異世界生活一年生・錬金術っていうか…
「この壺にオシッコしてくれるかな、いまココで」
室内には幾つかの燭台があり、上に火を灯されたロウソクが据えてある。
ゆらり、と、揺れる炎が、部屋中の物に反射して不恰好な影を乱造していた。
「うん、ここにオシッコしてくれるかな」
「……は」
俺はおっさんだ。
ただのおっさんだ。
「そうだね。じゃあオシッコしてくれるかな」
なんの、なんの変哲も無い30絡みのおっさん。
そんな俺に、一体何が出来る?
こんな状況で、一体いかほどの手が打てる?
残念ながら、俺はただのおっさん。勇者じゃない。
正直な話、
「は?」
と返すのが精一杯なんだ。
「オシッコだよ」
もう簡便してくれ。
どうしてこんな風に、俺のようなおっさんが強制排尿を迫られるなどという、世にも気持ち悪い事態に遭遇したかと言うとだ。
時間は、12進法でだいたい2時間ほど前に遡る。
ああ、時間の確認は腕にした腕時計でやってる。前世からの持ち越し品だ。
錬金術士クレミィ氏による張り紙を頼りに、仕事を探して路地裏へと分け入った俺。
あの貧民街と違い、こっちは路地裏でも中々小綺麗だ。
「ここかな」
定規を使って、印刷と見まごうほど綺麗に書かれた地図を辿れば、その場所はすぐに見つかった。
俺は階段の袖口に立った。
地図が指し示した建物は、一見すれば入り口すらないのっぺりした建物だった。
石レンガ造りが多い街で、この建物はまるでコンクリート製。
……だと思ったのだが、見ればところどころそのコンクリートが剥がれ、中の石造りが露出している。
「お、入り口かな?」
建物の周囲をぐるっとすると、壁に四角い穴が開いている。覗き込むと、上に伸びた階段があった。
……と言うわけだ。
それから面接を受けて、即採用。
いまは初仕事としてオシッコを迫られている。
☆意味不明☆
引きつった苦笑いをなんとか押さえ込み、俺は愛想笑いを作った。
頬を汗が伝っていくのを自覚しながら、薄暗い部屋の中で、大きな銀色の三つ編みの背中に問いかけた。
「ち、因みに、聞きますけど。クレミィさん」
問いかけられて、クレミィ氏が肩越しに小さく振り向いた。手には試験管らしき物。
「なんだい?」
髪とお揃いの銀色の瞳が、銀色のまつげの奥から俺を捉えた。
神秘的。
でも、髪はけっこうボサボサ。
「この……その、えぇ、壺には……どんな意味が?」
どもり切った俺の問いかけにも、氏は穏やかな声音で答えてくれる。
服装や話し方でわかりにくいのだが、氏は恐らく女性である。なにも女性と二人きりだからと興奮したりはしないが、だいぶ居心地が悪い。
「初歩的な錬金術だよ。いま丁度材料を切らしていてね。頼んだよ、助手くん」
「はぁ……錬金術ですか」
張り紙にあった通り、錬金術士のようだ。
小便をなにに使うのかは知らないが。
火薬とか? でもそれ只の原始科学じゃんよ。
「実は飲酒している人の小便が好ましい。ポップ飲みよりも、葡萄酒飲みの方がいい。葡萄酒から出た小便のほうが、出来がいい気がするんだ」
よくもまぁ、小便小便と連呼するお方だ。
さすがに少しむず痒くなってきた。
苦笑いを抑えきれない。
「えっと、必要性に関しては理解しました。その、ちょっと別室で用意させて貰っても……」
物置とか、トイレとか、あったらいいな。
「構わないさ。隣の寝室を使ってくれよ」
寝室と申したかこの女。
こんな不細工なおっさんを、寝室に入れる? しかもあまつさえ、そこで小便をさせるだと……!!
そんな馬鹿なことがあるか!
俺の心臓は高鳴り、全身から冷や汗が吹き出している。手足の末端がブルブルと震えて、喉に石が詰まったように息がしづらい。
「じゃあ……」
断れ。
断るんだ、俺!
人間としての良心にかけて、この仕事を辞退するんだ!
