34 包囲戦・Ⅴ
「ジン……どうするのよ」
神妙な面持ちで、ソフィアが問うてくる。
その間も視線は前方のベディウスから外してはいない。
「どうする、って。とりあえずは相手の出方を窺うさ。まだ判断できねぇしな……強化された魔瘴獣が、どの程度の戦闘力か。まずは敵情視察といこうぜ」
「な、何を余裕ぶってるのよっ、こんな状況で!? あいつ今にも飛びかかってきそうよ!?」
「大丈夫だよ姉さん」
隣のレイルが笑みもなく迅を肯定した。
「ジンは見極めてるんだよ。あいつ、見た目通り桁違いにパワーアップしてるから。僕たちが戦った時の経験はまるであてにならない――そう読んでるんでしょ、ジン?」
「お、分かってんじゃねぇかレイル」
「……あっそ。あなた、随分とジンのこと肯定するようになったわね、レイル。……――で? 手始めに、その敵の戦力分析として何をするつもり?」
「そうだな……まずは、ヤツの機動を確認したいところだ」
「そんな悠長なこと言ってていいんですかー、迅? ソフィアの懸念は現実と化しつつありますよ。この魔瘴獣、今にも飛びかかってきそうで、――…………、ッ!?」
言葉を切った蒼衣。
ベディウスが、ついに動き始めたのだ。
瞬間、蒼衣と迅の瞳に、剥き身の「殺意」が宿る。
来る。
……――が。
想定した通りとなったのは、方向だけだった。
「……は」
ベディウスは、迅たち四人を跳び越えたのだ。
文字通り、ひとっ飛びだった。
一瞬で四人を後方に。ベディウスは一挙に、あのソフィア達の自宅となっている小屋へと到達していた。
「な、何を……!?」
戸惑う四人を余所に、ベディウスは小屋の前で右腕を上げた。
次いでその手を振り下ろすと――ソフィアの自宅、その半分が一挙に瓦礫と化した。誇張でも何でもない。一瞬で小屋が解体されたのである。
ガラガラ、ガラガラと。煉瓦と木材が派手に崩れ落ち、一部の粉砕されたそれらは埃と化してベディウスの姿を覆い隠す。どうやら小屋の中に進入したらしい。
――しばし、周囲に轟く瓦解音。そして煙、埃。
が、すぐにそれは終息した。
小屋の中から魔瘴獣ベディウスが、ゆっくりと姿を見せ始めたのだ。――口に、室内で拘束されていたマチスを咥えながら。
途端、「あー……」、と。ソフィアたち四人が阿呆のような声をあげた。
「居たわね……そういえば、あんなヤツが」
「うん。僕も完全に忘れてた」
「レイルに同じ」
「迅に同じです」
……総員、人質奪還をそれほど重大な事態と判断していない。
やがてベディウスは、マチスをくわえたまま。小屋へと跳んだ際と逆の方向へ、――つまり、初期位置であるオーヴェルの下へと跳躍し、帰還した。
地面におろされたマチスは、緩慢に小さな動きを繰り返すだけに留まった。気絶しているのだろう。そんな息子の分までもと言わんばかり、オーヴェルは身振り手振りを大袈裟にして、歓喜を最大限に表現している。
意図せず迅は鼻で「フン」と笑っていた。
「バカ息子にバカ親父……異世界といえど、バカの品質ってのはどこでも保証済みだな」
迅の挑発に、ピクリ、と。
ようやくオーヴェルは動きと言葉を止め、こちらを向いた。そしてすぐ、口元に嫌味ったらしい下卑た笑いを作り上げる。
「フン。――さて。これで貴様らは戦術の利を失ったな?」
勝ち誇ったような台詞を与えられ、ソフィアは横の迅に問う。
「……なんて言ってるけど? ジン」
「別にいいんじゃね? 俺、人質を取るのってあんまり好きじゃねぇし。それに『マチスを人質にする』って事は、あのアホを常に連れ回さなきゃ駄目って事だ。アイツと以後行動を共にするなんて無理だろ。マジで勘弁だわ」
「まぁ……確かに。でも戦略としては痛いところよね」
「構わねぇよ。そもそも『マチスを盾にする』なんて戦術が不可能だったんだ。もし俺たちがあのアホを人質として使ったら、オーヴェルは四の五の言わず、真っ先に魔瘴獣を投入してきただろうしな。その方が事態は面倒になる。……それより、お前こそいいのかよ?」
「え、何が?」
「家。ブッ壊れちまったぞ?」
「気にしないわ。別になくなって困るモノなんて無かったし。ねぇレイル?」
「うん。武器は手元にあるし、料理道具だってあり合わせのガラクタばかりだしね。魔術書も買えないから借り物だし」
「……お前ら、一体どういう生活してたんだ?」
二人の日常生活が如何様なものか、想像がつかない。
恐らくは生活能力が並はずれて高いか、干物の如き「死んでいないだけ」な生活を送っていたか――。そのいずれかであろう。なお、社会的な部分も加味すると、蒼衣は後者の部類に属するのだが。
頭を振り、愚にも付かない思考を振り払う。
「……さて。ふざけてる場合じゃねぇな」
意識を前方のオーヴェル、――そして最大の問題であるベディウスへと切り替える。
まだ、ベディウスが襲い掛かってくる気配は無い。
故にこの隙を利用し、新たな装いを得たこの獣を観察してみる。
――一見すると、全体的なフォルム・そして潰した左目は以前のままだ。が、部分を子細にわたって確認すれば、強化はすぐに認められた。
まず目をひくのは、腕部。
腕全体から肩口にかけて筋肉が異常に膨張しており、数刻前に対峙した時に比べ2倍ちかいサイズを誇っている。この腕から繰り出される膂力の強大さは、もはや「一撃必殺」の名に相応しいだろう。
あの超常的な機動力も、この腕から生み出されていた。つまり……「この魔瘴獣の攻撃速度と破壊力は以前対峙した時よりも増大している」と予測される。
牙も体のサイズもさらに伸長している。
以前はヒグマ程度の体長であった。今や最大の熊であるホッキョクグマのレベルまで引き上げられている。最早、人類が対峙すべき対象を明白に超えていた。
「……っはは」
これで何度目だろう。迅を自嘲的な笑いが支配する。
比較対象がヒグマやらホッキョクグマやら……自分の創造力のなさに半ば呆れてしまっているのだ。現在は「異世界」という、想像や妄想の彼岸に在るというのに。
迅の心境などつゆ知らず。ソフィアはムッとした表情を見せた。
「な、何よ!? 何か笑うところあった?」
「いやさ……この世界にクマっているのかなー、って思って」
「……何を急に? どうしたのあなた? 大丈夫? 今私たちが対峙してるのは、クマじゃなくて魔瘴獣なんだけど?」
「あ、いるのね。クマ……」
「――貴様ら、いつまで退屈な痴話喧嘩を見せつけるつもりだ」
先刻の意趣返しとばかり。
オーヴェルが、迅とソフィアの会話を遮った。両手をあげて呆れの様子である。
「愚か者どもが。もはや手心を加える必要は無いな。――喰らい尽くせ、ベディウス。死骸含め、証拠は欠片も残すな」
スッ、と。オーヴェルが手を水平に挙げる。
それに従うようにベディウスは身を屈め、臨戦態勢へと移行した。
――戦闘が、始まる。
気付けば四人、ほぼ同時に武器を前方へと向けていた。
「来るぞ! ……――レイル、ソフィア! 覚悟を決めろ! こっから先は一切の冗談無しだ!」




