第12話 想い
気がつけば洞窟に戻っていた。
あの闇の中にいた時間はそれほど長くないのだろう。だが、あまりにもあの闇の中にいたような感覚が残っており、とりあえずここに戻って来れただけでも安心できた。
あのまま、闇の中にいたら本当に自分という存在が消えてなくなっていたのだろう。そう思うだけでぞっとする
まさか、こんな場所さえ懐かしく感じるとは思わなかったが……
「おぉ、マイにレイン君! 無事だったのか! よかったよかった! いきなり通信……というか存在そのものが途絶えたから心配したよ」
檜と繋花がレインとマイに駆け寄る。二人の無事を確認した繋花は、ほっと息をついたようにも見えた。
だがその反面、檜は二人を見つめるなり、なにやら険しい表情をしている。自分達を見て、なにか思うところがあるのだろうか。
「うーん、再会の喜びに浸りたい気分だけど、君たちの疲労はそれを許さないようだね。特にレイン君。今、君は何かを考える力はあるかい?」
どうやら檜は自分達を心配していたようだ。そして考える事なんて、そんなの簡単だ。とりあえず今起こった事を簡潔に……
そこまで考えたところでふいに力が抜けそうになるレイン。ふらりとよろけるレインだが、それをマイに支えられる。
……自分の手を見るレイン。しっかり両手は動く。それを感じるだけでもよかったと思う。どうやら外見だけは綺麗さっぱり無傷に見えるらしい。
だが物凄い疲労が自分に襲い掛かっているのがわかる。無理はない、あの闇の中でボロボロになりながらも自分で知らない魔術を使ったのだ。疲労がない……というほうがおかしいだろう。
「うーん、通信がない間に、なにがあったかわからないけど、レイン君。君の魔力がとんでもない事になっている。なんというか、魔力がツギハギだらけになっているっていえばいいのかな。とりあえずよく立っていられるし、よく理性も残っているレベルだ」
……正直、痛みはもうないし、手も動くし足も動く。
手足の感覚だってもう戻っているし、少し時間はかかるが魔力を練る事だって今なら出来そうだ。だが、檜が心配そうに言っているのだ。とにかく休んだほうがいいのだろう。
とりあえず、手短に檜達と今後のことを話し、自分の拠点へと戻るレイン。
どうやらブラックはマイが切り札を使う前に闇の中から撤退したらしい。あそこで倒せればよかったのだが……そうは行かなかったのが現実だ。だがあの闇はもう作り出すことは出来ないだろう。
あの闇を作り出すには、自身の大半の魔力を消費するはずだ。身を持って体感してよくわかった。だから、打ち払われてしまった、燃費の悪いものを再び作り直す必要はない。
拠点に着いたその途端、一気に疲れが出て来たかのような感覚がした。視界がぼやけ、ぐらりと体が揺れた。膝から力が一気に抜け、床に倒れ伏しそうになるレインをしっかりとマイは支える。
「ごめん、マイ」
「……あの残念魔術師の言うとおりね。あなた、なんで立っていられるかも不思議な状態よ。外見は治っても、中身はぐちゃぐちゃじゃない」
闇から抜け出した直後、見るに耐えない自分の体の外見は綺麗さっぱり治ったらしいが中身は自分が思ったよりもとてもやばいらしい。
まあ、外見だけ治っただけでもよしとしよう。左腕の一部が破裂し、目もやられ腹部が消し飛んだ自分。そんな、なにもかもボロボロのレインなんて、とてもじゃないが他の人には見せられない。
しかもボロボロになった挙句、その状態で初めての術式を行使したのだ。何で今まで歩けたのかが不思議である。
マイに支えられてベッドまで歩き、そこに座りこむレイン。これからのことを話してから休みたいが、そんな気分ではないらしい。
ベッドに座り込んで自分が、どれだけやばい状態であるのかがわかった。胸から込み上げて来る何かを手で押さえ、必死に堪えるレイン。どうやら相当無理をしていたようだ。
そんな状態でも脳裏に浮かぶのはブラックとの戦いであった。
……悔しいが、ブラックは何もかもが圧倒的であった。これまでノワールや繋花と戦ってきたが、それは『強敵』であったのだ。
だがあの強さはなんだ。あれはもはや別次元。あの実力はカグラとは違ったベクトルにやばい代物だろう。
もう少し、いろいろ考えたいのだが……ため息をつき、それをあきれたようにマイが見つめている。
「レイン、いろいろ考えたいのはわかる。だけど今は体を休めて。はぁ、こうでもしないと貴方が今、どんな状態かもわからないのかしら」
