第三部 闘争 28
取り調べは午前五時から始まった。担当の刑事は貴斗を殺した容疑者が、伸也だという前提で話を進めていた。伸也もその点は同意していたが、問題は凶器が何かだった。
「伊豆の事件の調書も全部読ませてもらったぞ。あの時と同じで、どうして死んだのかわからないとか言うのか? そんな話がまさか通るとでも思っているんじゃないだろうな」
高圧的な刑事の言葉を伸也は上の空で聞いていた。藤岡たちの警告など正直どうでもよかった。全部話してやろうと思う。ただ感情が追いついていないだけだ。
あのときどうして、貴斗を殺す波動を出してしまったのか。突き飛ばすだけの波動で十分じゃなかったのか。
そんな余裕はなかった。あと少し遅れていたら、奈緒が殺されていたんだ。冷静な自分が言い聞かせるが、感情は激しく乱れていた。疲労感は限界を超えていたが、興奮と悔恨の思いが渦巻き、目は冴え冴えとしている。
「事件の前に小野と会ったのはいつだ」
「ちょうどあの地震が起きる直前です」
「どこでだ」
「それが……よくわからないんです」
「会った場所がわからないというのはどういうことだ」
「俺、拉致されていまして。EMOという機関があるんです」
「どこの組織だ」
「多分、日本政府かと思いますけど」
「そんな組織、聞いたことがないぞ」
取調室のドアからノックがして、若い男が入ってきた。
「杉浦警部、署長がお呼びです」
「なんだよ」
取調官は小さく舌打ちして、取調室を出ていった。伸也は殺風景な部屋に、補助の若い男と二人で取り残された。
時間が経過していく。窓から差し込む光の角度は高くなっていた。正確な時間はわからないが、もう昼近いのではないか。そう思ったとき、ドアが開き、取調官が入ってきた。
「出ろ、釈放だ」
「えっ」
「釈放だと言っているだろ」
狐につままれたような顔の伸也に、取調官が苛立たしげに睨んだ。
「お前らの様子はすべて防犯カメラに映っていた。お前が小野に危害を加えた様子は確認できない。よってお前を逮捕する理由もない。以上だ」
取調官がこの決定に不服なのは、表情を見れば明らかだった。取調室を出て、所持品の返却を受けるときも、周囲の警官から鋭い視線を浴び続けた。
新宿署から出た。体がひどく重く、歩くのもつらい。まぶしさに目を瞬かせながらスマホを操作した。麻衣子から、豊島区にある都立病院で手術を受けているというメッセージが入っていた。今警察から解放されたと返信を返し、青梅街道に出た。地下鉄の入り口にもたれ掛かり、スマホから配車アプリを呼び出した。
「伸也」横から聞き覚えのある野太い声が聞こえた。いつの間にか、傍らに安田の巨体があった。隣にもたれ掛かる。
「あんたたちの仕業か」
「伝言だ。『これ以上何か喋ることがあれば、次はもっと過激な処置を取る』以上だ」
「それだけのためにここまで来たのか。あんた、有名人なんだから襲われるぞ」
「ここをどこだと思ってる。天下の新宿警察前だぞ。馬鹿が現れたら騒げばいい。警官が束になって来てくれるさ。それより、奈緒の入院先は知ってるか?」
「麻衣子から聞いたよ」
「右の腎臓と大腸がズタズタになっていたそうだ。出血もひどくてな。さっき手術は終えたが、まだ予断を許さない状態だ。病院まで俺の車に乗っていくか」
「断る」
安田はさみしそうに笑った。「だろうな」
「わかっているなら早く消えてくれ」
「最後に個人的な意見を言わせてくれ。貴斗の件は残念だったが、あれはお前のせいじゃない。俺がおまえの立場だったら、同じことをしていたよ」
安田は歩き出し、人混みの中に消えていった。
タクシーに乗って都立病院へ到着した。動かない体を引きずりながら、壁にもたれ掛かるようにして廊下を進み、エレベーターに乗った。麻衣子が指定した階で降りると、待合スペースに麻衣子が座っているのが見えた。
「伸也」
麻衣子が立ち上がり、駆けよって伸也を抱きしめた。
「大丈夫だったか」
「あたしは打撲だけ。奈緒はまだ意識を回復していない」
「そうか……」
麻衣子のぬくもりを感じると、今まで緊張していたものがプツンと切れた。
目眩がすると同時に足の力が抜け、麻衣子に倒れかかるように崩れ落ちた。体重を受け止めた麻衣子の足がよろけた。
「伸也、どうしたの。ちょっ、ちょっと待ってよ」
貴斗がのけぞる瞬間、貴斗の叫び、瞳孔が開ききった目。フラッシュバックとなって現れた。
「貴斗を……殺しちまった」
感情が爆発してボロボロと涙が溢れ、子供のように激しく声を出して全力で泣き始めた。
「伸也、しっかりして」
麻衣子の悲鳴のような声が、頭の片隅に響いているのをぼんやり感じていた。
気がついたとき、伸也はベッドで横になっていた。周囲はパーティションで仕切られており、外から音が聞こえてくる。
「大丈夫?」
麻衣子が心配そうな顔でのぞき込んできた。腕には点滴のチューブが繋がれている。頭に靄がかかっているような感覚だ。鎮静剤を注射されたのを思い出した。
次第に意識がクリアになっていく。同時に貴斗の記憶が蘇り、再び涙が溢れた。
「いい、貴斗は追い詰められていて、伸也を道連れにしたかったのよ。だからあんなまねをしたの。奈緒を殺そうとすれば、自分と戦ってくれると思っていた。あいつはきっと自分が死んでもいいと思っていたはずよ」
「そうかも知れない。だけど俺が貴斗を殺したのは事実なんだ」
