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古ぼけたマンションの一室。昔流行ったらしいメゾネットタイプ。
部屋は狭いけど、一人で暮らすには十分。この下の階は仕事部屋。少し雑多。ただ掃除できていないだけと言われれば、そう。上階は超シンプルな寝室とバスルーム。物のないフロア。
「どうしたの?」
慣れたようにクッションにもたれかかる青年に訊ねた。
「……ダンテが死んだ」
そう言って目を伏せた。
ダンテとは彼が飼っている犬の名前だ。数日前に、他のメンバーから話は聞いている。
私、如月晴夏は、仲良くしている青年たちがいる。
アイドルグループで『KOUSYAKU』という表記。
公爵か侯爵かは諸説あるという認識だけど。ここにいる意味がわからないくらい人気者。
その中の一人、杉浦智己が、とてつもなく落ち込んでいた。
食事もとってないのか、頬が瘦せている。
自分にも経験はある。今、何を言っても気休めにすらならないだろう。だけど、人前に出なければいけない職業の彼に、話を逸らす。
「そう。悲しいね。それで、準備は大丈夫なの? 大事なライブなんでしょう?」
「うん。準備はしてきたし、明日のリハもちゃんとするよ」
「ならいいけど。でもね、リハよりも睡眠が必要な気がするわ。早く帰りなさい」
「うん」
聞こえているし、意味も分かっている。でも、反応が薄い。
家にいるとダンテを思い出すのが嫌なのだろう。仕方ない。
「送って行く」そう言って、私は着替えた。
襟足が隠れる茶色いカツラと黒主体のセットアップ。斜め掛けのバッグ。そして、胸を抑えるサラシ。それらを装備することによって、彼と同年代の男子になる。偽名は、浅月コウ。宝塚っぽいものを考えてもらった。
もともと背が高くて、胸が寂しい私にぴったりの扮装。彼らはアイドルで、恋愛スクープなんてもってのほか。私がそれを壊すわけにはいかない。彼に限らず、グループの誰かと外で遊んだりするときは、こうしている。
私は、彼らよりひと回りも年上。つるんでいて楽しい。正直、恋愛感情はない。だから、隠すこともないんだけど。まぁ、ファンをヤキモキさせたくないし。
軽で乗りいれた建物自体は大きいものではない。十四階建てで横幅もタワーマンションにふたつは入る。
だがしかし、キラキラアイドルに相応しい、クリーム色の柔らかい石がふんだんに使われている。もちろんオートロック。ロビーは広く、天鵞絨みのある絨毯。驚くことにコンシェルジュまでいる。
彼の部屋はこのキラキラの十二階。ワンフロアに三戸。その三戸でKOUSYAKUが作れてしまう。
「えっと。すごくピカピカしているものが転がっているんだけど。智の足元」
彼の部屋に入って驚いた。床の上を輝きながら進んでくるものがあったから。
「なにそれ」
「え? 見えてない?」
智己は、ソレにかまうことなく部屋に入る。物体は跳ねているから、嬉しいのだろう。
「お茶、飲む?」
「あ、うん。あなたが飲むならね」
智己が台所でお湯を沸かす間も、物体は彼の足に縋りつくように跳ねている。
リビングのソファに落ち着いたときに気づいた。ソレが形成されていったから。
「……ダンテ」
彼の飼っていた犬だ。少し小型化しているけど、確かにあの子だ。
私の呼ぶ声が聞こえたのか、こっちを見てだるそうに一回だけ尻尾を振った。やだ、可愛いけど、尻尾が二本見えるのはなぜ。猫又的な? 犬又っているのかしら?
「ね、ねぇ。そこに、ダンテが……」
「ああ、ダンテのベッドね。片付けないといけないのはわかっているんだけど、なんかね」
苦笑いの顔は泣き顔すぎて、こっちまで辛い、となるのが本当だと思う。思うけど……。
「いや、そうじゃなくて」
ベッドに近づく智己には見えていない。
『おい、女。いいところに来た』
変な物体、もとい、ダンテがしゃべった。ダンテよね?
