二百四十七 歩む者 駆ける者
帝国の勢力圏を情け容赦なく喰い荒らして突き進む紅は、ついに街道沿いだけでは飽き足らず、索敵範囲を広げて周辺の拠点まで潰して回るようになっていた。
理由の一つとして、国境へ近付くにつれ帝国軍の部隊が大幅に増えたことが挙げられる。
帝国側としては、公国の侵攻が始まっているのは把握していても、肝心の紅の居場所を特定できていない状況である。兵を分けてでも監視の目を増やさざるを得ないのだろう。
街道を外れた場所では拠点だけに留まらず、多くの巡回部隊が周辺の警戒に当たっていた。
もちろん、敵を発見したからには見逃す紅ではない。
堂々と姿を晒して、悲鳴を上げる間も与えず兵らの首を刎ね、四肢を落とし、愉悦と共に丁寧に全滅させてゆく。
それが幾度か続く内に、紅は兵の編成や配置にどこか作為的なものを感じ取っていた。
出会うのは、多くとも十人前後といった小隊ばかり。
それぞれの担当地区も紅にしてみればさほど離れておらず、見通しの良い平地を中心に行動していることが多かった。
確かにどこから攻めて来るかわからぬ敵を見張るには、広範囲かつ密度の濃い警戒網を敷く必要があるだろう。そのために兵を分散した結果、一部隊あたりの人数が減るのは道理ではある。
そもそも雑兵の数をいくら増やそうが、紅を止めることはできないのだ。本国の守りを優先し、前線への増援を絞った可能性もあり得る。
しかし、紅は己の直感を気のせいだと流すことはなかった。
思考を止めずに狩りを続け、斬り捨てた兵の数が数百に及んだ頃、紅は違和感の正体に思い当たった。
もしやこの兵らは、囮を兼ねていたのではないか、と。
興が乗るままに獲物を深追いした結果、紅は本来辿るべき街道から大きく逸れ、国境から遠ざかりつつあったのだ。
恐らくこれまで交戦して来た経験から、敵方の参謀もいよいよ気付いたのだろう。
敵兵を前にした紅が、一人も残さず殲滅しなければ気が済まない性分であることを。
紅に寄り道をさせるため、巡回部隊を小分けにし、敢えて見付けやすく配置することで撒き餌にしたと考えれば納得がいく。
仮説が正しければ、その目論見は見事にはまり、多少ではあるが紅の歩みを遅らせることに成功したことになる。ここで得た貴重な猶予で、本命の策を急ぎ準備しているだろう。
もっとも正確には、紅が自分から乗ったせいでもあるが。
戦を求めるあまり単独で飛び出しては来たものの、本来紅には急いで攻め込む理由はない。
それどころか、時間を置けば敵は勝手に防備を固めてくれる。そこをまとめて叩いた方が効率が良いのだから。
何より相手は自分を歓待するため、兵を捨て駒にする覚悟を決めて時間稼ぎをし、起死回生の策を練っていると思われる。
せっかくなら万全に整った上で受けて立ち、完膚なきまでに叩き潰した方が、より一層愉しめるに違いない。
そう楽天的な結論を出した紅は、帝都を攻める前の準備運動も兼ね、相手の思惑に付き合うことにした。
「あちら様がわざわざ用意して下さった余興です。とくと馳走を味わいつつ、ゆるりと向かうとしましょう。果たして手間に見合った策を披露して頂けるものか。楽しみですね、紅」
のんびりと外周を削っている間に、南の援軍や後方の遊撃隊と評議国軍も足並みを揃えるだろう。彼らに包囲を任せ、退路さえ断ってしまえば、憂うことは何もない。
紅は獲物を追う過程で発見した拠点を寄り道がてらに軽々と落とし、屍の山を築きながら、着実に勢力図を塗り替えていった。
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アッシュブールの兵を宣言通り速やかにまとめたキール中将は、ただちに進軍を開始し、帝国との国境まであとわずかというところまで迫っていた。
その先で待ち受けていたのは、元々駐屯していた守備隊と、北に展開していた帝国軍を一掃し終えたアトレットとリュークである。
守備隊の誤解も解け、圧倒的火力で帝国軍を薙ぎ払った新たな英雄として賞賛の雨を浴びていたアトレットは、キール率いる本隊が到着したことを目敏く察し、出迎えのために駆け出した。
