第1話 桜を置き去る笑顔
夢への扉は自動ドアではない。いや、あいつらにとっては自動ドア。
昨夜、落選の通知が来て那音はいつもより二時間早く家を出た。
小股で歩いていることに気付かないまま、いつもの公園に着いた。
入り口からの遊歩道は桜並木になっており、桜吹雪が向かってくるように風が吹くと、那音に季節の移り変わりの早さを突きつける。
「――俺の喉……あと一年しかないのか」
喉を確かめるように触りながら呟いた。
噴水の音。グラウンドを走る気配。
そしていつもの場所――遊具の脇、芝生とベンチだけの空間に着く頃、朝日が顔を出した。
那音は自分の心を起動させ、ルーティンを始める。
「あめんぼあかいなあいうえお……あ、え、い、う、え、お、あ、お……生バナナ、生バナナ、生バナナ」
発声練習をしていると、後ろの遊具の中から
「生バニャナ、ならバラニャ、なばにゃらば」
噛みすぎて全く別物になった声が聞こえてきた。
思わず振り返ると、アスレチック型遊具の中からひょっこりと、那音と同い年ぐらいの女の子が顔を出していた。
その顔には唇を尖らせ、若干の恥じらいを宿している。
「……だれ……?」
と那音の方から尋ねる。
「そっちこそだれ? 大きい声出すから起きちゃったじゃん」
「えっと……ここで寝てたの? 家出?」
「んーまぁ、そんな感じ。その生、バナニャって何よ」
今度は噛まないように、ゆっくりめに、しかし噛みながら彼女は言った。
「自作の早口言葉だよ」
「ど、独特な早口言葉ね」
「じゃあ俺はやることがあるので」
他人に構ってる暇はない。困ってる様子はないので、すぐに練習に戻る。
彼女は喋らず、後ろからじっと見ている。
「ふぅ……」
一通りの練習を終え、ベンチで水筒の水を飲んでいると彼女も横に座り、那音の横顔を見ながら、
「ねぇ、なんの練習? なにか目指してるの?」
とニヤニヤしながら問いかけてくる。
「……言いたくない」
「えー、夢はさ、どんどん口に出した方がいいと思うよ」
「いや、初対面の人にそんなこと話さないでしょ」
彼女の言ってることは、正しいと思うができない。今の那音にはできない。じっと自分の足元を見ている。
彼女は正面に向き直り、うーん、と考えるようにこめかみに指を当てながら
「じゃあ私が言ったら教えてくれる?」
「え……?」
「私が先に言うね」
那音の返事を待たずに続ける。
「私はね、歌手になるの!」
彼女は得意気な顔で口角を上げ思いを発する。
「お父さんが歌手なんだけどね、それがすっごいカッコよくて! ちっちゃい頃から憧れなの!」
ハッとした表情で那音は、彼女の方におもむろに身体を向けていく。
ここで初めてはっきりと容姿を認識した。すらっと長い黒髪が桜吹雪にほどけるように揺れている。飾り気が無いのに不思議と目を引き、居心地の良さを感じる。
彼女も那音の方に再び顔を向け、
「次は君の番だよ」
と首を少し傾けながら促す。
那音はすっかり重くなった口をゆっくり開き、
「……俺も……よく口にしてたけどさ、高校生になったぐらいから……すげーバカにされるように……なったんだ。無視して気にしてなかったけど………………親……友だと思ってた奴にも……手を叩いて大笑いされて…………下手だから……」
『親友』と口に出す時、感情が溢れそうになり、グッと堪えた。
彼女は勢いよく立ち上がり、こちらをじっと見つめ、
「人の夢をバカにするやつ大っ嫌い! 応援させてよ、君の夢」
本当は大きな声で夢を語りたい。みんなに共有したい。みんなから応援されたい。
もう一度水筒に口をつけ、那音も彼女の方を見る。
「……絶対に笑わない?」
彼女は口を開かず、じっと目を見ている。
疑うのはもはや失礼だろう。脚の上で拳を握り、思いを、決意を届けるための息を深く吸い込む。
そして目を瞑り、思いきって二年ぶりに夢を口にした。
「歌手になりたいんだ、俺も。いや、絶対になる!」
恐る恐る目を開け、視線を彼女に移すと……
彼女は笑っていた。
否、それは嘲笑ではない、桜を置き去る笑顔が咲いていた。
心臓にチクッと何かが刺さった。
「うっ……」
「えっ、どうしたの!? もしかして『笑うな』って……笑顔アレルギーってことだったの?」
再び横に座り、背中に手を当てられながら、天然なのかボケなのか分からない事を言われ、さらに胸を刺激されるが、なんとか口を開く。
「……ち、ちがっ、ちがう……ちょっと静かにしてて……」
「うん、わかった」
那音の言葉を聞き、すっかり静かになった。
その静けさの中で、ふと疑問が浮かぶ。
どうして家出を? どうして公園で寝てた? 親は心配してないのか?
