老魔術師は二度目を生きる
「ティンク様ーっ!」
「おお、竜! や、坊ちゃん! やっ、竜だぁ!」
竜の棲み処から谷を越え、人の住まう地が近づくと、老魔術師らを心配して待っていたのだろう、騎士が感極まったような大声で叫び、案内の猟師たちは竜を見て騒ぎだす。
「お……ふ、ふっ」
草むらにパサリと降ろされ、ヨロリとよろけた。ティンクルスは必死の形相で駆け寄ってくる騎士を労うこともできず、悠々と飛び去る竜に感謝を述べることもできず、よろよろとしゃがみこむ。
「だからお前! もっと丁寧に運べって言ってるだろ!」
美しく、雄々しく、羽ばたく竜をクロードが罵倒する。
「こ、これ、クロ……ふぅ」
老魔術師の頭が、カクリと垂れた。
やはり空を飛ぶのは苦手だ。爺のままだったなら、確実に心臓が止まっていたと思う。
大精霊が若返らせてくれたのは、この大空の試練を耐えうるためなのか。ともかく若返っていて良かったと、元爺はふぅふぅ言いつつ心の底から感謝した。
それから、老魔術師の一行は森を抜けてフィーリィの村へ戻った。少しの休息を経て旅を再開し、さまざまな街を、村々を、巡った。
精霊が囚われている玉を手に入れるために奔走したり、人々の騒動に巻きこまれて慌てたり。時間を見つけては、千年前の出来事とその結末をまとめたりもした。
夏は湖に浮かぼうとして溺れそうになったり、秋は収穫祭に参加してクロードに抱えられつつ踊ったり、冬は雪だるまを作りながら自身も転がって雪まみれになったり……
老魔術師は精一杯、がんばりながら楽しみながら旅を続けた。
そして――
「おぉ……懐かしいのぅ」
並ぶ灰白色の建物。まっすぐ伸びる通りの先にはアーチ橋が見える。そのずっと向こう、陽を受けて白く輝きそびえ立つのは懐かしの王宮だ。
じわり、目頭が熱くなる。ティンクルスは、ついに王都へ戻った。
「ティンクさんじゃありませんか! 戻ってきたんですね」
大通りを歩けば、見知った人々が懐かしそうに嬉しそうに次々声をかけてくる。
「おお、久しぶりじゃのぅ。わし、また中央街で暮らすことになったから、よろしく頼むのぅ」
老魔術師はにこにこと弾む声で答える。
「ちょっと自由市場に寄ってみてもいいかのぅ?」
人々が集まり活気あふれる自由市場。警邏中の隊員に会えるかもしれないし、近くの神殿の子供たちや、元気な薬草売りもいるかもしれない。
ここで、荷物があるため先に中央街へ戻るという騎士と別れ、ティンクルスとクロードはちょっとばかり寄り道をすることにした。
「ここも懐かしいのぅ」
自由市場は円形の広場を、東西南北に通じる道を開けて、ぐるりと建物が囲っている。建物に入りきれなかった者たちは、広場に品を広げている。
懐かしい、人で賑わう自由市場を笑顔で見まわし、しかしティンクルスは違和感を覚えて首をかしげた。
「あれ、何じゃろ?」
広場の中央に何かが立っているような。陽を受けてキラリと光る、人のような何かだ。
ちょこちょこと足を動かし、相変わらずつまずきつつ助けられつつ、その何かへ近づいてみる。
「ふぉっ!?」
「これ、ティンクだな」
ギョッとまぶたをこじ開けたティンクルスの横で、クロードが何やら納得した風な顔でうなずく。
そこには老魔術師の、いや、偉大なる魔術師の銅像が建っていた。
その姿は、まだ腰が曲がる前の、髪もふさふさとしていた頃の、五十代くらいの彼だろうか。だがしかし。
どこまでも穏やかでのんびりとした顔は、ちょっとキリリとして見える。台座の高さもあるのだろうが、ちょっぴり背も高くはないか。老魔術師お気に入りのローブ姿ではあるが、転ばないようにと丈を短くしていたはずなのに、このローブは長い。威厳の問題だろうか。
広げた両手のそれぞれに乗っているのは、魔道具や魔術武器を動かすための魔石と、工房を建て魔術薬師を育てたからだろう、小瓶に入った魔法薬のようだ。
これは、偉大なる魔術師を称える銅像――
「……きょっ、今日はもう、帰ろうかのっ」
何と言えばいいのか、どうにも気分が落ち着かない。
ティンクルスは勢いよくくるりと踵を返したせいでヨロリとよろけ、クロードに支えられる、と。
「おおおおお! ティンクじゃないか! 帰ってきたのか!」
懐かしい轟音が自由市場に鳴り響く。