「やっほー! 中将様ー! 中尉ー! いますかー? 竜騎士アトレット、命令通りに帝国をボッコボコにしてやりましたよー!」
本隊の正面に飛び出し、大きく両手を振りながら叫ぶアトレット。
そのよく通る声を聞きつけ、馬に乗ったキールとカティアが兵の間を割って姿を現した。
「ご苦労様、アトレット。付近の脅威は排除されたと考えていいのね?」
馬上から問うカティアに、アトレットは大きく張った胸をどんと叩いた。
「もっちろん! この先にあった駐屯地も丸ごと潰してきたんで、このルートはしばらく安全です! ガンガン進んじゃいましょう!」
「よくやってくれた。噂通り、氷竜の力は凄まじいものだな。これほどの積雪を見るのは私も初めてだ。戦時下でなければ、絶景としてゆっくり鑑賞したいくらいだが」
横で共に報告を聞いていたキールも労いの声をかけると、前方に広がる白銀の世界を感慨深そうに眺めやった。
「しかし今は先を急がねばな。紅様をお待たせする訳には行かん。件の大穴はすぐそこだね? 工兵隊に命じて、疾く吊り橋をかけさせよう。帝国の邪魔さえなければそう時間はかからんだろう」
「あー。その必要はなさそうですよー?」
キールが指示を飛ばそうとするところへ、アトレットはにまりと笑って見せた。
「どういうことかね?」
「見ればわかりますって! ほらほら、行きましょう!」
疑問を浮かべるキールを急かし、大穴付近まで連れて行くアトレット。
「これは……」
そこに広がっていた光景に、キールは思わず言葉を失う。
報告では、底が見えぬほどに深い亀裂が横たわっていると聞いていた。
ところがどうだ。途切れたはずの街道は、大量の雪によって埋め尽くされていたのだ。
「ふふーん、どうですかー? これなら橋なんかかけなくても渡れるでしょう?」
「うむ……」
キールは下馬して大穴の淵へ寄ると、一瞬ためらった後、意を決して雪上へと一歩踏み出した。
柔らかい新雪かと思いきや、相当な量が積み重なって圧縮されたらしい。程よい硬さで軍靴を受け止め、思ったほど沈み込まなかった。凍結もしておらず、これならば足を取られて難儀することもあるまい。
「素晴らしい。この働きにはいずれ報いよう。期待してくれたまえ」
「やったー! 中将様太っ腹~!」
「こら、調子に乗らないの! 貴方のことだから、狙ってやった訳じゃないでしょう?」
飛び跳ねて喜びを全身で表すアトレットに、カティアの鋭い注意が飛ぶ。
「う゛。ま、まあそうなんですけどぉ……雪崩を起こして帝国軍を呑み込んだら、ちょうどいい具合に穴に流れ込んでくれたんですよー」
「後先考えずにやり過ぎじゃないかしら? 下手をすれば街道が塞がって立ち往生するところだったわよ」
「リューくんの火力が上がった分、まだ加減が難しくてー。でもでも結果オーライじゃないですか? ですよね中将様?」
アトレットはカティアの追求から逃れるようにキールの背後に隠れ、その顔色を覗った。
「その通りだとも。むしろ偶然ではなく、女神の加護なのではないか? うむ、きっとそうだ。我らが速やかに行軍できるよう計らって下さったに違いない」
「そうそう! 紅様のお陰ですよ! あとあたしの日頃の行いがいいからかも!」
キールは盲信から都合よく解釈し、アトレットと笑顔で手を叩き合う。
カティアは楽観的な二人を前に、頭痛がこみ上げるのを感じた。
「……もういいです。道は確保できましたし、細かいことは不問としましょう」
「そうだぞ中尉。今は何より紅様と合流することこそ最優先。それ以外は全て些事だ」
キールは自信に満ちて言い切ると、伝令に向けて指示を出す。
「全軍に通達。しばしの休息の後、順に雪原を渡ることとする。その後は帝都まで一気に駆け抜けるものと心得よ」
指令を受けた伝令が各隊に散った後、キールは遥か北の山脈を見据えて呟く。
「此度の遠征は、我が信仰を存分に示す好機。誰にも邪魔はさせん。女神よ。このキール、死力を尽くしてすぐにも馳せ参じますぞ」
少し前まで老け込んで見えた老将は、今や全身覇気に満ち、目を爛々と輝かせていた。




