第173話:後日談 その十一 ~大学生編~
春休みが開け、武夫とその仲間たちは無事に大学二年生になった。大学一年目ほどの大きな新鮮さは無いものの、進級して学年が上がることに武夫は新鮮さを感じていた。
それはさておき、大学生活も新婚生活も思いのほか順調な武夫たちだが、その立場というか認知度というか影響力とかは日増しに大きくなっていた。自分たちの音楽活動しかり、ファン数の増加しかり、プロデュースした歌い手の活躍しかり、米国での認知度しかり、セクストグリントというバンドと吉崎武夫という個人の名声は上昇の一途をたどっている。
そのなかで米国の認知度はまだまだ僅かではあるものの、セクストグリントの生ライブを鑑賞した人々の口コミとか、さらにたった一名ではではあるものの米国クラシック音楽業界有力者への布石は打てた格好である。
そんな武夫たちではあるが、ことプライベートに関してはごくごく平凡な一般人と変わりなかった。ライブにおいても雑誌においてもテレビ放映においても、彼、彼女らの素顔が晒されたことはなく、普通に学生として生活していれば素性がバレることはないからだ。
これが2010年以降のSNSが発達した時代なら、少しの油断が彼、彼女らの身バレに繋がったかもしれないが、1990年現在でそんな心配は無用だった。たった一つの懸念は、卒業アルバムに載った写真くらいであるが、さすがにそのことは武夫たちも意識していて、見分けがつかないくらいにはあか抜けたというか、メイクなり髪型のチェンジなりメガネとか小物の活用でなんとかなっている。
そんなかんじで始まった大学二年は、大きな動きもなく過ぎ去っていったが、武夫たちの状況に変化が表れ始めたのは1991年に入ってからだった。
まず一つ目は武夫の妹の朋子が無事に第一志望に合格したということであり、つまり、武夫の指導を卒業して東京で頑張るということである。ということは、今後は武夫と雅美が住むマンションは完全な二人の愛の巣になったということであるが、あまり詳しいことは割愛しよう。
そして二つ目、こちらが一番大きな変化というかビッグニュースであるが、武夫はその一報を電話口で聞くことになった。
『出場が決まったわ!』
山根さんにしては珍しく、興奮して主語とかいろいろ抜けている第一声だった。
「意味が分かりません。なにが決まったんですか?」
『御免なさい。ちょっと凄すぎて興奮しちゃったみたいだわ』
「それで?」
『アメリカでの音楽フェスに出られることになったのよ。キャシー側の関係者から打診があったわ――』
山根さん曰く、ロラパルーザという1991年に始まったばかりというか、これから始まる新しいロックフェスらしい。アメリカからカナダにかけてのいくつかの都市を数ヶ月かけて巡回するということだった。もちろん武夫たちがそのすべてに参加するわけではなく、出場するのは一回だけである。
ロラパルーザのメインはオルタナティヴ・ロックらしいが、他のジャンルのアーティストも出場するということだった。
要約するとそんなところだが、オルタナティブとは、もうひとつの選択、代替手段などと訳されるとおり、当時の大手レコード会社主導の商業主義的な音楽へのアンチテーゼというか、叛骨的な意味合いを持つ。
たしかにセクストグリントの曲は今までの時代には存在しなかったジャンルというか表現手法が多用されている音楽であるが、商業主義を否定しているわけではなく、売れることを正義としている一面もある。
けれどもそんな小難しい話をして機会を逃すようなことは武夫の本意ではなかった。今売れている主流の音楽とは違う。それだけでセクストグリントはフェスの意向に合致しているのかもしれない。武夫は山根さんの説明を聞きながら、そんなことを考えていた。
「今年の夏、アメリカ行きが決まったらしい」
いつものように夕方になって集まった仲間たちに告げた武夫の一言に、真っ先に反応を示したのは雄二だった。
「おっしゃぁ! あれだよな、今度は前座とかじゃないよな?」
「うん、どうやらフェスに出ることになったらしいよ」
「フェスっていうとあれか、大勢のバンドとかアーティストが集まって順番にやるヤツ」
「まぁそんなところかな。でも、曲数とかは前座より多いらしいよ。単独のライブほどじゃないけど」
「まぁそれはアレだ。べつに曲数が少なくたってアメリカでヤレるってのが重要だからな」
雄二が言ったとおりだと武夫は思った。去年掴んだ前座という足がかりから前進したことは間違いない。そしてそれはアメリカでの飛躍につながるかもしれない。
これ以上はとらぬ狸のなんとやらになりそうだから武夫は口にしなかったが、そうなる可能性は充分にあることだけは確かだった。