老魔術師の体が思いっきり、ぴょん、と跳ねた。
*
中央街の家へ戻って幾日か。
ティンクルスは居間のテーブルに向かって、丁寧に記された数字の羅列を見つめながら口を尖らせ腕を組み、うんうん唸りをもらしていた。
「わしとクロードが暮らせて、女将さんの給金が払える程度じゃと……魔法薬は大瓶一本が五クレインスでどうじゃろ?」
数字の羅列はかつて中央街で暮らした際、老侍従が記しておいてくれた、いわゆる家計簿である。老魔術師が魔法屋を開くに当たって、魔法薬の売値を決めるのに大いに活躍している最中だ。
首をかしげたティンクルスに、クロードが「いいんじゃないか?」とうなずく。
「ティンクさん、それじゃ安すぎますよ」
ここで口を挟んだのは、再びこの家で働いてくれることになった、宿屋の元女将である。
反対されたからだろう。おもしろくなさそうな目を向けたクロードを、意に介すことなく彼女は続ける。
安くて良質な魔法薬ならきっと売れるだろうから、二人が食べて寝て、ただ暮らすだけならそれでも良いかもしれない。だが、服を新調したり家具を買い替えたり、家が古くなったら直したり、本が欲しいと思うこともあるだろう。歳を取れば働けなくなる。だから、ある程度の貯金も必要だ。
それに、と元女将は首をふる。
「あんまり安いと他の店の薬が売れなくなりますからねぇ。文句を言われても厄介ですし、同業者との付き合いってものもあるんですよ」
「ほほぅ」
ふむふむと、さすがは全てを見通す賢者のごとき女将だと、さも感心した風な顔になってティンクルスは聞き入る。
その横で、クロードはやはりおもしろくなさそうに、ふんっと鼻を鳴らす。この守護精霊は相変わらず、元女将と張り合っているらしい。
「あとティンクさん。この計算、売上税の値段が入ってませんよ」
「ぬおっ?」
商売はまだまだ素人な老魔術師であった。
「カウンターの高さなんだけどね、あれでいいか確認してくれるかい?」
ひょいと顔を出したのは、この家の改装を請け負っている大工だ。
実は、現在の居間はかつて老侍従が使っていた部屋である。以前の居間は改装し、店兼作業場として使うことにした。新たな居間は少しだけ狭くなったものの、老侍従の温もりが残っているような気がして、ティンクルスは気に入っている。
トントンカンカン、音の響いているほうへ、あせあせと向かう。
「お、良さそうじゃのぅ」
立ってみると、カウンターはちょうど腰ほどの高さだった。ほわっと笑った老魔術師は、店をくるりと見渡す。
カウンターの横には棚があり、ここに魔法薬を置く予定だ。テーブルとソファを置く場所もゆったりと取ってある。そこで来店した客の要望を聞いたり、体調を診たりする。
往診にも応じる予定だし、万年人不足らしい魔道具職人工房の工房長から、魔道具用の魔石をいくらか請け負うことも決まっている。
カウンターの後ろは、魔法薬の調合や、魔石に魔術文字を刻むための作業場だ。
「うむっ、いいのぅ」
たいそうご満悦な顔になってうなずくと、すぐ脇に立つ友を見やる。
「……このカウンター、クロードには低すぎるのぅ。もうちょっと高くしたほうがいいか、の?」
背が高く足も長いクロードと小柄なティンクルスでは、腰の位置がずいぶん違っていたようだ。
ホンのちょっと、ホンのちょっとだけではあるが、老魔術師はしょぼんとした。
それからの数日は、開店の準備に追われて忙しく過ごした。
「よぉし、看板上げるぞ!」
大工のかけ声で、木製の板に美しく洒落た文字が刻まれた、上品な看板が入口の上に引き上げられていく。ティンクルスは掲げられた看板をじっと見つめる。
『ティンク魔法店』
ここが、ティンクルスの店だ。ここが、老魔術師が二度目の人生を歩んでいく場所だ。ここでまた、がんばりながら、楽しみながら、限りある生を精一杯生きるのだ。
「クロードよ。これからもよろしく頼むのぅ」
「ああ、もちろんだ」
頼もしくうなずく友と目を合わせ、ティンクルスはほんわりと笑った。
本編 ―完―
読んでいただきまして、ありがとうございました。
竜の谷以降の旅や王都に戻ってからの魔法屋生活など、まだまだ老魔術師はつまずきつつ助けられつつ、のびのび楽しく奮闘します。その模様を『その後の章』として投稿いたします。




