Bパート
チャポン
因心界の本部の11階には銭湯がある。ここはみんなで使うためにある大きな銭湯だ。
本部に住んでいるキッスと飛島、白岩、ヒイロもたまに利用している。
客としてのご利用をメインとしているが、キッスの指令で貸切になる事もある。
「良い湯だ」
人も出払い。22時から翌日の1:00までこの女湯を貸しきっている、キッス。
覗き、盗撮は任せろという蒼山がいるため、外は壁にしていて夜景を楽しめないが。それもまぁいいと、温泉だけじゃなくサウナも堪能しているキッス。粉雪が来るのを待っている。
約束の時間を設定していないが、来るはずだ。
ウィーーーンッ
「待たせたわね、キッス」
23:10頃に自動ドアが開いた。
バスタオル一枚を巻き、愛用シャンプーとリンスを持って、ようやく現れた網本粉雪。
「十分に堪能できた。背中を洗ってあげようか」
「それは遠慮。悪いけど、隣にいてくれない?」
少し警戒をしていた粉雪だったが、キッスしかいない事を確認してバスタオルをその場で投げ外した。桶にゆっくりと湯を溜めながら、椅子に座る。タオルを鏡の前に置き、まずは洗顔。体を手入れしながら
「キッス。あんた、下で起きてる事件を知らんふりするわけ?」
「なんのことだ?小物のやり取りに興味は湧かんぞ」
キッスは粉雪のお願いどおり、隣に座った。そして、鏡で自分を見ながら粉雪の質問には、全部答えようと思っていた。
「ならいいわ。まぁ、構ってる余裕もないし」
洗顔を終えて、ボディソープで包み込むように体を洗っていく。
なにやらこの本部の下で事件が起きたようだが、対応できないようにしているんだろう。仕方なしとして、粉雪は本題に入る。
こうして、佐鯨の戦死に白岩とヒイロの追放が確定しただけに。
「"十妖"、3人の穴をどーやって埋めるつもりよ?SAF協会を相手どるのにさ」
まず、因心界の大幅な戦力ダウン。弱くなったんで護れませんでしたなんて、あってはならない事だ。これについての対応を求めて、
「白岩とヒイロ2人分の補充は、すでに相談を終えて確定している。残り一枠だが、サザン様の方で優秀な妖精を召喚させてもらうようお願いした。それと、私の方からも1人選んでいる」
「ま、白岩とヒイロ、佐鯨の3人分の穴を、4人の妖人で埋められるとは思えないわね」
そりゃそうだ。そう思うだけの戦力ではあるが、キッスの考えが思った以上の事だった。
「そうでもないぞ。特に決まっている2人に関しては、粉雪や野花、北野川も知っている人達だ。信頼もするだろう」
「……!……ちょっとそれって、まさか」
「ふふふ、そーいうことだ。だが、まー。ブランクはあるし、ハンデもある」
「前線に立たせようって事はないようにね」
とんでもねぇ2人を選出したなって。粉雪はあんまり良い思いをしない顔で、抜けた穴の補充要員の一部を知った。
確かに昔の実績だけならヒイロと白岩を超える。でも、向くべきは今だ。
「ということは、上手くいけば穴は埋まるわけね。少なくとも、SAF協会と戦えるだけの戦力はあるのよね?」
「シットリなどとは遭遇しているが、肝心のあいつがまったく出て来ないのに違和感はあるだろ?」
「ルミルミのことね」
SAF協会を率いている妖精、ルミルミ。
シットリがSAF協会のメンバーを纏めているが、あくまで司令塔。彼等のトップは絶対的な力を持っている、ルミルミなのだ。
このルミルミ。妖精の国を纏めているサザンとはかつての同志であり、涙一族とも関わりがあった妖精。
「"生物の基盤を宿す、始祖の妖精"」
可能性と呼べることに関しては、妖精の中でも最大のものを持つ。
人間界にいる妖精の力では、1番の実力者とされる。キッスも粉雪も、戦った事がある。その妖精の性格、行動からして。ここのところ、まったくと言って良いほど穏やか。妖精を不法な手段で人間界に降ろしていたようだが、それでも
「ルミルミにしては大人しすぎね。シットリの言う事を聞いているって事を思えば、納得できるかもだけど」
「……ルミルミは馬鹿だからな」
「同意」
キッスと粉雪、両方に馬鹿呼ばわりされる妖精。しかし、アイーガもダイソンも内心で思っているだけだが、SAF協会はシットリが率いて欲しいと願っている事も多々ある。
