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二百四十四 翔る先触れ

 紅のふとした気まぐれから端を発した帝国攻めの案は、公国各地に多大な混乱を引き起こすことになった。


 何しろ外堀を埋めてからじっくり攻略する予定だったところを、前触れもなく決戦を始めると言い渡されたのだ。各部署の責任者達の衝撃たるや、想像を絶するものだったことだろう。


 リュークに乗ったカティアとアトレットが伝令としてレンドニアに戻り、参謀本部へ紅の大胆な計画を伝えた際には、しばし水を打ったような静寂が場に満ちた。その後、例外なく全員が一斉にパニックを起こし、上を下への大騒ぎとなって収拾がつかなくなった程である。


 これには一報を届けたカティアも同情を禁じ得ず、発案者に苦言の一つも呈したい気分であった。

 しかし当の紅は大まかな作戦概要をまとめると、説明役をカティアに押し付け、すぐに帝国へ向けて単身飛び出してしまっていた。


 今頃はもう国境の関所へ辿り着き、攻撃を開始しているかもしれない。そう思うと時間を無駄にもできず、魂の抜け殻と化したロマノフ中将宛に書置きを残して参謀本部を後にした。


 そして次いで向かったのは、公国北部の城塞都市アッシュブール。今も帝国と国境を挟んで睨み合う最前線である。


 突如到来した青き巨竜に見張りがどよめくが、大きく掲げた公国旗と、遊撃隊の活躍と共に二人の顔を覚えていた兵達によって誤解は解け、無事に都市内へ入ることができた。


 久々に訪れた街並みは戦の傷跡から幾分か立ち直り、片付けの済んだ庁舎が駐屯部隊の臨時司令部となっていた。


 入り口の衛兵に用向きを告げると、すぐに司令官の元へ通され、此度の急な訪問について説明を求められた。


「──はっはっは! ただの同盟締結任務のはずが、いつの間にやら第3軍と三騎将を討ち、帝国の喉笛にまで迫っているとは! さすがは紅様! ご健勝のようで何より!」


 アッシュブール奪還後、そのまま防衛線の最高司令に着任したキール中将は、これまでの経緯を聞いてさも痛快そうに笑い声を上げた。

 執務室には他の者はおらず、紅への敬意を微塵も隠すつもりはないようだ。


「くっくっく。すっかり段取りを飛ばされて、参謀本部はさぞ大慌てだろうな」 

「閣下、笑いごとではありません。ウィズダーム滅亡の報と、隊長が帝国に向かった旨をお伝えしたところ、ロマノフ中将は立ったまま気絶してしまい、お言葉通りに参謀議会がしばらく機能しない有様だったのですから」


 こほんと一つ咳払いをして場を引き締めようとするカティアだったが、キールの忍び笑いはしばらく止まらなかった。


「まあそう言わんでくれ。ロマノフ中将が醜態を晒すなど、そうそうないのでな。想像しただけでおかしくなってしまった。ウィズダームの件は残念だったが、我らが女神がついに本腰を入れて下さるきっかけにもなったのだ。悪い話ばかりでもないだろう」


 紅教信者であると公言しているキールはあくまで紅の肩を持つ気らしく、前向きな部分を抜き出した。


「作戦概要は把握した。紅様が東から攻めて帝国の注意を引いている間に、我が軍が北上して敵戦力を分散させつつ、帝都にて合流。その後包囲網を敷き、市街戦を紅様に献上すればよいのだな。参謀本部の承認はまだ出ていないようだが、私はもちろん紅様のご意向を支持する。すでに紅様が出撃なさっている以上、足並みを揃えるには中央の決定を待ってからでは遅い。前線司令の権限を使い、すぐにも準備を開始しよう。全責任は私が持つ」

「ありがとうございます、閣下。頼もしい限りです。しかし非常に申し上げにくいのですが、今回の作戦では増援が期待できない点はご注意頂きたく」

「ああ、わかっている」


 念を押すカティアに、キールは表情を引き締めて頷いた。


 帝国とはしばらく休戦状態にあったとは言え、先の黒き怪物が公国に残した傷跡は深く、兵の大半を被災地に派遣して復興活動を行っている真っ最中である。とてもではないが、今すぐに援軍を編成して北へ送るなど不可能。参謀本部の悩みの種も大半がこの点にあった。