心臓を落ち着かせ、疑問を聞こうか逡巡していると
タイミングを見計らった彼女の方から
「……やっぱりね、君も歌手目指してるんだと思った! お揃いだね!」
と堪えていたリアクションを吐き出す。
落ち着かせた心臓がまた高鳴るが、那音も口を開く。
「えっと……お父さん歌手なんてすごいね。有名な人?」
「お父さんは……最近はあんまり活動できてないの。でもすっごくカッコいいんだからね!」
「そっか……。それより……君はちょっと滑舌の練習した方がいいかもね!」
少し距離を縮めてみたくて軽口を混ぜてみた。
彼女は口角を上げたまま、ジト目をつくり、
「うるさいっ!」
と言い、すぐまた笑顔を咲かせて、
「ねぇ、今さらだけど名前教えてよ! 高校生かな?」
「そうだね。俺は風間那音、那覇の那に、音楽の音で那音って書くの。来月から高三だよ。君は?」
手頃な木の枝を拾い、それで地面に名前を書いて説明し、次を促すように木の枝を渡す。
「私は白石余梁です。ちょっと珍しいよね。余るって書いて、家とか建物の柱? とかの梁? って書くよ。私もよく分からない。てか同い年じゃん!私は通信高校だけどね」
「白石さんね」
「余梁でいいよ、那音くん! よかったら仲良くしてね!」
「余梁……慣れたら呼ぶね。あんまり遊んだりはできないけど、よろしくね。余……梁の漢字はよく分からないけど 響きはかわいいね」
「そうなのよ、梁が余ってるからもう一件家建てれますよってこと? コスパの良い大工になれよってこと?」
「多分、違うと思うよ……」
「わかってるよ!!」
さっきの笑顔の余韻が那音の網膜に焼き付いて、引き留めようとするが、昨夜の落選通知で無理やり上書きをし、立ち上がる。
しかし確実に那音の世界に梁が打ち込まれた。
「那音くんの歌聞きたいな! カラオケ行かない? 遊びじゃないよ。うーん……練習試合!」
再びニヤニヤしながら余梁が誘う。
「練習試合って……。まぁそれならいいよ。俺も聞いてほしいし、聞きたい。でもカラオケは……。とりあえず学校終わってから、17時にまたここ集合でいい?」
苦笑いしながら那音が答えると、
「おっけー!」
と陽気な返事がきた。
「じゃあ、学校の時間までにまだ家練があるから」
「ちょっと待ってなんかめっちゃ焦ってない? まだ高校生だよ?」
立ち去る那音の背中を呼び止めるように余梁が言うと、
「――このままじゃ俺の声が失くなっちゃうんだ」
苦しい表情を隠すように、振り返らないまま立ち去った。
那音は小股が治った事には気付いていない。
* * * * * * * * * * * * *
夕焼けが世界を赤く染め、一日の終わりが近づく。
那音のスマートフォンでは16時53分がデジタル表示されているが、公園の時計はいつもズレていて16時20分頃を指している。
朝の木の枝を拾い上げ、遠くに下投げした。
この日、余梁は公園に現れなかった。
『桜を置き去る笑顔』
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