追い詰める
「違うな。そもそも、彼女は川を流されてたわけじゃないんだ」
「流されてたわけじゃない?」
レニーとBBが同時にいうと、レビンソン刑事がまた別の写真を大写しにして、モニターを二人が見やすいように動かした。
そこに映し出されているのは、橋げたのように見えるコンクリート壁に人形のように縛り付けられている女の写真だった。女は足を前に投げ出すようにして座らせられ、ロープでくくられた両腕は、頭の上にある金属のでっぱりのようなものに万歳をするように固定されている。
「下半身はずっと水に浸かっていたが、全身がそうだったわけではない。時間帯や雨量によって胸の辺りまで水をかぶったらしいが、浸かっていた部分はムラがあるということだ」
「カメラには何もなし?」
そう、とレビンソンがうなずく。
「このあたりは、表側の道路沿いにはあるが、橋側はあまり映ってないんだよ。死角だな。橋側に車を停められてもわからん」
BBが、腕のほかにウエストにも巻かれているロープを見とめ、太い指でなぞった。
「がっつり固定されてるな。なんのためだろう?」
「……流されて死体がなくならないように、かな? なるべく早く発見されたかったんだろ」
間髪いれずレニーがこともなげに言い放つ。BBとレビンソンが思わず顔を見合わせた。
「レニー、お前、なんか思いついてるよな? 早く教えろ」
ついに焦れたBBが、歯をむき出して催促する。
「んー、でも、全部はまだなんだ。まぁ、なんとなくしか読めてないよ」
「なんとなくでも読めてるのはいいな、頼もしい。ぜひとも解決してくれ。おれの手柄になる」
レビンソンが笑って親指を立てる。
「どうかな? そんなうまくいきゃいいけど」
レニーも笑って肩をすくめて見せる。
「じゃあ、とりあえず、頭の傷のことは置いとくか。容疑者は? いるんだろ?」
諦めのため息をついてBBが、気を取り直したようにレビンソンに尋ねた。
レビンソンがマウスで報告書をめくる。
「ひとり、怪しいのがいる。ブレンダの恋人で、スティーヴン・カヴァーディール。父親は銀行頭取で、母親は高級ビューティサロンを何軒も経営してる。それぞれの実家も太い。典型的金持ちのお坊ちゃまってやつだな。こいつは歴代の彼女とはしょっちゅう殴り合いの喧嘩をしていて、警察の世話になったことも1回2回ではないんだが、そのたびに金で解決してきたようだ」
「こいつも大学生か。あんまりお近づきにはなりたくないタイプだぜ。どう思う?」
BBは、カヴァーディールと名札のついた男の写真を見て、レニーのほうへ視線を向けた。黒っぽい髪に神経質そうな細いあご、同じく濃い茶色の瞳がきつい。一見、優男にみえるが、道で遭遇したら反対側に避けたくなるようなどこかあやうい雰囲気を放っている。
「あー、ほんとだ。いっちゃってるなー、この眼。ひっぱれたのかい?」
レニーが言うと、レビンソンが顔をしかめてかぶりを振った。
「ひっぱることはひっぱったけどな。今回はアリバイがあった」
「アリバイ、なのかな」
意味ありげにレニーがつぶやく。BBが横目でレニーを見るが、何も言わない。今は何を訊いても教えてはくれないだろうことは、長い付き合いで百も承知だ。
「公園で例の大学生、ジョニーが死体を見かけた前の晩、ブレンダは学生アパートの向かいの部屋の女に姿を見られている。自分の部屋から出てきて階段を降りてったとこと彼女の車に乗り込むとこを。死体が着ていたのと同じ水色のワンピースだったそうだ。で、その見かけた日の前日から5日間ほど、カヴァーディールはこっちにはいなかった。マイアミで両親と一緒にほぼ毎日、どっかのパーティだのチャリティショーだのに出てたとさ」
苦々しげな口調でレビンソンが答える。
「彼女の死亡日時は? はっきりしてるのかい?」
レビンソンが報告書の中から解剖所見ファイルを抜き出して開き、死亡時刻の確認をする。
「医学的に言えば、はっきりしてない。幅がある。単純に考えれば、最後に車に乗り込むのを見られた夜から次の日の朝、公園でジョニー・コベットに見つけられるまで、なんだろうが。解剖医の話では、何日か水に浸かっていたために、時間単位でははっきりできないそうだ」
「1日くらいのずれならあってもわからないってことか」
レニーが解剖所見のファイルを覗き込んだ。
「ん? 公園にいたときはやっぱりまだ生きてたってことか?」