レインの胸に、ゆっくりとマイの手が添えられる。その行動に首をかしげるレイン、そしてそのまま少しだけ前に押される。常人ならなにをしているかと思われるだろう。だがレインはそれだけでバランスを崩し、ベッドに倒れこんだ。少し押されただけでベッドに倒れこむとは相当なようだ。
「体を起こさないで、そのまま目を閉じて」
さりげなく彼女の手で体を押さえつけられており、その力はきっと僅かなものであるだろう。
だが、今のレインの力では起き上がる事すら出来なかった。
聞こえるのは、マイの柔らかな声。それと共に、彼女の手がレインの瞼を塞ぐ。柔らかなベッドの感触が彼の体の機能や思考能力を奪っていく。一瞬で何も考えることも出来ずにレインは急速に眠りに落ちた……
「んっ……」
何時間眠ったのだろうか、レインは目を開ける。そこには見慣れた天井。正直、ここに戻ってきてからの記憶が曖昧だ。確か自分はブラックの闇から脱出して檜達と今度の展開を話して、拠点に戻ったのはいい、だがそこからの記憶が曖昧なのである。
正直、まだ疲れが残っている気がする。もう少し寝ててもいいだろう。
目を閉じレインは寝返りをうつ。だがそのとき、不意に手に何かが当たる。目を瞑っているから何かはわからない。だがなぜだろうか、とても嫌な予感がする。
今まで経験したことがない場面に直面するような気さえするこの瞬間、まずは確認だ。手に触れた何かを指で探ってみよう。
「っ!?」
目を開けてレインは驚愕する。手に触れたのはマイの体、その物でありコートを脱いで自身の髪とは対照的な白い半袖のシャツ着ており、目を閉じてすやすやと寝ているその姿は性的な目で見なくても、とても美しかった。
……いや、何を言っている。そういうことではない。取り敢えず、ありえないと思っていた光景に叫びそうになった自分を褒めて欲しい。いや、絶対褒めてくれ。
とりあえず曖昧な記憶を無理やり引き起こす。最後に見たのは、瞼を手でふさがれマイの声を聞いたのみだ。
「マイ……?」
静かにマイの名前を呼ぶ。この声は限りなく小さくしたから起こすことはないはずだ。帰ってくるのは、すやすやと立てる寝息のみ。だが年頃の少女がこんなにも近くで寝ていれば自然と胸の鼓動が早くなるというもの。
さてどうしよう。マイを起こしたくないから振動を立てるわけにも行かない。恐らく何も動かさずにベッドから抜け出してもう一つのベッドに行くことは不可能だろう。
とりあえず顔をマイのほうへと向ける。当然、レインの目の中に彼女の姿を視界に常時、納めるためだ。正直言うとレインはマイの姿に目を奪われていた。
ポニーテールを解き、ゆったりとした黒曜石のように煌く腰まで届きそうな黒い髪。常に人を見下しているようなアイスブルーの瞳を閉じている姿はまるで、年頃の女の子のようで、かわいい顔をしているとさえ思う。
この時、レインには一つのあるものが生まれていた。それはしいて言えば所謂、好奇心ってやつだろう。
普段、マイをこんな近くで見たことなんてない。いや、起きているときにこんなことしたら絶対殺される。もしくはボコボコにされて縛られるだろうか。
もぞもぞと布団に埋もれていた手をゆっくりと伸ばしてマイの顔に近づける。恐怖もあったのか指先は少しばかり震えていた。
……いや、ここで立ち止まって男を名乗る資格なぞない。
レインはゆっくりとマイの顔に、そして髪に触れてみる。
「柔らかいし、髪はさらさらだ……」
少し感激にも混じった声を上げるレイン。予想以上に顔、髪共に心地よい肌触りだったため、声が出てしまい、咄嗟に息を潜めるレイン。
だが返答で帰ってくるのは彼女の寝息、これ以上触るのは危険だろう。だがここまで大人しく寝ている彼女を見ればもう少しだけ大丈夫なのではないかと思う。再びマイの綺麗な髪を撫でてみるレイン。思ったよりも予想以上の肌触りにレインは笑みを浮かべる。そして思えば、コートで隠されていた彼女の腕がこんなにも白いとは思わなかった。
そんな寝ているマイの姿は、戦いで見た姿とは違い、華奢で可憐な姿をしていた。今までとは違った一面を見せているマイ、だからこそレインはそんな姿を目を奪われたのかもしれない。
決めていた時間よりもずっと撫でてしまった。だがマイは相変わらず静かに寝息を立てている。なぜだろうか。なんか今までとは違った満足感に満たされている気がする。
ゆっくりと手を引っ込め、再び目を閉じるレイン。
とてつもなく危険な行為をした時間は終わったのだ。
……しかし、物事というのは常にうまくいかないのが常識だ。
「……もう終わりなのかしら」
なぜだろうか、寝息を立てていたはずのマイから声がかかる。
これは夢だ、きっと夢に違いない。