あれは前線に出たがるというか、感情を抑え込めないタイプというか。人間に対して激しい憎悪を抱きながら、その日の気分によって許しもするし遊びもする、殺しもする。大義などというのは一切なく、天災のように人間界で暴れ回る妖精。
そんなのが異常に強いのだから困りものだ。
ただし、その強さが不安定であるが故、シットリと比べれば危険性が高いだけと、キッスと粉雪は思っている。実際、過去に何度も追い詰めている妖精ではあるが、それを何度も阻んで来たのがシットリだった。こいつのせいでルミルミを倒しきれなかった。
ルミルミとシットリは師弟関係。
シットリの才能は決して優秀なものではなかったが、非常に勤勉家で我慢強く、執念深い。そこにスパルタというにはあまりにヘビィな特訓をするルミルミ。普通の妖精なら死に至り、少し出来のいい妖精が生き残っても、心を砕かれ植物のようになる修行をシットリはやり遂げ、ヒイロと互角の力を手にした。
拷問に等しき修行ではあったがそれを手伝い、本当の強さをくれたシットリにとってはルミルミに深い恩があるのだ。
彼がトップの座に着かず、ルミルミの下につく事でいいのにも起因している。
「ルミルミが個人行動をしてくれれば、危険ではあるが戦いやすいんだがな」
「勝つのは容易じゃないけど。常にシットリかダイソンのどっちかは、ルミルミの傍にいるし。ジャネモンもいるとなると、ルミルミに辿り着くまでが困難。あいつは最後にしなきゃならない」
少数精鋭のSAF協会ではあるが、ルミルミに限って言えば、そうではない。
周りから崩さないといけない。
だが、ルミルミが馬鹿と言われる原因に、この妖精が最前線に出たがる性分であるため、自分を知らな過ぎることがある。
ザボーーンッ
キッスと粉雪は同時に温泉につかる。
一通り、因心界側の戦力増強については話したし。この次に戦う事となるSAF協会の確認もした。だが、まだ問題は山積み。この組織の内側にも、敵がいるという厄介な状態。
「"涙一族"はどんな反応を見せるつもり?」
因心界の母体である組織にして、キッスが一族の長を務めているわけだが。内部での混乱、反発は当然ある。キッスの場合、特別なところもあるからの選任であり、快く思っていない者達もいる。
今回の件は、酷くキッスを批判するだろう。
「"悪い報せ"だが監視員達が来る。それもほとんど、一族総出だろう。最悪、因心界を乗っ取る動きもあるかもな」
「ヒイロの事はまだ分かってないでしょ?」
「あぁ。ま、……それ含めた責任をとれと、私に辞職を求めるだろうな」
「キッスがトップじゃなきゃ、私と野花、および革新党は協力しないわよ」
「決まったわけではない」
"涙一族"
キッスとルルの一族の本流で形成されている組織だ。因心界の母体と言える。
だが、この一族同士はあまり仲が良いとは言えなかった。色々と闇の深い組織であり、妖人を輩出する名家と言えば、聞こえはいいが。
何代にも渡って人体実験に等しい、妖精と人間の調査を行なってきた組織。現在はキッスのおかげで鳴りを潜めているが、キッスが因心界にいることで活動は密かに続けられている。
因心界という名を使っているのは、"涙一族"の影響下を少なくするための配慮。
立ち上げた人物からの提案であった。
それを快く思っていない連中がおり、ヒイロと白岩、佐鯨が抜けた今。動くのは確実。
「っていうか、"悪い報せ"って。キッスだけでしょ?」
「そう言わないでくれ。あのおじさんは凄く嫌いなんだ、両親と同じ気持ちだ」
「いい加減考える時期でもあるんじゃない?」
「ふんっ……」
そりゃあんたもだろって、余計なお世話という顔をするキッス。
期待される新戦力の数々と、不穏な"涙一族"の動き。ヒイロが担っていた雑事もキッスがほとんどを引き受けるため、今まで以上に忙しくなる。
「そーいう革新党はどうなんだ?」
「平常運転よ。私がトップなんだから、あんたに因心界のトップを譲ってるのも悪巧みのためじゃなくって?」
「私の両親と顔を合わせても、変わらないって言われるだけだな」
平常運転とは言うが、ヌケヌケとキッス本人の前で悪巧みと言える粉雪。
お互いの仲は良いのだが、組織同士の対立はある。"涙一族"の多くのものにとっては、"革新党"は好かれておらず、特に非道な人体実験を世間に公表されるきっかけとなった者達にとっては"革新党"が嫌いだった。キッスにとってはそれが良かったと思っているが、粉雪に関しては別の意味で警戒をしていた。