と、BB。
「いや、逆。死んですぐ発見されたとは限らないんじゃないかと思って」
レニーが言いながら、解剖所見の「失血死」の文字を指した。
「で、この失血死、なんだけど。公園に血は落ちてたかい?」
「いいや、ほとんどなかった。皆無ではなかったがほんの少しだった。もちろん、ブレンダの血だったよ」
と、レビンソンが渋い顔で答えた。
「撃たれた場所の特定はできてない。彼女の部屋でないことだけは確かだが」
レニーがレビンソンに向かって薄い笑みを浮かべて見せた。
「前の晩、向かいの部屋の女が見たのは、ブレンダ本人だったのだろうか? 顔は見たのかな?」
レニーの言葉に、レビンソンはわずかにためらった。
「……ん? そこは関係あるのか? いや、はっきりと見たとは言ってなかったが、こっちもきいてないな。だが、後姿が間違いなくブレンダだったと言ってた。他にも目撃者と一緒に友人が2人ほどいたが、そっちはブレンダを知らないそうだ。だから水色のワンピースを着た女が、ブレンダの部屋から出てきてブレンダの車に乗り込んだ、としかわからない」
「やっぱりね。まさに、そこがこの事件のネックなんだ。そして次の日」
と、レニーはうなずいて指を2本立て、軽く唇にあてた。
「目撃者その2。ジョニー・コベットともう1人の女」
「ええっと、パティ・ハリス」
と、レビンソン。
「オーケイ。ジョニーとパティが公園で水色のワンピースを着た女の死体、のようなもの、を見たわけだ」
と、レニーが返す。
「のようなもの、か? 死体じゃないならなんだったんだ?」
レビンソンが眉をひそめた。
「まぁ、それは根拠も証拠もないからあとで」
レニーは小さく首をふると、机から降りてレビンソンの手からマウスをとり、画面に映し出された報告書のファイルを片端からめくり始めた。
「ジョニーとパティは、カヴァーディールと知り合いじゃないのかな? 調べてあるかい?」
しゃべりつつレニーの視線はページをすばやくなめ、手は一定のリズムを刻みながら止まらずにページをめくる。
いささかあきれたようにレビンソンがレニーを見て、それからかぶりを振った。
「そもそもカヴァーディールとコベットは、学年も学部も違うし、入ってるサークルも異なってる。学生じゃないパティ・ハリスとは接点がない、と思うんだが、まぁ、正直言ってそこまでは調べてないぞ?」
いきなりレニーが顔をあげた。
「サークル! カヴァーディールはなんのサークルに入ってるって?」
「え? いや、なんだったかな? 報告書にはなかったかな?」
レニーの勢いにレビンソンがとまどい、BBに助けを求めるような視線を投げた。BBは毎度のこった、とつぶやいて肩をすくめる。
「それが事件と何の関係があるんだよ? レニー」
「いや、ごめん。もしかして演劇関係のサークルだったらな、と思っただけ」
肩をすくめたレニーが視線を画面に戻すと、おおっと声を上げレビンソンがぽんと自分の膝を叩いた。
「思い出した。それだよ、やつは確かミュージカル愛好会かなんかにいた」
「そうか、やっぱり」
レニーが満足げに顔をあげて笑みを浮かべた。BBが眉をあげた。
「待て待て、レニー。奴が演劇関係者だったらなんだってんだ? 芝居だった、ってことか?」
「それもあるけど、いろんなもんが手に入りやすいかなと思ってさ」
レニーがうなずき、レビンソンとBBが顔を見合わせる。
「なぁ、ブリントン刑事。いっつも彼はこんな感じか?」
レビンソンがささやき、BBが苦笑した。
「まぁだいたいそうだな。ときどき天の啓示があるみたいでね」
「……大変だな。がんばってくれ、ブリントン刑事」
シンプルだが真剣な言葉に、BBが吹き出しそうになるところをやっとこらえた。レニーのほうは聞こえているのだろうが、涼しい顔でちょうど報告書のページを最後までめくり終えたところだった。
「なかったな、パティ・ハリスの写真。どのファイルに入ってるのかな?」
「ああ、彼女の写真はそこにないよ。だが、確か自動車免許を持ってる。顔はパソコンで見られるよ。見るか?」
レビンソンは、自分のタブレットパソコンで検索をかけている。
諦め悪く、別の鑑識の報告書をめくっていたレニーがあるページで手を止めた。
「これは何だ?」
「ん? どれだ?」
BBとレビンソンが同時に首を伸ばして、レニーの手元を覗き込む。