だってさっきまでマイは寝ていたのだ。起こしてしまったのか、いや、自分の計算に狂いはなかったはず……
「……使い魔に無視とは、いい度胸じゃない」
「うわああああ!?マイ!?」
飛び起きるように体を起こす。そしてマイを見ると、あからさまに意地悪な表情をしているマイが視界に移る。もしかして、マイはレインが起きる前からずっと起きていたのではないのだろうか。
……まんまとやられた。となれば今まで発した言葉もあの感激のような声をした事も全部聞かれていたということ。
思い返せば返すほど、今までの行為が恥ずかしく思えてくる。そんな自分がしてしまった行為に顔を赤くして俯き、彼女の次の言葉を待つしかないレイン。
レインから言葉が発せられる事はない。
やってしまった。彼の頭にはそのような後悔ばかり。あまりの恥ずかしさに頬がすごく熱くなっているのを感じる。そんな姿をマイに見られたくないため、そのまま布団に顔をうずめてしまうレイン
「ふふ、まさか寝込みを襲うなんていい度胸じゃない。でもその手段を選ばない性格、私は嫌いじゃないわよ」
もぞもぞと真っ赤な顔をマイに向けるレイン。意地悪な顔をしているマイからは怒りを感じられない。紡がれるマイの言葉から察するに、どうやら彼女は怒ってはいないようだ。とりあえずマイの機嫌はいいことにひとまず安心しよう。
とりあえず、一番疑問に思っていることを聞こう。
「マイ。今、一番疑問に思っているんだけど、なんでマイが一緒に寝ているんだい?」
「なぜって、ちょっと貴方が寝た後、添い寝してあげたら私のことをいきなり抱きしめてくるんだもの、しょうがないからそのまま寝てあげただけ。ふふ……でも、寝ている姿はとても愛らしかったわレイン」
なんてことだ、そんなことをしてしまったのか、よく自分が殺されなかったものだ。まあ起こさないでくれていたのは、今までとは比にならないくらい中身が崩壊していたからに違いない。しかしなぜだろうか、随分と優しい感じがする。
あの闇から帰ってきた後からだろうか、やけにレインに対してマイは優しい感じがしたのだ。それも二人っきりのときだけ。とりあえずお礼だけは言っておく。
「ありがとう、そんなわがままに付き合って一緒に寝てくれて、今度からまたもう一つのベッドを使うよ」
なんというか、マイとこのまま一緒に寝ていれば、次はどんな感情がわくのかわからない。このまま寝ていればよくない感情すら芽生えそうだ。
そうなる前にまずは退散しよう。レインは早々、ベッドから抜け出しもう一つのベッドに移動しようとする。だが……
「待ちなさい」
「うわ!?」
そんなレインの手をマイが勢いよくつかみ、そのまま勢いよく引っ張る。まだ万全な状態ではなかったのだろう。そんなマイの行動に抵抗できず、視界がぐるりと回り再び天井、そしてマイの目の前へと戻る。
さすが使い魔、一瞬でレインをベッドに戻してしまった。誰がここまでしたいといったのだろうか、体は密着し、下手すれば彼女の吐息まで聞こえそうな位置までだ。明らかにさっきよりは悪化している。
こんなことになるなら、抜け出さないほうが良かったのでは、駄目だ。今の自分は失敗ばかりだ。そう思って頭を抱えるレイン。
「ふふ、慌てふためくレインの姿、その顔、これもまたそそるわね」
こんなときに何を言っているのだこのマイという女は。レインが想像していることよりも常に予想の斜め上を行くマイ。だがこんなのあんまりすぎる。もはや拷問に近いといっても過言ではないだろう。異性をこんな近くまで寄せて寝るなんて誰が想像したのだろうか。
「レイン、とりあえず今は自分の回復を考えてちょうだい。今でもわかるけど相変わらず中身はぐちゃぐちゃなんだから。貴方が万全じゃないと全力を出せないのよ、私は」
やはりそうか、どうりでまだ体調が万全ではないと思ったわけだ。これではマイにまた迷惑をかけてしまう。それだけは絶対に嫌だ。仕方なく抵抗をやめるレイン。正直、マイとこうして触れ合えるのは嫌ではない、口にするのは恥ずかしくて言えそうにもないが、むしろ少しばかり望んでいたぐらいだ。
「それに、嫌じゃないでしょ?」
マイの言葉にレインはこくりと頷く。まるで自分が小さな子供にでもなった気分だ。
しかもなぜだろうか、一人で寝るときよりも心が落ち着くのだ。こうやって一緒に寝るのが初めてだからかもしれないが、そうなってしまっている以上否定しようがない。
マイという異性だからか、一つ残っているとすればただ恥ずかしいということだろうか。正直、今の自分の顔は変わらず真っ赤であるだろう。
そんな事を思い、マイを見つめると、彼女は再び目を閉じ、すやすやと寝息を立てていた。