「お言葉に甘えて」
俺は壺を抱えて、隣の部屋に入った。
****
「……うっ」
信じられない。
やってしまった。
「ふぅ…………」
女性の寝室で、オシッコを…………
ーーーーやって、しまった。
「もう……取り返しがつかないな」
俺の人間性は、ここで終わりを告げた。
バタン、と扉の閉まる音で、クレミィ氏が振り向いた。
俺が寝室から、壺を抱えて戻ってきたのを見て、
「おかえり。無事に出たかな?」
なんて無表情で問いかけてくる。
いや、無表情だが、声色が若干『ご苦労様』みたいな雰囲気を纏っている。
……天然かこいつ!
この壺になにが入っているのか、勿論知っているだろうに。
ちゃぷんっていってるぞ、音がするだろうホラ。チャプチャプいってるよ。臭いもする。
異様な臭い。
転生する前ーーーーつまり、俺が転生の原因となる事件に遭遇した晩、俺はビールを飲んでいた。
よって、壺の中からは一晩の放置した後の缶ビールの空き缶みたいな臭いがしてくる。
キツイ。
「ありがとう。じゃあそこに置いて、こっちに来てくれ。ついでにそこの白い粉を適当に入れておいて」
「はい」
指し示された場所に壺を置き、薬包紙に包まれた粉を、壺内に投入する。
「一袋丸々入れましたが」
「それでいいよ」
所狭しと並んだ何かしらの器具を避けて、クレミィ女史の元へ。
「あ、ついでにそこの薬瓶を取ってくれ。そうそう、その黄色いのが入ったやつ。それから……そこの木炭も」
はいはいと言われた通りの物を持って、彼女のいる机に向かった。
机は、大きな台を中心に、小島のように台が連結し、各台座に細々とした材料がセットされている。
さしずめ、錬金机ってとこか。
黄色い石のカケラみたいのが入った瓶を置き、次に木炭の箱を床に置く。
「お疲れ。じゃあちょっと見ていてくれ。君がこれから私の助手として働いてくれるなら、覚えて貰わなくちゃならないから」
そう言って、木炭をいくつか取り、綿棒でガンガン砕いていく。
「何を作るんですか?」
作業の様子を見ながら、気になって質問してみた。
て言っても、察しは大体ついてるけど。
「火薬だね」
やっぱり。
俺が得心を得ている間に、木炭はすり鉢の仲で粉末になっていた。
そこへ瓶から黄色い粉……たぶん硫黄が投下され、混ぜ混ぜされる。
……あれ? 硫黄あるじゃん。
「クレミィさん。あの壺はどこで使うんですか?」
「今使うよ? この黄色いの、これがもう今ので終わりなんだ。火薬はいっぱい作るから」
「なるほど」
量がいるのか。
クレミィ氏は徐々に汗を滲ませてきている。
左目にかけたモノクルを、何度も直している。
体力があまり無いのか。
「手伝いましょうか?」
「気遣いは無用だな。君は錬金術士でもないし、助手にはこんな事をさせられない」
小便連呼の残念ウーマンのクセして、変なところでしっかりした人だ。
作業を見ていると、クレミィ氏の白衣のポケットから、何やらハムスターじみた動物が顔を出すのが見えた。
ペットだろうか。
「やぁ、どうも」
取り敢えず挨拶。
彼はこちらをじっと見た後、ひと鳴きしてポケットに戻っていった。
「どうかしたかな?」
「いえ、なんでも」
作業はどんどこ進み、ついに少量の火薬が完成した。
見た感じは黒色火薬っぽい。
「黒いですね」
「これが火薬さ。作り方はすごく簡単だし、初歩的な物だね。大釜で作るなら、ちょっと大変だけど」
ふんふん。適当に頷いておく。
黒色火薬は使用時に排出される煙がひどく、戦場で著しく視界を塞ぐため、実はあまり向いていない。燃焼の仕方もほとんど爆発に近いものらしい。そのため、19世紀には無煙火薬に取って代わられている。
ちなみに、吸水性がアホみたいに高く、しっかり保存しないとすぐに湿気って使えなくなるようだ。
「やってみる?」
「是非」
気がつくと、俺はなぜか、錬金術士としての一歩を踏み出していた。
人生なにがあるか分からないーーーとは言うが、宵越しの銭を求めてバイトを探しに来たら、いつの間にか錬金術士候補生というのは、一体如何なものであろうか?
因みに、硫黄がもう無いので材料の一部に自分の小水が含まれるのだが。
俺の人間性はもう死んだので、気にしない。
おしっこ(小声)