ダンテってこんな高飛車だったの? 可愛い可愛い王子系だと思っていた。
「って、待って。ダンテ?」
『我が視えるようだな。其方でいい。我がこのままここにいたら、あいつに憑いてしまう。そうなったら、あいつの体調がさらに悪くなる。何とかしろ』
「はぁ?」
なにを、どうやって?
『我は、天道に行くのをやめた。智己の側に生まれ変われる可能性を捨ててだ。見守ることにしたのだ。だから、何とかしろ』
「いや、そう言われても」
軽々とローテーブルに飛び乗ったダンテは、お座りをしたまま命令してくる。
「なに、一人でテーブルと話してんの?」
智己に言われた。まぁ、そう見えるわな。
『とりあえず、今は智己が邪魔だから、潰してしまおう。酒飲ませろ』
あー、はいはい。お酒弱いもんねぇ。
「ねぇ、ビールあるでしょう? 飲もう。えっと、ほら、献杯?」
ここに来る他の二人用のがあるはず。彼が意識を手放すのはとても早い。私は、さすがにコップ一杯でダウンすることはない。
ダンテがタオルケットを口に咥えて運んでくる。それを器用に彼の背中に掛けている。時々そうやって過ごしていたのだろう。とても慣れている。
『そういうわけで、女。背後の力となれ』
「どういうわけよ。ていうか、如月晴夏よ。女って、失礼ね」
話を聞いてみると、難しいようで簡単なことだった。現実かどうかが怪しく感じられる。
ダンテは、智己の生まれ変わり、魂? に、ずっと寄り添って生きている。望んで彼のもとに来られるように生まれ変わるって、どんな能力よとは思う。しかも、何十年、何百年もの間らしいけど、本当かは知る由もない。
それで現世の智己は、本当に不運というか憑代体質というか、色んなものに好かれるのだそう。本人は気づかないのだけれど、そのたびにダンテが祓ってきたという。さすがに知識や経験豊富の犬又ダンテは、呪力だか霊力だかがもともと強かったらしい。これくらいなら問題なく祓えるそうだ。
ダンテもこんなに早く形が失われるとは思ってもみなくて、焦っていたのだと。
『我がカタチを失って、たかだか5日。こやつは、3日目にはすでに異常をきたしていた。其方も見ていたのではないか? 食欲が減退しただけでは理由の付かない瘦せこけ方を』
ダンテが死んでしまって悲しいがために食事がとれないだけかと思っていたけど。よく考えてみれば、確かに。精神的に弱い子ではない。大きなスタジアムライブ間近のこの時期に、彼が宝だと公言しているファンたちが待っているというのに。
『我は早く力を使わねばならない。其方もこやつが心配なら力を貸せ』
「あなたはいいの? 私に憑いて、先が無いかもしれないというのに?」
『かまわん。それに、其方の場合は、憑くではなく、使役だ。我を従えるのだ』
即答。彼が大事なのだ。自分よりも。
「……使役。あなたがいいなら、いいわ。どうせ私には共に歩むような人はいないし」
私が拒まなかったことに、目を細めていたけど、ダンテはすぐに頷いた。
『すまぬな。だが、これからは其方にも共に歩む存在ができたと云う事ぞ。不満はあるだろうが……おい?』
私は止まっていた。一時の瞬きと呼吸が。
「え? あ、ああ。そう、そうね。うーん。犬又にプロポーズ的なことされてもねぇ」
『『ぷろぽーず』とは、こやつが『どらま』とやらでやっていたやつであろう? あのような軟弱なことはせぬ』
ドラマとか見るんだ。
「わかった。一緒に推しの活躍を見守ろうね」
『『おし』とはなんぞ?』
「好きな人のことよ。応援して応援して応援しまくろうっていう存在」
『ふむ。わかった。推し同盟じゃな』
尻尾が揺れると可愛いんだよな。二又でも。
私は契約をした。二又の犬と。
『天ニ背キ輪廻ヨリ逸レシ我ハ、コノ者ト今生ノ生死与奪ヲ共トスル。我ガ力、コノ者ニ与エン』
虹彩の拡散。世界が回る。
その光景を瞼に焼き付けながら、意識はフェードアウトしていた。




