6ー9 歌姫の窮地
エヴァンジェリン視点になります。
空気が変わった。
周囲にざわめきが起きるよりも早く、エヴァンジェリンは通り魔犯から距離を取ろうとする。
再びばちんと、乾いた音。しかし通り魔の攻撃を完全には防げず、胸もとのペンダントが粉々に砕け散った。
「あっぶな……。遅れてたら死んでたかも……」
幼いころから王宮で暮らしてきたおかげだ。
暗殺されかけたことは、一度や二度ではない。
とはいえ今が、かつてないほど危険な状況なのも肌で感じている。
ウエハースを大人買いしたくらいで切りかかってくるほどだからとんでもなくやばい女なのは間違いないものの、通り魔なんて所詮は誰かに不満をぶつけて憂さ晴らししようと考える程度の小物だ。
プロの暗殺者に比べたら可愛いもんでしょうと、舐めていたところはある。
たぶん性格的に近しい同族だから、余計にわかる。
誰かに依頼するとかならともかく、この女に自ら手を汚すほどの胆力はない。
だが、今は殺意の『純度』が違う。
エルカザードの古い諺に〝サンドタイガーの尾を踏む〟というのがある。
今はまさに、眠っていた魔物にちょっかいをかけて窮地に陥っているような状況だ。
通り魔の女はさきほどまでとはまったくの別人。
王族として何度も暗殺者の魔手から逃れてきたエヴァンジェリンをも震えあがらせるほどの、化け物じみた気迫を漂わせている。
「騎士団の人を連れてきて! 早くっ!」
歌姫の声はよく通る。
それに彼女は、他人を従わせることにも慣れていた。
通り魔の気迫にあてられてすくんでいた人々はエヴァンジェリンの声を聞いてはっと我に返り、助けを呼ぼうと散り散りになっていく。
彼らのほうに一瞬でも注意を向けてほしかったが、通り魔の視線はいっさいぶれず、依然としてこちらにむけられたままだった。
寒気がした。
キィンとかすかに音が響き、遅れて痛みがやってくる。
うめき声をあげ、膝から崩れ落ちてしまう。
脇腹からぞっとするような量の鮮血が滴り落ちている。
非常用の治癒薬は携行している――が、それを飲む隙を与えてくれるとは思えない。
ナイフによる攻撃が見えないのも問題だった。
距離は開いているのに、通り魔が刃を向けた瞬間、なぜか身体がすっぱりと斬られていた。
エヴァンジェリンも魔法で似たようなことはできるものの、護身用のペンダントを砕くほどの威力となると、空気の振動を利用した衝撃波では説明がつかない。
近頃では闇市場に遺物が大量に出回っていると聞く。
通り魔のナイフがそういった横流し品に紛れこんだ『お宝』だった場合、等級A以上の威力を持ちあわせている可能性だってありうる。
そうなると逃げるどころか、騎士団の救援が来ても対処できないかもしれない。
それこそジーク様のような、規格外の実力者でなければ。
筆頭騎士様がたまたま王都のはずれをパトロールしている確率は、いかほどだろうか。
望みは薄いが、今は推しとの『運命』を信じるほかない。
地べたに倒れこんだまま睨みつけると、通り魔はすぐに殺すのではなくじわじわと痛めつけることに決めたようだ。
脅かすようにナイフを振り、近くにあった街灯を両断する。
「命乞いしないの?」
「したら助けてくれるの?」
「試してみれば?」
「やめておくわ。あたしだったら絶対、それで心変わりなんてしないし」
「うふふ。正解」
やっぱり似ている。
この女も同じことを感じているはずだ。
同年代で、推している相手もたぶん一緒で。
だからあのときウエハースを分けてあげれば、仲良くなれたかもしれない。
なのにあたしは目先の欲を優先して、その背中を蹴っ飛ばしたのだ。
ジーク様だったら、そんなことはしない。
ジーク様に憧れているのなら、ジーク様のような高潔な振る舞いを心がけるべきなのに。
生まれついての、クソオタク女の性根を出してしまった。
歌姫なのに。表現者なのに。
言葉を旋律に乗せて、それで舞台に立たせてもらっているのに。
本来なら彼女のような、もうひとりの自分に。
勇気を与えるために、歌うべきなのに。
「悪かったわ。命乞いはしないけど、反省はしておく」
「地獄で会いましょう、お姫様」
エヴァンジェリンは目を閉じる。
ウエハースのおまけごときで恨みを買って、殺されるとは。
我ながらどうしようもなく、みじめな最期である。
しかし、いつになっても痛みはやってこない。
傍らに人の気配を感じて、顔をあげる。
期待していなかったわけではない。
むしろ縋るような気持ちで、『奇跡』が起こることを願っていた。
しかしいざ現実となって現れると、夢を見ているのかと思ってしまう。
あのときと同じ。
美しくも勇ましい姿で――騎士様が、立っているのだから。
「我はジークフリード・ジフレッドなので……だっ!」
その声を聞きながら、エヴァンジェリンは思った。
あれ? なんだか様子がおかしいな、と。




