魔法屋と隊員の相談 ~魔法屋編1~
今日も清々しい朝を迎えた『ティンク魔法店』では――
ティンクルスはギュッと雑巾を絞ると魔法薬の棚に向き、もたもたと、しかし隅々まで丁寧に拭いていく。ぐぐっと顔を寄せて綺麗になっていることを確認し、うむ、と満足げにうなずく。
店を掃いているのはクロードだ。ときおり目が老魔術師を向くのは、拭くことに夢中になって転んでしまわないか、とか、棚を熱心に眺めすぎて頭をぶつけてしまわないか、などと心配しているからだろう。
老魔術師が魔法屋を開いて、はや一月が経った。
一度目の生では偉大なる魔術師と呼ばれていた彼だ。魔法薬作り、ケガ人や病人の治療、魔道具用の魔石に魔術文字を刻む。こうした魔法使いの本業については問題なくこなしている。
帳簿のつけ方は宿屋を営んでいた元女将に習った。老魔術師は店を閉めると机に向かい、毎日せっせとその日の売上げや諸経費を書きこんでいる。
接客の仕方も元女将に指導してもらった。のんびりとして穏やかな顔でもあるためか、客からは『優しい魔法使い』と好評だ。中には強盗まがいの客もいるが、そんなときはクロードの鋭い眼光が、ついでに武力も役に立つ。
仲の良い警備隊員たちが触れこんでくれたおかげで、客の入りはそこそこだ。そこそこと言うのは、この魔法屋がちょっとお高い中央街にあるので、庶民は訪ねづらいのだ。
ただ、老魔術師が作った薬は、元女将の宿屋の向かいにある薬屋――以前も魔法薬を卸したことのある店だ、にも置いてもらっている。魔道具職人工房の仕事も請け負っているし、警備隊とも契約することになった。これまで契約していた魔法使いが、高齢のために隠居したのだそうだ。
つまり、店に客が来なくともそれなりに売上げはあり、かつ、老魔術師はそれなりに忙しい。だから、これくらいでちょうど良いのではないか、というのが元女将の言だ。
あまりがんばると老魔術師が疲れてしまうかもしれない、と心配しているのだろう。クロードは「そんなに働かなくてもいいんじゃないか?」とのたまったが。
「よし、綺麗になったのぅ」
こちらも元女将に教えてもらったとおりに掃除を終え、元々汚れなどほとんど無かった店がピカピカになったのを見まわす。今日もがんばろう。
にっこり笑ったティンクルスは、つまずきつつ助けられつつ入口の外にかかっているプレートをひっくり返し、『開店』にした。
ちなみに、老魔術師が店の掃除をすると言いだしたときは少々もめた。
クロードは、掃除中にケガをしてしまわないかと、寒くなったら手にあかぎれが出来てしまわないかと、心配顔になった。
掃除などティンク様のすべきことではない、と難色を示したのは筆頭魔術師と騎士のジャンである。二人は千年前の出来事とその結末をまとめた手記の確認のため、ちょうどこの家を訪れていたのだ。
『じゃが、わしの店じゃし……』
自らの手で掃除をしたいと主張するティンクルスに、三人の首は仲良くそろって横に揺れる。
『あのねぇ、あなた方。ちょっと過保護すぎやしませんか?』
そんな彼らを一蹴したのは、もちろん元女将であった。
(女将さんは全てを見通す賢者というだけでなく、全ての者を従わせる女帝のようじゃのぅ)
老魔術師はいろいろな意味で、元女将を尊敬し二度目の人生の師と仰いでいる。
*
――カラン、カラ~ン
入口にぶら下がる、ドアベルの透きとおった音色が魔法屋に鳴り響いた。
カウンターの後ろにある作業場で、魔石に魔術文字を刻んでいたティンクルスはひょいと顔を上げる。
「ティンク、元気か!?」
「おぉ、隊員さん。今日も元気そうじゃのぅ」
やって来たのは、大きな声にムキッとした体格の、おっちょこちょいな隊員だった。
にっこり笑ってカウンターへ向かうティンクルスの後ろを、顔をしかめたクロードが続く。
この隊員の来店頻度は高い。しかし薬を買うでもなく、警備隊の依頼を持ってくるでもなく、ただただ世間話をしては帰っていく。
その世間話というのも、かみさんがお小遣いをくれないだとか、飲みすぎてかみさんに怒られただとか。世間話というよりは愚痴か。
ちなみに、隊員の言う『かみさん』とは魔術薬師工房で働く黒いローブの、クロード曰く幽霊女だ。隊員とこの娘は、老魔術師らが旅立ったあと無事に結婚し、娘のほうは今、お腹が大きくなり臨月に入ったので工房は休職中である。
家庭を持ってみれば、いろいろと思うところもあるのだろう。その愚痴を、老魔術師が真面目な顔で親身になって聞くものだから、隊員もついついこの魔法屋に足を運んでしまうようだ。
実のところ、老魔術師は隊員の相手もできないほど忙しくはないのだが、クロードの中で、彼は『ティンクの仕事を邪魔する男』になっているらしい。眉間のシワがわりと深い。
「ささ、こちらへどうぞ」