言おうが、言わないが、粉雪は自分が強く警戒されているのを自覚しているだろうし。
「ヒイロと白岩の追放、辛いんじゃない?特にヒイロは私を監視する目的で、サザンが降ろした妖精だもんね」
「……お互い手をとるが、お互い頭までは分かり合うわけにはいかないだろう」
先にキッスが温泉から上がる。かなり長い事温泉を楽しんでいた。
去り際に
「警告するが、私も前線に出る。うっかり、粉雪を殺してしまうかもしれないぞ」
「怖っ、肝に命じておく」
「それはこっちも同じだ。話しができる立場同士でこれからもこの関係でいようではないか」
「そうね」
完全にキッスがいってしまった後
「……そんなことできないでしょ。ようやく、あんたの協力者を剥がせて前線に出すんだから」
粉雪もまた、不穏な態度を出すのであった。
全ては革新党と自分の目的のため。最後に立ちはだかるのは、間違いなく涙キッスであるのを覚悟している。
◇ ◇
「キッス様!大変です!」
「?……ああ、粉雪が言っていたな」
温泉から出た後、着替えをし、コップに牛乳を注いで持ちながら脱衣所を出たキッス。そこにすぐやってきたのは飛島だった。この一大事に何してんだと言いたげな表情だった。キッスは言われた時、なんの事だろうと思っていたが、すぐに事件が起こるのは分かっていた。
「此処野がいなくなったんだろ」
「知っているなら捜索しなければ!あの男を逃がすくらいなら、死刑にすべきだった」
「うん」
やべぇ男の脱走。しかし、キッスは意に介さずに牛乳を飲む。それを感情のまま指摘する飛島。
「なに悠長に牛乳飲んでるですか!」
「そう慌てるな。もうかなり時間が経った。一眠りして、明日……じゃー、古野と表原ちゃんが来れないか。ま、2人のOK次第で色々話すことがある」
「?……???」
現場情報でしか知らない飛島にとって、今のその言葉を理解するのには難しい事だった。
緊急対策を遅らせる理由に、まだ状況が整っていない因心界内部の問題がある。
キッスは触れなかったが、北野川のメンタル的なダメージも相当なものだ。
「ところで、ヒイロはどうした?」
「ヒイロさんも捜してますけど、どこにいるのやら」
「ふむ」
ということは、荷物を纏めて無事に出たということか。
「ひとまず、今日は休め」
「いいのですか」
「そう慌てても仕方ないだろ。飛島、そんなに此処野を狙っているのか?ダイソンだろ」
「…………」
因縁の相手の名を出して、飛島も休ませるキッス。
追えばアジトも突き止められるはずだと思っているが、傷の方は万全ではない。あまり眠れはしなかったが、自室で休むことにする飛島。
キッスは捜すフリをしながら、ヒイロと白岩の部屋を探った。
粉雪も気を回して、こっちの方へ来てくれたから此処野を回収して迷わず逃亡したんだろう。もう因心界には戻って来ないだろう。
ズザザザザザ
その予想通り、ヒイロと白岩の2人は、此処野神月を回収していった。
「いででででで!!し、白岩!!テメェ、この俺をなに引き摺ってんだ、こらぁっ!?」
「出してあげただけ良いと思いなよ!傷も治してあげたし!」
「今、お前に傷つけられてるんだよっ、ゴラァ!!」
白岩はレンジラヴゥに変身し、此処野に括りつけた縄を無造作に引っ張り、地面に跡を残しながらどこかへ向かう。ヒイロは2人より前に走り、痕跡を残さないよう自分の信頼できるところへ向かう。痕跡を残さないように走っているのだが、此処野のせいでバレそうな気がしそうで、しないでもない。
「あとで俺が此処野を担ぐよ、印」
◇ ◇
勢力の壊滅。
それに伴い、既存勢力の変化は大きく。体制も時代によって変えていく。
そして、今まで影に隠れている事で良かった勢力達が、表舞台に上がってくる。
因心界だけではなく、全ての社会はそうで。生物単体1つをとっても、循環して生き続ける。
人間ほど、集合して、緻密であり、循環している生態の遺伝子(DNA)を持つのはそういない。その中で早々(そうそう)と、命が終わるルートに流れる者を阻止する者がいる。不運な悪戯や自らのボヤけた覚悟で決めた事を跳ね除ける者。
「『立ち寄れ、ドクターゼット』」
医術を駆使する医者だ。
とはいえ、ブラックジャックよりはお手ごろなお値段で腕が数段落ちる、無免許な医者。
