宿屋の騒動
「今日も見つからなかったのぅ。また他の場所を探したほうがいいかの?」
灰白色の街が夕暮れ色に染まる頃。中央街の家具屋を出たティンクルスは、首をかしげながらクロードを見上げた。
老魔術師は精霊が囚われている玉を探し求め、庶民街の宝飾店をあらかた巡り終えると、今は中央街にも足を伸ばしていた。
魔宝玉は、中央街の宝飾店では扱わないが、家具や調度、小物などの装飾には使われている。これはこの間、うんうん唸りながら結婚式の贈物を選んだときに気がついた。だが、あちこち店を回ってみても、それらしき玉は見つからない。
ならば次は、魔宝玉を扱う職人街を探してはどうだろう。ここには修理や作り直しのために、客が品を持ちこむこともあると聞く。店には並ばない物が、職人街にはあるわけだ。
「そうだな。明日は職人街に行ってみるか。それよりティンク、ちゃんと前を見て」
「っ」
老魔術師は相変わらず、ささやかな段差でつまずき、クロードに助けられた。
「ん? あれは女将さんじゃないかの?」
抱えられたままのティンクルスが顔を上げると、見慣れた後ろ姿が目に留まった。
中央街と庶民街の間にかかるアーチ橋に向かって、家政婦をしてくれている元女将が、まだ髪を結っていないから若い娘だろう、女性に手を引かれながら小走りに駆けていく。老魔術師よりずっと運動神経が良さそうだ。いや、そんなことより。
いつもより元女将の帰る時間が早い。急いでいるようでもある。何かあったのだろうか。
「これ、女将さっ……おっ、おっ」
追いかけようとして、やはりつまずいたティンクルスを、クロードがひょいと抱えて走りだす。
夕暮れ時の大通りを、若い娘に引っ張られながら走るお婆さん。それを追う精悍な男。その腕にはお坊ちゃん風な青年が抱えられ、「お」を連発している姿。
ものすごく目立つが、老魔術師に気にするだけの余裕はない。
「お祖母ちゃん、早く早く!」
「はいはい」
「おっ、おっ、女将さ……」
「ティンク。舌をかむと危ないから、しゃべっちゃダメだ。女将!」
「あらあら、ちょっと待って」
クロードの声が届いたらしい。元女将の足がピタリと止まったことで、奇妙な追いかけっこは終わりを迎えた。
「ティンクさん、すみませんねぇ」
元女将はさして息を切らした様子もなく、息子夫婦がやっている宿屋で騒ぎが起きたので、今日は早めに帰らせてもらうと言う。
対する老魔術師は、クロードに下ろしてもらうと、ちょっとヨロリとよろめいた。
「それはちっとも構わんが、何があったんじゃ? 大丈夫かの?」
「それがねぇ、宿でお客さんのお金が盗まれたらしいんです」
元女将が困ったように首を傾けると、彼女の手を引いていた孫娘の唇が尖る。
「お客さんが綺麗な箱にお金を入れて、部屋に置いてたらしいんです。宿に預けてくれれば良かったのに……その箱、銀の飾りがついてて、フタの取っ手はすごく綺麗な玉で」
孫娘は、あんな箱に入れておいたら目をつけられても仕方がないと、顔をしかめた。
これを聞いた老魔術師の、まぶたがパチパチ上下する。もしかして。
「お孫さん。それはこんな感じの玉かの?」
ティンクルスがポケットから取りだした女神像の欠片を見せると、孫娘は「あ、そうです!」と声を上げた。
*
「この箱が二階の客室に置いてあって、中にアンサルス硬貨が十枚と、クレインス硬貨が五十枚、入ってたんだな?」
宿屋の食堂に響いた大声は、このところずいぶん縁のある、おっちょこちょいな隊員のものだ。警備隊を呼んだら彼が来たらしい。
妙におどおどした様子でうなずいたのは、お金を盗まれた若夫婦。他には、元女将の息子夫婦とここで働く者、宿泊客も集められている。不安そうだったり迷惑そうだったり、といった顔だ。
隊員の大きな手には、若夫婦がお金を入れていたという、銀で装飾された白い箱が握られていた。そのフタの上で、黒い玉がきらめく。
(……ただの魔宝玉じゃった)
玉からは、強い魔力を感じない。似てはいるが透明度も少し足りないようだ。
期待していたティンクルスの肩はかくっと下がったが、また隊員の声が響くと、慌てて背筋を伸ばした。せっかく来たのだし、日頃お世話になっている元女将の宿屋だ、何か力になれればと思う。
「今朝、出かける前は確かに金があったんだな? で、夕方、帰ってきて箱を開けたら無くなってた」
若夫婦は、やはりおどおどとうなずく。
「主人。朝から夕方までの間、客室に入れる奴は誰だ?」
「それは……この宿にいる方々ですが」