「わからないの? それが貴斗の目的よ。あいつは伸也がトップダンサーになったのを許せなかった。だから負い目を負わせようとしたの」
「そうだと思う。でも、あいつとはずっと昔から友達だったんだ」
「グロウに加担し、早川さんを見殺しにして、奈緒とあなたを殺そうとした奴よ。それでも友達だなんて言えるの?」
伸也は議論するのに疲れ、小さく首を振って目を閉じた。
共進会で出会った頃からずっと一緒だった。親友であり、ダンスでは一番のライバルでもあった。スマホに映った七色に輝くオーロラダンスの動画を一緒に見ながら「俺もこんな風に踊るんだ」と興奮しながら語り合っていた十五の夏。
あいつが俺に悪意を持ってたのは確かだ。でも、それだけで簡単に割り切れる話じゃなかった。
簡単な診察を受けた後、睡眠導入剤を処方されて、緊急病棟から解放された。再び奈緒の集中治療室がある階へ行き、看護師から様子を聞いた。前と比べて容体はかなり安定しているとのことだった。急変したら連絡してもらうよう依頼し、二人は病院を後にした。
「ねえ、大丈夫?」
麻衣子が少しふらつきながら歩く伸也の腕を掴んだ。
「ああ。ありがとう」
そのときはまだ、鎮静剤の影響が残っているんだと思っていた。
麻衣子のマンションに戻ると、食欲はなかったが、何か食べるべきと言われ、彼女が作ったオートミールの中華粥を食べさせられた。暖かく、溶き卵の入った優しい味が空になった胃へ染み渡る。シャワーを浴び、睡眠導入剤を飲むと、泥のような眠りに落ちた。
翌日、スッキリした意識で目覚め、ベッドから出たが、少しふらついて傍らの棚に手を着いた。
「さあ、ご飯の前にランニングへ行きましょ」
麻衣子にせかされてランニングウエアに着替え、外へ出た。マンションの前で軽くストレッチをする。
立ったまま、後ろから右足を掴んで引っ張り上げ、足の筋を伸ばそうとしたが、よろめいて足を離した。背を向けていた麻衣子は異変に気づいていなかった。
走り出しても違和感は消えなかった。意識していればまっすぐ走れるが、少しでも油断すると、いつの間にか左右に方向がぶれている。
「ねえ、どうかしたの?」
異変に気づいた麻衣子が、心配そうに話しかけてくる。
「体がふらつくんだ」
マンションに戻ってシャワーを浴び、朝食を取った。食欲は回復し、麻衣子が作った山盛りのチキンとレタスのサラダにベーグルとヨーグルトを完食した。
午前中はジムで汗を流し、午後からは川崎のスタジオに行ってダンスのトレーニングをした。最初、音楽に合わせて軽くステップを踏んでみたが、いつの間にか位置がずれていた。ターンしても、フィニッシュでバランスを崩した。一応一通りの動きを試してみたが、違和感は拭えなかった。
「おい伸也、どうかしたか」
雄大が心配そうに話しかけてきた。
「いろいろあった後なんで、まだ、まだコンディションが万全じゃないようです」
「そうだろうな、あんまり無理するなよ。これで調子を崩したら、元も子もない」
雄大が伸也の肩を叩いて離れていくと、小さく息を吐いた。麻衣子が近づいて、そっとささやきかけた。
「まだふらつくの?」
伸也は小さく頷いた。ステップならどうにかごまかせる自信はあった。しかし、腕一本で体を支えるようなパワームーブはどうにもならない。すぐにバランスを崩してしまう。
ふらつきは一週間経過しても治らなかった。麻衣子の勧めもあって病院で精密検査を受けてもらった。結果は異常なしだった。
「似たような症状で、最近クエイクシンドロームという症状が報告されています。先日の揺れでショックを起こして、四六時中体の揺れを感じるらしいです。日本は良くも悪くも地震に慣れていましたから、そんな報告はありませんが、外国では割とメジャーに存在するそうですよ。取りあえず、規則正しい生活を送ることが重要ではないかと」
穏やかに話す医者の言葉に伸也はひどく落胆した。症状が起きたのは貴斗と戦ってからだ。地震が原因ということはあり得ない。
「俺、ダンスをするのが怖くなったんだ」
その日の夜、「なかきよ」で刺身をつまみながら伸也はポツリとつぶやいた。
「どうしてよ、ダンスは自分や人を楽しませるためのもの。確かに貴斗は死んだけど……」
伸也は首を振る。「もともと荒川さんがオーロラダンスを始めたのは、梨奈に対抗するためだったんだ。つまり、オーロラダンスは戦いのために作られた、血塗られたダンスだよ」
「そんな風に言わないでよ」麻衣子が睨み付ける。「確かに元々はそうだったのかも知れないわ。でもね、今はみんなオーロラダンスを楽しんでいるのよ。それってミリタリージャケットが戦争のために作られたから着ないとか言ってるのと同じでしょ」
麻衣子の激しい反論に伸也は頷くしかなかった。
でも、俺はダンスで貴斗を殺したんだ。この事実は変わりなく、伸也の心に刻み込まれていた。
帰り道、少々飲み過ぎた伸也は藤岡に殴られた時を思い出していた。あのとき浴びせられた「偽善者」と言う言葉が、重くのしかかっていた。
俺は貴斗を殺し、北村さんを見捨てて今ここにいる。早川さんを見捨てた安田と同じ「偽善者」だったんだ。
ボロボロと涙が溢れてくる。
麻衣子が何も言わず伸也に寄り添い、腕を抱え込むようにして手を握ってくれた。
「ありがとう」
涙が更に溢れてくる。
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