える常連は俺も含めていないが、
——でも、常連以外は分からない。
俺は悩んだ末、
彼女が気づくのを願って、こうコメントを残した。
——————————————————————————————
北風と太陽
『そこのスーパーのお好み焼き、本当に美味しいですよね。
自分も、小腹が空いた時に、たまに買って帰ります。』
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当然、こう書けば、
それまで、仲間意識を持って接してくれていた他の常連から、非難された。
でも、別にそれでいい。
動画はその日のうちに削除された。
◆
「うまいな…」
暑くもなく寒くもない。
初夏の風が心地いいベランダで、
明るい月を見上げながら、
ソースがたっぷりとしみ込んだ、お好み焼きを口に入れた。
彼女は、俺のことをどう思っただろう。
いや、そう思うこと自体、間違っている。
俺はただの視聴者にすぎない。
これは、一方通行の関係。
同じ飯を食っても、同じ時間は共有していない。
そんなことは分かり切っているのに、
少しだけ……寂しいと思った。
それでも——
画面の向こうで、
一瞬だけ繋がった彼女との縁を、俺は少しニヤケながらビールを一気に煽った。
この物語を元にした曲を作成し、YouTubeにアップしています。
もしよろしければ
ARISATO | Story & Song
もしくは、
ひとりご飯を、ふたり食べる
で検索して聴いていただけると嬉しいです。
他にもオリジナル短編小説を元にした曲を投稿中です!
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https://youtu.be/SyanG84GOP8