元女将の息子である主人は、言いにくそうにして客たちをチラリと見た。宿屋の者を疑う気持ちはまったくないのだろう。だが、一階に誰もいない隙を見て、何者かが忍びこむこともできる、とも言い添える。
「ぬぅ……だがな、こういうときは大抵、中にいる奴が犯人なんだ!」
隊員は握っていた箱をブンと振り上げた。ちょっと強引だとは思うが、老魔術師もこの意見には賛成だ。
外から何者かが忍びこんだのなら、もし何らかの機会があって若夫婦に目をつけていたとしても、ついでだからと他の部屋も荒らすと思うのだ。けれど犯人が、他の部屋に入った様子はないらしい。
宿屋に泊まる際、貴重品は身につけておくか、宿に預けるのが普通だとも聞いた。となると、客室に忍びこんでも大した物は盗めない、と考えるはず。それなのに、わざわざ外から盗みに入るだろうか。
やはり犯人は中にいた者、若夫婦が箱の中にお金を入れていたことを知っていた者だと思うのだ。
「よし! まだ中に盗まれた金が隠してある可能性もある。ティンク、クロード、悪いが一緒に探してくれないか?」
宿屋にも宿泊客にも関係のない第三者だから、ということだろう。ティンクルスはきりりと眉を上げ、クロードは面倒臭そうに眉を寄せ、二人の首はそろって縦に揺れた。
「クロードよ。嫌な感じのする者はいなかったかのぅ?」
食料庫をごそごそ漁る老魔術師が聞けば、鍋のフタを開けたクロードが首をふる。
「いや。でも、なんだか若夫婦はスッキリしなかったな」
「若夫婦?」
顔を上げたティンクルスの、小鼻がひくひくうごめいた。鍋からスープのいい匂いがするのだ。もう、いつもなら夕食をとり終えた頃。若返った老魔術師の腹は、元気にきゅるきゅる鳴いている。
「ティンク。ちょどいい、夕飯にしよう」
「……い、いやっ! ダメじゃ」
目の端でおいしそうなスープを捉え、ゴクリとつばを飲みこんだティンクルスは、しかし何とか誘惑を断ち切って話を元に戻す。
「不安や怯え、そんな感じだな。まあ、他の奴らも似たようなもんだけど、若夫婦が特に強かったな」
むぅ、と老魔術師は腕を組んだ。
こんな状況だ。若夫婦の心が乱れるのは当然のことだろう。だが、と首をひねる。お金を盗まれたことへの、怒りや悔しさはないのだろうか。
それに、他の者たちは若夫婦よりも落ち着いていたようだ。これはつまり、犯人は中にいた者ではない、ということか。
むぅ、と再び唸ったとき。
「あった! 金があったぞ!」
宿に鳴り響いた轟音に、ティンクルスの体が、ぴょん、と跳ねた。
「ほら、これだ!」
おっちょこちょいな隊員が、得意げな顔になって食堂にやって来た。手にしているのは大きさの違う革袋が二つ。
「おい! それは俺たちのだぞ!」
父と息子だろうか。一組の客が声を上げるも、隊員はニヤリと笑って革袋を開ける。中に入っていたのはクレインス硬貨が五十枚。それと、色とりどりにきらめく丸い玉だ。
「盗まれたのと同じ、ちょうど五十枚だ! 確か村から来た猟師だったな? それにしてはずいぶん金を持ってるじゃないか」
「それは魔物の毛皮や肉を売った金だ! 十アンサルスなんて持ってないぞ!」
「十アンサルスは宝石に変えたんだ!」
どうだとばかりにアゴを上げた隊員が、きらめく玉を指す。そこへ、にじにじと寄っていったのはティンクルスだ。
「隊員さん、これは全部魔宝玉じゃ。確かに綺麗じゃが、十アンサルスはしないと思うんじゃ」
「はっ?」
まだ物の価値には疎い老魔術師だが、魔宝玉の値はわかるようになってきた。
「そうですよ。それにこれが宝石なら、きっと十アンサルスじゃ買えませんよ。ねえ、誰か、こちらのお客さんが毛皮や肉を持ってきたところは見なかったの?」
元女将が宿屋の者を見まわすと、それは見ていないが、猟師親子が宿に着いたとき、毛皮が高く売れたと言って喜んでいたと、孫娘が口を添える。
「ぬっ!」
「あの……私たちも、その、こちらの猟師さんがそんなことをするとは思えないんですが」
「なっ!?」
被害者であるはずの、若夫婦までがこう言いだしたものだから、隊員ののどからググッと妙な音が出た。
元女将や孫娘、そして猟師親子。彼らの白い目が、おっちょこちょいな隊員に突き刺さる。
しかし、これらのやり取りは老魔術師の耳を素通りしていた。
ぱっちりと目をこじ開け、猟師が持っていた玉の一つをじぃっと見る。黒くきらめく玉から強い魔力を感じるのだ。隣に立つクロードも、これだとうなずく。
「猟師さんっ、これをわしに売ってくれないかのっ!」
ティンクルスはその玉をつまみ、ぐっと腕を突きだした。