戦いなんてものが無くなった上で、人を助ける技術が奮えるのがいい。これからやっているのは、自分より年が下回る少女の命を助け、次の表舞台にも立ってもらう酷い行いだ。
「サング、表原ちゃんを助けますよ」
『ああ!レゼンのパートナーを死なせやしないよ!』
戦いが終わってすぐ、最重要で治療を行なわれているのは表原麻縫であった。
切り落とした指の方はドクターゼットの得意分野によって、すぐに何事もなく繋がれた。しかし、いよいよ。表原がこの戦いに投じていた理由の1つに、自身を削ってきた寿命の限界が来た。
契約の段階で力の前借りをして、命を繋げた妖人化だ。
「!!うぅっ」
手術室の台の上で、視界が不安定となり、両手足をしっかりとロックしてなければ、暴れ狂っていそうな表原の姿がそこにあった。
奇声を上げて体の異常を訴えている。寿命を削られるというのはそれほどのものか。本人はその異変を理解できないだろうが。彼女を治療するドクターゼットとサングには分かりかけてきた。
「こ、これは……」
『レゼン!こんな契約をしてまで、助けたのか!?』
わずか1ヶ月であるが、表原の肉体は色んな傷と共に成長を遂げていた。だが、今はどうだ。急速に体が前に戻されていく。
「ひああぁぁっ!?」
時間を戻されていくように肉体は戻り、レゼンと契約する直前の肉体になった。
あの頃、死んでいた体に戻った。
これがレゼンが表原と結んだ契約の代価だろう。その体がバイブレーションのように震え始め、積もった雪が溶けていくようになる。あの時のダメージを体に返しているのだ。
「表原ちゃんの体の全てを接合する!」
『うん!』
ドクターゼットはその様子を見て、すぐにこの崩れる体全体を接合していく。だが、完璧とはいかず、特に能力が適応されない液状の類いはゆっくりとであるが零れ始める。
「!!」
進行を抑えているだけに過ぎない。意識が朦朧としており、自分の命がどうなっているのかさえ本人には分からないだろう。
そう、夢の中だ。
「ああぁぁぁっ」
あのときの肉体に、落ちた衝撃、トラックに撥ね飛ばされた衝撃、粉雪のボコられたダメージ。また、弱いながらもダイソンから受けた攻撃や此処野に刺された傷などもフィードバックしてきた。
肉体そのものが死にかける状況。
表原はその痛みよりももっと、思い出したくも無い記憶が流れた。
◇ ◇
ガシャアァァッ
いつも食器やコップといったガラス細工が、割れる音が響く日常。賃貸アパートの床にはその跡が無数にもある。そして、近所では父親の怒声は有名だった。
「何をしている!麻縫!!勉強はどうした!?」
ごく平凡より、やや下といった家庭環境だろうか。そんな環境の中、父親は娘のために勉学に励めるように通信教育や塾などをやらせた。
これからの時代は勉学に励まなければ、良い人生は来ない。かく言うこの父親からすれば、それの後悔があり。娘のためにと思っていた。それはいつの日か、完璧な形で一日のスケジュールを組まれる窮屈な生活となっていった。
悲しきことに、父親がいると自分の家に居場所なんてなかった。
だからか、父親の目が届かない学校こそが彼女の遊び場。とはいえ、友達付き合いに五月蝿い父親はそれを許してくれない。
ドサッ
「漫画は良いなぁ」
小学生でも学校中に漫画やゲームをしている子はいたが、ここまで堂々としていてそれで成績も良い方なんだから、彼女を妬ましく思うクラスメイトもいた。家庭環境の影響もあり、学校の時間だけが自分の自由。小3くらいまでは漫画本、小4からはスマホで漫画を見るようになる。
母親はその手の事に甘く。むしろ、娘を縛る父親とは正反対に自由を与えたがっていた。だが、そんなやり取りが娘の事をこじらせる。
勉強はできても学校での態度や行動、友達などの理解者不足。多くの人間としての欠如が見られ、なによりも父親も母親も、やや一般から外れた人。幼少の頃、家族の影響もあって友達を作るという事に抵抗ができたトラウマもあった。それは生まれる場所を選べない理不尽から、行なわれたものだった。
両親としては上手く娘を育て上げたかったが、娘の方はそう上手く応えてくれない。応えられるものじゃない。
そして、時間だけが過ぎていき、表原が学校から孤立する事もそう遠くはなかった。それで良いと思っていた事を後悔するように陰湿な虐めがあった。