 キールもその辺りの事情は理解しているのだろう。先刻とは打って変わって緊張感を漂わせるが、おもむろに机の引き出しから葉巻を取り出すと、火を付けながら口を開く。


「しかしだ。私は何も心配していない。女神が貴官らを使者として遣わした時点で、勝利は定まったと確信したからだ」

「我々が、ですか?」

「そうとも。遊撃隊はこの街の奪還後すぐに異動してしまったため、知らずとも無理はないが。貴官らの活躍は目覚ましかったからな。敬意を抱く者は非常に多い。紅様はもちろん、中尉も女神を陰で支える立役者として、兵の注目を集めているのだよ。それこそ第二の女神として、まとめて信仰されていると言っても良い。兵の士気を上げるにはこの上ない人選だ」

「いつの間にそんなことに……」


 紫煙を吐きながらにやにやとするキールの言葉にカティアは首を捻る。しかし考えてみれば、都市に入った際、どの兵もやけに親切に接してくれていた。そのような理由があったのなら納得ではある。自分にはもったいない待遇ではあるが。


「そして当然、竜騎士の力には特に期待している。あの時の飛竜が、まさか氷竜となって再来するなど夢にも思わなかったぞ。すでに火竜を単独で撃破したと言う実績もあるのだ。仮に帝国が竜騎士隊を差し向けて来ようが、恐るるに足らん。女神もそのように踏んで采配したのではないかな?」

「確かに、そういった考えはあると思われます」


 カティア自身はリュークの戦いぶりを目撃した訳ではないが、対決の舞台となったソーサリア北部の森は、原型を留めぬほどの惨状だった。

 あれだけの火力を誇るのだ。並の飛竜や軍隊など相手にもなるまい。極論を言えば、紅とリュークだけで戦の大勢を決めてしまうだろうとさえ思える。


「だが、我々凡人にも多少なりとも意地がある。少年兵と氷竜だけに任せきりにするつもりはない。彼らが切り開いた戦線を押し上げ、維持する役目も疎かにできんからな。それに、予期せぬ場所から敵がすり抜けて来ることもある。これに備える人員も必要だ。適材適所として、我々の出番はいくらでもあるだろう」

「仰る通りかと存じます」


 リュークという破格の援軍を得ながらも慢心しないキールに、カティアは改めて尊敬の念を抱いた。


 今回のような短期決戦ともなれば、進軍が早い分戦線が伸びやすく、隙を見せぬためにも普段より迅速な対応が求められる。

 指揮系統の確立、防衛網の構築、補給路の確保、情報伝達の徹底。それらを円滑に進めるには、例え戦力として劣ろうとも、頭数はあるに越したことはないのだ。


「無論帝国側も必死の抵抗が予想される。一筋縄では行かんだろう。しかしこの大一番さえ乗り切れば、積年の脅威が排除されるのだ。それが成就するなら、喜んで死地へ飛び込もう。何しろ我々には戦女神の加護がある! 勝利は約束されているのだ! 例え死しても、我らの屍の上に国が栄えるならば本望! それこそ軍人の誉れである故に!」


 徐々に自分の言葉に酔い始めたのか、広げた両腕を天井へ掲げて声を張るキール。


 しばしその姿勢で固まり、室内に反響した木霊が静まった頃。


「……紅様の話題に触れたせいか、年甲斐もなく昂ってしまった。他言無用に頼む」

「は。いえ、小官は何も見聞きしておりません」


 気まずそうに言い訳をするキールへ、カティアは敬礼を返し、今の光景を忘れようと努めた。


「うむ……話を戻そう。我が軍は早速兵の編成に取り掛かる。遅くとも半日以内には出撃準備を整えて見せよう。聖王国の派遣部隊もいるからな。戦力はそれなりに揃っているぞ。しかしこちらが動けば、帝国もすぐに察知するだろう。そこでだ。着いたばかりですまないが、氷竜──リュークに先んじて露払いを任せたい。頼めるかね?」

「は。すぐにアトレット上等兵へ伝えます。それでは一度失礼致します」


 一礼したカティアが執務室を出た瞬間、扉の脇に立つ衛兵の後ろに、小柄な影が逃げ込んだのがちらりと見えた。


「……アトレット。盗み聞きとは感心しないわよ。貴方もきちんと注意して下さい。何のための見張りなんですか」

「いや、面目ない。あまりに堂々としていたので」

「あはは、ばれたかー」


 苦笑する衛兵の背後から、反省の色がないアトレットが顔を出した。


「聞いていたならわかるわね? 竜騎士の出番よ。北の街道を大掃除してきなさい」

「アイアイお任せー! 生まれ変わったリューくんのデビュー戦、派手にかましてきま~す!!」


 強行軍の伝令をこなした疲れも見せず、アトレットは嬉々としてリュークの待つ広場へと走り去っていく。


 これより公国が帝国に対して行う大反撃の幕開けとしては、あまりに緊張感の欠けたやり取りであった。


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