老魔術師は結婚式に出席する
「ちょっと派手じゃないかの?」
爽やかな若草色の上着に、黒い細身のズボン。えり元に金のブローチをつけたティンクルスの、首をかしげる姿が鏡に映っている。
隣には、「もうお若いのですから、これくらいは」と満足げにうなずく老侍従の姿。少し妙なセリフだが、老魔術師には当てはまる言葉だ。
「そう、かのぅ……」
まだ首が傾いたままのティンクルスは、ちらりとクロードを見た。
精悍な若者は、上着もズボンも全て黒。これは本人の希望だ。もしかすると、この五十年、全身を黒い毛に覆われて過ごしてきたので、このほうが落ち着くのだろうか。ともかく地味な色ではある。
「ティンクは明るい色のほうが似合うぞ」
「そう、か」
これまでは用意された服を着、年を取ってからは愛用の、濃紺のローブばかりを羽織っていたので、いまひとつピンと来ない。まあ、二人が良いと言うのだから大丈夫だろう。
うむ、とうなずいた老魔術師は、自室を出て居間へ向かった。
今日は水の日、優しげな隊員が結婚式を挙げる日だ。おそらく彼の最も信仰する神が、水を司っているのだろう。
この信仰は、子供ならば家に従い、女性が嫁げばその家に倣い、働きに出れば主家に合わせる。仕事の都合によって曜日をずらしたりもする。どうしてもこの神を、というものでもない。
長い年月をかけてさまざまな文化が融合した結果でもあり、日々の暮らしを優先したためでもあるのだろう。
「あらティンクさん、素敵ですねぇ。なんだか貴族の息子さんみたいですよ」
ティンクルスの装いを見た元女将が、にっこりと笑った。
「貴族……派手かの?」
「いえ、よく似合ってますよ。でも庶民街の結婚式だと、花婿さんより目立つかしらねぇ?」
「む……」
それはマズイと思う。老魔術師はとりあえず、金に輝くブローチを、もたもたしながら外してみた。
老侍従に見送られて家を出ると、ティンクルスは大通りの途中で足を止め、一軒の店へ入った。
「いらっしゃいませ」
「用意してもらえたかの?」
「はい。少々お待ちください」
奥へ姿を消した店員を待っている間、老魔術師はくるりと店内を見まわす。
木製の家具が並ぶ一画に、さまざまな形の魔光灯と送風箱が置かれている。その横には、カゴに入った魔道具用の魔石もある。
ティンクルスは結婚式の贈物として、魔光灯を買っていた。もちろん、魔石の魔術文字は自ら刻んだ。
偉大なる魔術師などと呼ばれた彼ではあるが、久しぶりの作業だったため、点くかどうかを確認するときはちょっとドキドキした。何といっても先日、魔法薬作りに失敗したばかりなのだ。
「お待たせいたしました。こちらでございます」
カウンターに置いた、花の模様の彫られた箱を店員が開けた。中には水色の薄布に、花が可愛らしく描かれたカサの、魔光灯が入っている。こちらもティンクルスが選んだ品だ。
王宮では、老侍従が適切な物を用意してくれた。だから贈物を選ぶのは、これが初めてのこと。何を贈るべきか、うんうん唸り、魔光灯と決めてからもどれにするか、うんうん唸った。
「リボンをかけることもできますが、いかがなさいますか?」
「おお、いいのぅ。よろしく頼む」
にこやかな顔でうなずいた店員が、カウンターに色とりどりのリボンを次々と広げていく。
また、うんうん唸る時間がやって来たようだ。
*
アーチ橋を越えて庶民街に入ると、優しげな隊員の新居を目指した。
式は、新郎新婦は神殿で夫婦の誓いを立て、その間、出席者が家で祝う準備をしながら二人がやって来るのを待つ。酒と料理を持ち寄り、ギターや笛を鳴らして新婚夫婦を出迎える。
「ティンク、クロード。来たか」
戸を叩くと、顔を出したのは落ち着いた感じの隊員だった。
案内されて中に入ると、みなが持ち寄ったのだろう、テーブルの上には料理が並び、裏口も開け放たれていて、そちらにもテーブルがある。
もう、準備はほとんど終わっているようだ。女性たちが立ち働いているほかは、みなコップに酒を持っている。
椅子に座っているのは花嫁の母。この家で一緒に住むのだそうだ。年恰好の近い男女は優しげな隊員の両親だろう。三人で談笑している。
「お、クロード、それ何だ?」
