9.井の頭線改札
僕は、大きく手を振った。ユウコが、ちょっと微笑んだように見えた。が、すぐ人込みに隠れてしまう。足早に歩いてくる大勢の人々の中で、ユウコの足取りはとてもゆるやかで、まわりがいらついて追い越していくのが見える。そうして、その人波に翻弄されるかのように、時々ふらつきながらゆっくりゆっくりと近づいてくるユウコをみていると、僕は、思わず改札を飛び越えて駆け寄り、抱き締めてやりたいような気持ちで一杯になっていた。
繁華街の方へ歩き出しながら、夕食は何がいいかと尋ねると、ユウコは、しばらくためらってから、恥ずかしそうにある方向を指で差した。見ると、それは、何の変哲もない、というよりは、ちょっと薄汚れたラーメン屋だった。
「え? ここですか?」
ユウコは、はっきりとうなずいた。しかし、そこは、どう考えても、ユウコのような女を連れて入るような雰囲気の店ではなかった。
「でも………。ほら、ここにはおいしいイタリア料理のお店もあるし……。あ、中華がいいのなら、もうすこしましなところ………」
といいながら彼女の顔を覗き込むと、何やら哀しそうな表情に変わっている。
「わかりました。じゃあ、この店にしましょう。」
そういうと、ユウコは、僕の手をしっかりつかんで、先にのれんをくぐっていった。
店には、作業服を着た三人連れや、一人で来ている学生、それに若いサラリーマンなんかが、漫画やスポーツ紙などを見ながらチャーハンやら野菜炒定食なんかを食べていた。淡いクリーム色のワンピースを着たユウコはいかにも場違いで、僕は、店の中の人達の視線が気になって仕方がなかったが、ユウコは、味噌ラーメンを指で差して注文すると、とても幸せそうに微笑んでご機嫌だった。
「……わがままをいって………ごめんなさい。………私、………こういうお店………、前から…………来てみたかったんです。」
「そうですか。確かに、一人では入りにくいかもしれませんね。」
「……ええ、………それに、………このお店、………いつも………いい匂い……するんですもの………。」
そういえば、ユウコが出た女子大もこのあたりだった。何回か前を通って知っていたのだろう。
それにしても奇妙な、初めて一緒にする夕食だった。ただ、本当に美味しそうにラーメンを食べているユウコを見ていると、どんな形であれ彼女の役に立って、彼女の顔に微笑みをもたらすことができたことで、僕は満足だった。
食事が終わると、僕はユウコを名曲喫茶に誘ってみた。そういうところだったら、無理して会話を繋げなくてもいいし、むしろ、同じ曲を聴きながら、落ち着いて同じ時間を過ごせそうな気がした。ユウコも、僕の気持ちを察してくれたのだろう。ゆっくりとうなずくと、僕の手を取って先に歩き出した。