レニーが見やすいように画面を二人に向け、その証拠品の写真を指差した。レビンソンがうなずく。
「ああ、そりゃ公園の落ち葉にブレンダの血痕と一緒に張り付いてたやつだな。今回の件に関係あるかどうかはまだわかってないよ。公園ならいくらでも落ちてそうな代物だし」
「そう、公園ならいくらでもね」
BBがその証拠品の写真を見て眉をひそめた。
「髪の毛、じゃないな?」
レニーは、胸のポケットからスマートフォンを取り出した。
「うん、違うね。犬の毛だよ。また、CSIに無理言って世話にならなきゃいけないかもね」
「CSI? 犬の毛なのに?」
「たぶん、必要だと思う。パティが『彼女』なら」
「あ、ほら、これがそのパティだよ」
レビンソンがタブレットで自動車免許所有者のリストから、ようやく探し出したパティ・ハリスの顔をレニーのほうへ向けた。画面上のパティは、卵形の輪郭に金髪、大きな目の少し子供っぽい顔立ちで、不機嫌そうにカメラをにらみつけていた。
「ビンゴだな。例の公園の”彼女”だ」
レニーがスマートフォンで本部のCSIにかけ始めた。
BBがパソコンからプリントアウトしてもらったばかりの書類を、太い指でぱちんとはじいた。
「さぁて、レニー、あらすじは大体飲み込めたぞ。CSIの姫君からこっちの監視班に依頼できたおかげで助かったな。まぁこの短時間じゃ犬種しか解らなかったようだがな。どう落とす? おれが黒い悪魔で、お前が白い天使?」
レニーがふふんと鼻で笑って、邪魔になり始めた金色の前髪をかきあげた。
その顔は悪ガキめいていて、到底天使には見えない。
「最近、その役回りばっかで飽きてきた。今回は、おれが悪役で」
BBが歯をむき出してにやっと笑う。
「じゃあ、おれが親切な黒人で、お前さんが性格の悪い腐りきった堕天使ってことでよろしく」
レニーが顎をあげ、げらげら笑い出した。
「いいね、おれはそういう役が大好きだよ」
尋問前に大筋の確認をして、これから攻めるシナリオを大体決める。いつものことで慣れているのですぐ終わった。
「よし、行こうぜ」
うなずいたBBが親指で取調室の中を指し、
「オッケー!」
立ち上がったレニーが、気合を入れるときによくやるように両手でジーンズの尻をパンと叩いた。
通称「金魚鉢」と呼ばれる透明なガラスが張り巡らされた取調室には、パティ・ハリスが座っていた。
高く組まれた足の先で赤いハイヒールがぷらぷらと揺れている。後ろには制服警官が立っているが、他には誰もいない。わけもわからないまま、遠い分署に連れてこられた上に小一時間ほども待たされている。パティは、時折いらついたように机を指で叩いていた。
やっとパティの左前方にあるドアが開く音がした。
抗議をするように顔をしかめてそちらを見たパティは、入ってきたレニーの顔をみとめ、そのまま口をOの字に開けて固まった。
「やあ、パティ。久しぶり」
レニーが涼しげににっこりと笑った。パティは、顔を引きつらせたまま何も答えない。
「あの日はすげぇ厚化粧していたみたいだけど、今日は普通だな」
レニーはわざとらしくパティのそばで身体をかがめ、顔を覗き込んで耳元でささやいた。パティの頬に、うっすらと血が昇っているのがはっきりとわかる。レニーはそのままパティの向かい側に座り、唇に薄い笑いをのせた。
「その顔だとおれのこと、ちゃんと覚えてるみたいだな」
パティの喉がごくりと鳴るのが、レニーのところまで聞こえた。彼女が気づかぬうちに、いつのまにか音もなく入ってきた大男のBBも、レニーの隣に座る。
「な、なんなのよ、あんたたち。こんなところに人を呼び出して。一体何がしたいわけ? あたしは忙しいんだからね」
声が震えているのがいまいましいとばかりに、パティは椅子に深く座りなおした。
「パトリシア・ハリス、通称パティ。二十二歳。セイントストリートのブティック、ブラックロゼリィに勤めている」
レニーの隣でBBが静かに書類を読み上げた。
「パティ、君はサングリント大学の公園で、ジョニー・コベットと一緒に、ブレンダ・ロギンスの死体を発見した。そうだね?」
BBが優しい声で訊くと、
「そうよ」
と、パティはふくれっつらのままうなずいた。
「そばまで寄ってみた? 触ったりしたかな?」
「そばには寄ってない。死体になんか触ったりしてない。気持ち悪いじゃない。何ヤードも離れてたわよ」
