第174話:後日談 その十二 ~大学生編~
妹である朋子の大学合格が決まってしばらくしたころ、武夫たちセクストグリントの面々は春休みのライブツアーで日本列島を今年は北から縦断していた。その道中の東京ライブが終わった翌日、武夫は東京に出てきている朋子のもとを訪れていた。
「首席合格おめでとう」
「ありがとう、お兄ちゃんにレッスンしてもらったおかげよ」
「朋子が頑張ったからだよ。それにしてもかなり良い環境だね」
「ええ、条件が良いマンションが見つかってよかったわ。大学からも駅からも近いし周囲になんでもあるの」
朋子が四年間住むことになったのは、当時で言う億ションというわけにはいかないが、かなりセキュリティがしっかりした賃貸マンションである。間取りといいセキュリティといい立地条件といい、貧乏だった十年前では考えられないような良物件である。
音楽大学に通うという朋子の立場も十分に考慮されていて、アップライト型ではあるがピアノも設置済みであるし、防音工事も済ませてある。なお、物件選定にあたっては、懇意にしているピアニストである永山先生にも力を貸してもらっていた。
「ありがとうお兄ちゃん、大切に使わせてもらうわ」
「どういたしまして、それと永山先生にもお礼を言っとかなきゃね」
「それはもちろん第一に考えてるわ。入学式前に一度お宅を訪問してお礼を言うつもりよ」
永山先生の息子である義和が朋子に好意を抱いていることは武夫の目にも明らかだったが、どう進展するかは当人たち次第である。彼も妹と同じ大学に進学しているということもあって、成り行きは当人たちに任せようと考えている武夫だった。
それは置いておくとして、このピアノはもちろん武夫が合格祝にプレゼントしたものであるが、それだけではなかった。
「じつはもう一つ贈りたいものがあるんだ」
武夫はそう言って贈ったばかりのピアノを弾きはじめた。朋子は胸の前で両手を結んで期待に満ちた瞳を彼に向けている。
「この曲って……」
春の息吹を感じさせるような澄んだ爽やかな曲調に、朋子の瞳が涙で潤んでいく。その涙ははたして大好きな兄に曲をプレゼントしてもらったことによるものなのか、それとも曲そのものに感動したからか、あるいはその両方かまでは分からない。ただ、朋子が感極まったことだけは確かだった。
この曲は高音域で奏でられる澄んだ主旋律がキャッチーであり、アレンジのせいもあってクラシカルではあるが人気が出そうな曲調に仕上がっていた。ただし、聴かせるためにはそれなりのテクニックが必要不可欠であり、今の朋子ならばこのレベルの難易度ならば弾きこなせるだろうと、ちょっとばかり攻めたアレンジだった。
武夫が今弾いているこの曲、それはかつて約束していた朋子のためのピアノ曲である。元々はバンド仲間である友子の作詞作曲であるが、歌詞があまりに友子らしくて雅美でさえ手直しを諦めて棚上げしていた作品なのだが、メロディーがよくて武夫が妹に贈りたいと友子から権利を譲って貰った曲でもある。
『アタシの曲が役立つならそれで充分嬉しいよ。朋子ちゃんを喜ばせてあげて』
とはそのときの友子の言葉である。ただ、そのままではもちろん使えなくて、武夫がピアノ曲用に結構な時間を掛けてアレンジしまくって用意していたのである。
「曲名は春、そして今のがクラシックピアノ用アレンジだけど、アレンジは他にもあるんだ。そっちも聴いてもらえるかな?」
「もちろん!」
武夫は基本となるクラシック用のアレンジ以外にも、ジャズアレンジとポップアレンジの二パターンを追加で用意していた。Tその場その場で使い分けてほしいと思ったからである。
ジャズアレンジは明るく軽い曲調ではあるものの技巧的で朋子の腕前であっても習得するのにかなり苦労しそうな難易度だった。ポップアレンジはそれほど技巧的ではないものの主旋律が単純化されて強調されていて、耳に残るというか、メロディーの良さが際立っている。
武夫はその二アレンジを気持ちを込めて朋子の前で披露した。都合三パターンのアレンジを聴いた朋子は、涙を手で拭いながら笑顔を見せる。
「どのアレンジも素晴らしいわ。もう弾きたくて指が疼いてるくらいよ」
「それはよかった。喜んでもらえて嬉しいよ」
妹がこれから四年間暮らしていく環境が、特にセキュリティ面でしっかりしていたことに安堵した武夫は、このあと少しだけ妹と連弾をしたり、お茶を嗜んだりしてマンションを後にしたのだった。