ハブられるのは気にしてはいなかったが、モノが無くなったり、誰もやりたがらない事を押し付けられるといったこと。
そーいう人間はどこかにいるべきものだ。そうでなきゃいけない社会。
家庭でも、学校でも、居場所を失えばどうでも良くなった。父親からやらされていた勉強も、学校で退屈をやり過ごす本もスマホも、……ボーっとする一日。
代わることを感じられない世界にいる自分だった。
不意に命を閉じてみた。それで変わることはあるだろうか?大半は変わらないはずなのに、出会ってしまった。小さな妖精。出会ってすぐの叱咤を覚えている。
「お前はな!心の底から全てを舐め腐ってんだよ!!ホントに死にたい人間は!!さっさと死んでんだよ!!後先を心配しねぇ!もう一度言う!自殺すら舐めるな!!」
その時はただただ酷い言葉を言われた思った。でも、死ななかった。死ねなかった。もうちょっとだけ、今度は自分の気持ちを持って生きようと思う。
そうして、残りを頑張ってみた。
たったそれだけだったと思うけど、この命を護ってくれて、叱咤してくれる仲間がいたのは良かったと思う。
◇ ◇
「ぶふぅぅっ」
表原は血を吐き続けた。口だけでなく、両目からも血を出した。意識が混濁していく中、声のつまりでもしっかりと、
「いぎたいぃっ!!死なないぃっ!」
苦しいと悔しいの涙が、溢れていくたびに体が力を求めていく。
どこかで変わりたいじゃなく、自分で変わりたい。
死を受け入れる諦めを乗り越え、生きる事を求める気持ちで今、生きていると実感する。その気持ちに応えるように運命は、彼女の肉体をゆっくりと再生させていく。心で思う気持ちがなければ生きていけない。
「げほぉっ、ぐふぅ」
崩れかけていた体はドクターゼットのおかげで、全てが繋がれていた。ゆっくりと生命の活動を始めていく表原の肉体。混濁していた意識も徐々にハッキリとしていく。
これほど苦しくて、もがいたことなんてなかった。
たぶん、これからも無い事だろう。そんな状況でふと、分かった気がした。
"マジカニートゥ"の特性。
自分の本気に呼応して、発動する能力。これで最も自分に得られるのはその能力ではなく、自分自身の心の成長だった。
「"きちんと本気を出せ"ってこと……?」
思い切り生きたいと願ってみたら、生きていた。もっとも、マジカニートゥの能力なんかなく。表原麻縫として、生死の境を彷徨った。嫌な思い出を振り返りつつも、そんなことはもうないだろっていう今の思いで生きてやった。
自分で自分を変えてやったのだ。
「えへへへ」
峠を越えて、無事に手術室から出てくる。古野とサングもさすがに疲れきった顔で、表原を運んだ。プレッシャーもあったし、なにより過酷な手術だった。
「全身を"そのまま"にし続けたから疲れたねぇ~」
『少しでも気を緩めたら、すぐに死んでいたよ』
生命を維持する状態をできるだけ長くさせた。その限られた中で、生きる意志を持って体を再起動させた表原の精神力は格段に成長しただろう。
変わる事ができた自分なら今、なんでもできそうな気がする。
「あ」
そういえば、1ヶ月もこの新しい部屋にいる。病室なんだけどさ、ここが今の自分にとっては居心地がいい。偶然、手にしたものだったけど。それが良かったこと。
戻ってきてすぐに表原は捜した。あいつはどこにいったと……
「………はは、心配しないんだね」
「レゼンくんは困りますね。それとも、」
キョロキョロと首を振って、視点を変えてもどこにもいやしない。戻ってこないと思った?違うでしょ。
「信頼してたんだと思います。きっと、あたしが帰ってくるって」
「そういうものかい?」
「だって、レゼンは何度も私を救ってくれた。だから、1度くらいはレゼンに心配なく、助けてやるんです!どこにいったか知らないけど、」
たまにはレゼンを褒めてやってもいい。
そんな態度だった。けど、ホントにありがとうって、本人前で言いそうだったから。
「ふ、古野さん!言わないでくださいよ!レゼンに!」
「特に何も言わないよ」
「あの馬鹿妖精!私が大変だったのに、どこに行ったんだろー!帰ってくるんでしょーね!」
ぷんぷんっとしつつも、どこかに行ってしまったレゼンの帰りを、この病室で楽しみに待つ表原。
1ヶ月の寿命を乗り越え、また新しいスタートを切るのであった。
次の戦いでも、彼女の力は必要となる。