レインはふと前の事を思い返す。
……正直、あの闇は恐かった。自分に自覚がありながら、その自分が消え去る姿は今思い出すだけでも、吐き気すらしそうだ。
だが自分は進み続けなければならない。それに、一つ気になったことができた。まずはそれを優先させよう。
あの白紙のマイが言っていた『天使』という言葉、それが今でも心に引っかかっていたからだ。まずそれを調べてからでも遅くはないだろう。
自分はマイと共に勝ち残る。例えこの先なにが待っていようとも、マイとなら乗り越えられる気がする。
気がつけばレインもまた眠りに落ちていた。この先……これからずっとマイと一緒にいられることを願って……
いつから自分は寝ていたのだろうか……まどろみが徐々に覚醒し、レインは目覚める。が、目の前の光景を見た瞬間、自分の頬が熱くなるのを感じる。
「っ……」
思い出した、自分はマイと一緒に寝ていたんだった。記憶を掘り起こせば、確かマイが添い寝したときに俺が無意識にマイの事を抱きしめていたらしい。
よく無意識の自分にそんな勇気があったものだ。無意識の状態というのは、こうしたいなどという気持ちが本当に全面に出てしまうこともある。
つまり自分はマイの事を抱きしめたかったのだろうか……今までそんな事など考えてもなかったのだが、もう少し自分に素直になったほうがいいのだろうか。とにかく、今は考えれば考えるほどわからなくなってくる。
「……」
ふとレインは自分の記憶の事を思い出す。自分が目覚めて襲われたときよりの前の記憶。自分が魔術大戦に参加する前の記憶は相変わらず戻ってきていない。
記憶が戻ったら、マイに自分の故郷の話とか、自分の過去の話をしてあげたいとも一瞬思ったのだが、それはまだしばらく先になりそうだ。
ベッドから体を起こし、これからのことを考える。
今、調べようとしている件は、他の人を巻き込みたくない。ただの自分勝手な調査だ。
白紙のマイが口にしていた『天使』。しばらく休んで目覚めた今でも、まるで自分に貼り付くかのように残っている。
マイに相談するべきだろうか。でも本能であるマイが言っていたことだ。今でも喋らないということは、彼女も何か思うところがあるという事。レインからは問い詰めたくはなかった。
「……天使、気になるのかしら?」
「なっ!?」
いつから起きていたのだろうか。横になりながらも、いつの間にか自分の手を自身の両手で包んでいるマイの姿が目に映った。
ポニーテールを下ろした姿はいつ見ても、人が変わったように思えるマイ。だがその瞳はいつもレインが見ており、知っている瞳だ。
「……つまらない意地で迷惑かけたわレイン。あなたこそ私の魔術師に相応しい」
「……」
彼女の言っている事は理解はできた。これからは自分のためではなく、自分のため、つまりレインのために剣を捧げるということ。彼女がここまで自分に心を許してくれた理由はわからない。
……同時にそれはマイ自身がレインの事を魔術師ではなく、本当の意味での『魔術師』として認めてくれたということ。
だけどマイが自分に心を許してくれるというのなら、自分はそれに応えてあげたい。
いつかはマイに相応しい存在になりたい。マイを理解したい、もっと歩み寄りたい。それは紛れもないレインの本心。
レインにとってのマイの存在、彼女と始めて会ったとき、あのままでは死を迎えるしかなかった自分。『諦めたくない』と叫んだ自分の手をマイは取ってくれた。
……正直に言おう。あの光景はきっと色褪せない光景となる。彼女がどんな存在であろうと、なんであろうと正直どうでもいい。
レインにとってマイはまさにかけがえのない存在となっていた。記憶がなく、ただ死にたくないという理由は立派な理由だとマイは言ってくれた。
そんな強さが……レインにとってはとても眩しすぎた。それこそ目が眩むくらいの眩しさ……
だけど、今は眩しくて、目を閉じなくちゃいけなくても、いつかレインはそんなマイに相応しい存在になりたい。
マイもまたベッドから起き上がりレインを見つめる。その目は真剣だ。レインは目を閉じ、少し考えた後に開く。
「マイ、俺の力、俺の魔力、全てをお前に預けたい。そして俺はマイに相応しい存在になりたい。契約を結んだ関係じゃなくてさ、マイと対等な存在に……俺はそう思ってる」
自分の胸に手を当て、彼女へ言葉を紡ぐレイン。それがレインなりの決心だった。それを聞き微笑むマイ。この魔術大戦がどれくらいがたったのだろうか。
でもそれでも、少しずつちっぽけな確証だけど、確かな絆がレインとマイの間には芽生えつつあった……