ここで声をかけてきたのは、おっちょこちょいな隊員だった。クロードが持っている魔光灯の入った箱に手を伸ばし、しかしサッと避けられる。
「これは花婿さんと花嫁さんへの贈物じゃ」
「中身は何なんだ?」
「ま、魔光灯じゃ……」
初めて選んだ贈物。老魔術師は精一杯、考え悩んだつもりだが、いささか自信がない。
ジッと箱を見つめる隊員に、ダメじゃったかのぅ、と眉を下げると。
「……俺にくれ!」
「ふぉ?」
箱に飛びかかったおっちょこちょいな隊員を、クロードがササッとかわした。また飛びかかり、サッとかわす。
隊員はすでに酔っているのだろうか。少々もつれた足で、フンッと鼻息も荒く挑む。クロードは得意げな顔になって軽やかに避ける。
見ていた者たちからは、笑いが湧き起こる。
これなら優しげな隊員も喜んでくれそうだ。ほぅ、とティンクルスは安堵し、箱をクロードに持っていてもらって良かったとも思った。老魔術師の運動神経では、隊員を避けることなど絶対に無理だ。
「魔光灯ですって。いいわね」
「うちも今、買おうかどうか迷ってるのよ」
女性たちの声が聞こえ、ティンクルスの顔がニコニコゆるむ。
「あの箱も綺麗ね。魔光灯も花の模様かしら?」
「そうかもしれないわね。いいわねぇ……でも、リボンが地味ね」
続く言葉に、ティンクルスの眉がへなっと下がった。
綺麗に結ばれたリボンの色は、老魔術師愛用のローブに似た、濃紺。彼の好きな色なのだが、ちょっと爺臭かったかもしれない。
「おい、花婿と花嫁が来たぞ!」
みなで外に出ると、幸せそうに照れ臭そうに、手をつなぎながら歩いてくる二人が見えた。花嫁の首元には、あの銀のネックレスが輝いている。
(良かったのぅ)
ティンクルスがほほ笑んでいると、ほら、と笛を渡された。吹けないんじゃが、と首をふったが、とにかく鳴らせば良いとのこと。
――ふぅ、すぅ、ピヒィ
なんだか、間の抜けた音が出た。
それから二人の馴れ初めを聞き、酒を酌み交わし、歌を披露する者もいた。老魔術師はちょっとした魔法を見せた。おっちょこちょいな隊員の要望である。自由市場で炎を出したときはしこたま怒られたが、今日は良いらしい。
若い者たちが輪になって踊る。ティンクルスはすっかり爺気分で、新郎新婦の親とともに座っていたが、これまた、おっちょこちょいな隊員に手を引かれて輪に加わることとなった。
残念ながらうまく踊れず、ほぼクロードに抱えられ、ちょこちょこ足を動かしながらも老魔術師は楽しんだ。
「ふぅ……」
「なんだティンク、これくらいで疲れたのか? だらしないぞ」
「そうかの?」
おっちょこちょいな隊員にニヤリと笑われ、ティンクルスの首が傾く。王宮にいた頃に比べれば、今はずいぶん動いていると思うのだが。
「そうだぞ。男は逞しいほうがモテるんだ!」
隊員が厳つい拳をグッと振り上げた。これが彼の持論らしい。まくった袖から覗く筋肉からも、それが窺える。
「ほら、覚えてるだろ? あの店の、口うるさい女店主」
魔宝玉を質の悪い宝石と偽って店に買い取らせる――この事件を捜査した際、隊員に店番をさせていた女性店主だろう。
「店にいる間中、俺の顔を見るたびに話しかけてきてさ」
捜査中の警備隊員をこき使える店主だ。それは仕事を言いつけたのではなかろうか。
「俺がこの店にそぐわない、なんて言うんだ。素直に男らしいって言えばいいのにな」
それは女性店主の本心ではなかろうか。
「つまりな、逞しい男はモテるってことだ。まあ、あの女は俺の好みじゃなかったがな」
なんだか話が飛躍したような。後半部分については女性店主も同じ意見だったのでは、と思わないでもないような。
「だからな、俺が鍛え方を教えてやる!」
突如隊員の、気合の入った講義が始まった。
これに老魔術師は……ふむふむ、とまじめな顔でうなずく。モテるかどうかは別にしても、これからの旅に役立つかも、と思ったのだ。
そんな彼を眺めるクロードの顔は、何とも微妙だ。役には立たないだろうと思いつつ、本人が興味を示しているので止めにくいのかもしれない。
「ティンク。一人で勝手にしゃべってるから、聞かなくても大丈夫だよ」
白熱する講義から和やかな結婚式の場へ。ティンクルスをそっと引き戻してくれたのは今日の主役、優しげな顔に苦笑いを浮かべた花婿であった。