「そうか、そりゃそうだよな」
優しくBBがうなずこうとしたとき、
「嘘をつくな、嘘を」
唇に酷薄そうな笑みを浮かべたレニーが、身を乗り出した。パティがピクリと反応する。
「何が嘘よ」
「何ヤードも離れてた、だと? 何のたわごとだ?」
声音は静かだが、中に冷たいものが含まれている。整った顔のレニーの鋭い瞳は、氷の刃のようにパティを射すくめた。
「あんたが死体から何ヤードも離れてた、なんてのは大嘘なんだよ」
「何よ、それ。誰が大嘘なんか」
パティがレニーをにらみつけるが、視線の強さに負けてすぐに目を伏せた。
「近寄らないわよ、死体のそばになんか。血まみれのあの洋服と頭を見たら誰だって……」
「じゃあ、これはなんだと思う?」
レニーは、ポケットから黄色いテープが張られた小さなビニール袋を取り出し、目の前に掲げた。中には、細い白い毛のようなものが数本入っている。
「は? なにそれ、知らないよ」
レニーの口元が歪んだ笑みを浮かべた。
「知らない? おかしいなぁ。君は知ってるはずだよ」
レニーは、パティの目の前でぷらぷらと袋を振って見せた。
「こいつはね、君がジョニーと一緒にブレンダが倒れていた、と言い張った大学の公園で鑑識が見つけたんだ。ブレンダの血と一緒に。落ち葉にこびりついていたそうだ」
パティは口を硬く閉ざしたままだったが、お構いなしにレニーは言葉を畳み掛けるように続けていく。
「君がおれと最初の公園で会ったとき、君を慰めてくれた老婦人がいただろう? 彼女は犬を、そう、白い犬を連れていた。名前はミッシー」
無言だったが、パティの目が一瞬大きく開いた。
「覚えているようだな。そう、白い犬、ポメラニアンだよ」
レニーの歯切れの良い追求の言葉と共に、パティの顔色はどんどん悪くなっていく。
「犬だってDNA鑑定ができる。これはポメラニアンの毛だったよ。今の季節、犬は換毛期だからな、抜け毛が多い。毛は抜けて、君のピンクのジャージにくっついた」
にやっとレニーは意地の悪い笑みを浮かべた。
「さて、じゃあ、このポメラニアンの毛は、どこでブレンダの血にくっついたんだろう? あの大学の公園にいたのは君だ。君からブレンダに毛がくっついたと考えるのが自然だよな。君は死体のそばに近づいちゃいないと言い張っているけど、じゃあなぜ、ブレンダの血と一緒にポメラニアンの毛がくっついていたのかな? おれに、わかりやすい説明をしてもらえると助かるんだけど?」
「ど、どっからか、風で飛んだんでしょ。それか、別の犬、犬なんてたくさん歩いてるじゃん」
「ふざけちゃいけない」
レニーは、再び無表情に戻っていた。だが、目だけは異様に澄んでいて視線がきつい。
「ブレンダの血液は、非常に少ししか落ちていなかった。ほんの数滴さ。君のジャージから毛が風で飛んだところにたまたま血が落ちていた、と考えるのは無理がある。そしてあの公園は、前に問題を起こした奴がいて、大学が厳しく管理している。犬の散歩は禁止だ。少なくとも、発見日あたりのあの時間帯に監視カメラに犬をつれた人は映ってない」
パティの顔が少し青ざめる。
「それにさっき言っただろう、犬だってDNAで個体を特定できるんだよ」
レニーは、パティの前に指を3本立てた。
「可能性は3つある。まず、ひとつめ。君がブレンダをあの場所に呼び出して銃で撃ち殺し、発見者のふりをした」
「してないよっ! そんなこと」
パティが動揺したように机から半身を乗り出して叫んだ。
無表情のまま、レニーは指を1本折る。
「ふたーつ! 君は、誰かの共犯者でそいつと一緒にブレンダの死体をあそこに捨てた」
「やってない! あたしは、あたしは人殺しじゃないよ。それにあたしは、ブレンダになんて会ったこともないんだから」
パティの必死の否定の上に、よく通るレニーの声が容赦なく言葉をかぶせていく。
レニーは2本目の指を折る。
「みっつ! あそこに倒れていたのは、ブレンダの死体のふりをした誰かで」
そこまで聞いたパティがぴたりと口をつぐんだ。そのまま、すとんと元の椅子に腰を落とす。
レニーはそこで言葉を切ると無表情を崩し、どこか楽しげなしかしとても意地悪そうな笑みを浮かべた。
最後の指でパティの顔を指差すと、ことさらゆっくりと言葉を紡ぐ。
「君は、その誰かと、とても、仲がいい」
パティは、青ざめた顔できっちりと唇を結んだままだった。