ティンクルスは元女将から伝授されたセリフを述べつつ、自然と浮かんだ笑顔でソファを勧める。クロードはものすごく不機嫌そうな顔になって、それでも家に続く扉を開けて元女将に紅茶を頼む。
出された紅茶をすすり、やはり女将さんが淹れてくれるとおいしいのぅ、などと騎士ジャンが聞いたら少々落ちこむであろう感想を胸に抱きつつ、老魔術師は隊員を窺う。
「今日はどうしたのかの?」
「実はな、魔術薬師工房が泥棒にやられたんだ」
「ふぉ?」
今日は世間話ではないようだ。しかも一度目の生で心血を注いだ工房に関わる話らしい。ティンクルスはぐっと身を乗りだした。
聞いてみると、盗まれたのは魔法薬ではなく、魔法薬を作るための魔道具のほうだった。
盗まれた場所も、正しくは中央街に建つ魔術薬師の工房ではなく庶民街だ。
魔術薬師工房は、壊れてしまった魔道具を修理に出していた。請け負ったのは庶民街にある魔道具職人工房。ここで直した魔道具を、納品する途中の出来事だったそうだ。
「魔道具を届けにいった奴は、後ろからガツンと頭を殴られてすぐに気を失ったんだな。夕方過ぎで薄暗かったし、相手がどんな奴らだったか誰もハッキリ見てないんだ」
「むぅ……その殴られた人は大丈夫かの?」
「たんこぶができた程度で、今は元気だな」
それは良かったとホッと息をついたティンクルスに、隊員はとんでもないと首をふる。
「魔術薬師の工房は魔道具が足りないとかでな。かみさんが、私なら魔法を使えるからって言って手伝いに行ってるんだ。あんなに腹が大きいのに……だからティンク、頼む! 盗まれた魔道具を探してくれ!」
「近づきすぎだ!」
ズズズィッと迫ってきた隊員の勢いに圧され、老魔術師はひっくり返りそうになる。それをすぐさま支えたクロードが、いっそう眉間のシワを深め、隊員をシッシッと犬のように手で払った。
「……どこを探せばいいのかのぅ?」
おっちょこちょいな隊員が「頼むぞ!」と連呼しつつ帰ると、ティンクルスは困り顔になって首をひねった。
隊員が去った入口を見て、ふんっと鼻を鳴らしたクロードの、眉間のシワは取れていない。
隊員の持ってきた話が、今のところ警備隊からの正式な依頼ではなく、身重の妻を心配する夫の相談事だったからだろう。彼にしてみれば『ティンクの仕事を邪魔する厄介事』にしか聞こえなかったに違いない。
通常、魔術薬師工房の魔道具は魔法院で作られている。微妙な加減が必要な、しかも人命を左右する魔法薬を作るための物だ。出来上がった魔道具は魔術師がしっかりと確認する。
今回、魔道具職人工房に依頼したのは、魔石ではなく道具の部分の修理だったからだ。
とすると、魔道具を盗んだ者は魔術薬師工房の修理依頼を知っていた、ということか。魔術薬師、魔道具職人、両工房のいずれかに関わりのある者なのか。
だが、と、ティンクルスは紅茶のカップを持ち上げた。空であることに気づきティーポットに手を伸ばすと、いち早くクロードが注いでくれる。
これに礼を述べつつ首をかしげる。
「何で魔術薬師工房の魔道具を盗んだんじゃろ?」
「自分たちで魔法薬を作って売り捌く気じゃないか?」
「じゃが、魔道具があっても魔法薬を作るのは難しいと思うんじゃ」
魔法薬の作り方、魔道具の使い方、完成した薬の品質を確認する方法。これらを学ばなければ、魔道具を盗んだとしても魔法薬は作れない。
魔法薬の作り方を知っているのは魔法使いだ。が、彼らは魔道具など無くとも薬を作ることができる。それに、街で魔法屋を営んでいる者の大半は魔術を知らないので、魔道具の使い方がわからないはずだ。
使い方を知っているのは魔術薬師工房で働く者だ。しかし、今回盗まれた魔道具は一つ。魔法薬作りは工程ごとにさまざまな魔道具を用いるので、一つだけ手に入れても意味がない。
ここまでを考え紅茶を啜ったティンクルスは、今度は逆の方向に首をかしげた。
そもそも、盗んだ者の目的は『魔術薬師工房の』魔道具だったのだろうか。どんな魔道具でも良いから盗み売り捌こうと考え、実際に盗んだのが魔術薬師工房の魔道具だった可能性も、ある。
「だとしたらそんな魔道具、売ったとしても買う奴がいないよな。盗んだ奴も売れないと思って捨てるかもしれない。結局、見つからないんじゃないか?」
「むぅ……」
老魔術師の唇が尖った。
盗まれた魔道具を探すより、魔法院から新たな物が届くほうが早いかもしれない。それでも、魔道具泥棒を放っておくわけにはいかない。
おっちょこちょいな隊員のかみさん――黒いローブを羽織った魔法使いの娘、いや、お腹の大きな妻がいつまでも働くのも心配だ。
少しでも見つかる可能性があるのなら。
「わし、ちょっと調べてみようかのぅ」
「……店が忙しかったら無理しちゃダメだぞ」
「お!」
ティンクルスが小さめの拳をぐっと振り上げる。クロードは心配とほほ笑ましさの混じったような困り顔を向け、ついで、隊員が去っていった入口を再び睨みつけた。




