21 「悪いね、兄さん」
「ギギギギギギイイイイイイいいいいッッ!」
中空で、絶叫を発するベディウス。
まず迅の身体に伝達されたのは「ガクン」という反動だった。
原因は、剣に付与された魔術が引き起こした爆発だ。
つまり「斬撃が魔瘴獣を確実に捉えた」という事である。剣が当たらなければ魔力付与は発動しない。
しかし。――迅は、歯噛みする。
斬撃は直撃の手応えがあった。
なのに爆発で受けた反動が、予想よりずっと小さかったのだ。レイルとの戦闘時に発生した爆撃に比べても、小規模だったと言わざるを得ない。
この程度では……、
「おっ、と」
迅とベディウス、一人と一匹がほぼ同時に着地した。
些か余裕を感じさせる動作の迅、対するベディウスは全身を捻って背中から地面に叩き付けられた。
この剣戟における勝者と敗者、それを体現するが如き差である。
すぐさまレイルが駆け寄ってきた。
「じ、ジン! まさか……まさか本当に魔瘴獣を斃してしまったなんて!」
「……いや。まだだ」
「え?」
「魔瘴獣だよ。この程度じゃ倒れやしねぇ」
「で、でも空中で打ち落として今も倒れてるじゃな、――……っ!?」
レイルは言葉を呑み込む。
眼前の光景に、二の句が継げなくなった。
――魔瘴獣が、震えながらも起きあがっている。
「な、何で……!?」
レイルの驚愕も無理はない。
傍目には迅の一太刀はフェイタルな斬撃に映った事だろう。
魔術爆撃が発動し、斬り込むタイミングもこれ以上ない適時であった。
一連の流れに瑕疵は確認できない。
にも拘わらず、完全に絶命させるまでには至らなかったのだから。
計算違いがあったとすれば、――「武器」。
その推察に答えるように、迅の手元の剣からは徐々に熱量消えていった。
刀身を彩っていた紅色の魔力付与現象も、一瞬で元の鈍色を取り戻してゆく。
「……! 『魔力付与』の限界時間……!?」
「剣の魔力が落ちていたんだろう。どうやら『魔力付与』ってのは、徐々に魔力が抜け落ちていく性質らしいな。知っておくべきだったぜ」
迅は顔をしかめた。
剣の付与魔力が小さくなっていた為、爆撃ダメージが少なかったのだ。
あと少し斬撃を叩き込むのが早ければ……間違いなくベディウスに致命傷を与えていただろう。
「……ま、何事もすべてプラン通りにはいかねぇって事だ。勉強になったろ、レイル」
半笑いの迅。レイルも苦笑いでそれに応える。
――が。茶会のようなムードで一息付ける状況ではなかった。
二人はすぐに緊張に満ちた表情を取り戻す。前方から意識を外せないのだ。
のそり、とゆっくり身を起こす魔瘴獣から。
「ゥゥオオ、…………グォオ、――ォオオオオオオ!」
吐き気を催すような呻き。
憤怒と怨嗟に満ちたソレを鼓膜に叩き付けられ、迅の気分は不快の極みへと誘われた。苛立ちの中――魔瘴獣が負ったダメージを確認する為、その血塗れの頭部へと目をこらす。
敵が受けた損害はすぐに視認できた。
左目が爆発で潰れている。
機能を果たせなくなった左の眼窩から流れ出る、夥しい血涙。頭部にも幾ばくかのダメージが通っているらしい。しきりに左右へと首を揺らせ、意識が朦朧としているのが分かる。長大な爪の生えた腕を何度も振り回していた。
爆発の規模は小さかった。決定打には至らなかった――。
だが、あの一撃は間違いなくベディウスに損傷を与えていたのだ。
「……マズいな」
「……うん」
にも拘わらず、迅とレイルの表情は晴れない。
「逆に面倒な事になった」。そうとしか判断できない状況だからだ。
「手負いの獣って、サバンナ危険ランキングの上位だろ?」
「サバンナ? ……ジンが何を言ってるか分からない。けど同意するよ。もうあの魔瘴獣は完全に見境すら失うだろうね」
「――レイル。覚悟、出来てるか。俺たちがここで止めなければ」
「うん。町の住民に被害が及ぶ。絶対に討伐しなきゃ……兄さんの時の再現だ!」
再び剣を構える迅、そしてレイル。
「死んでも止めてやる」。レイルの視線は絶対的な決意が迸る。
「ここから全力で潰す」。迅の全身は今まで以上の緊張を得る。
極めて勝ち目の薄い、言わば「負け戦」に近い。ならば己の命すら厭わず、眼前の敵を屠るのみ――。
二人の意志は、ただその思いに統一されていた。
だが。
「……ん?」
様子がおかしい。ベディウスがこちらに飛びかかってこないのだ。
ばかりか、魔瘴獣は迅たちに背を向け、丘の先端まで歩いていった。
まるで「お前たちなど眼中にない」、そう言わんばかりの所作で。
そして背を屈めたと思った瞬間――、
「うぉわッ!」
一気に跳躍した。
この丘から。
ベディウスは宙を舞い、パノラマの町を眼下に見ながら「跳び越えてゆく」。
マズい、町の中心部で暴れる気か。
咄嗟にそう思ったが……ベディウスが到達した先を確認し、迅もレイルも首を捻った。
異常跳躍の果て。あの獣が到達したのは、他でもない。
エピーヌ領主館だった。
この地点から距離があるため、視界に映る小さな黒丸と化したベディウスは、やがて屋敷三階の窓からその内部へと姿を消した。
「く、くそ……ッ! やっぱりまだ調整不足なのかよぉ……!」
ガザリ。木立の群、その奥から毒突く声が聞こえる。
マチス・ライプニッツだ。
「……そういや居たな。こんな奴」
「だね。僕も完全に忘れてた」
魔瘴獣との戦闘中は「巻き込まれてはかなわない」と、木の陰に隠れていたらしい。
数名の野盗たちも徐々に顔を見せ始める。抵抗や攻撃の意志は見受けられなかった。
「……おい、答えろ。マチス・ライプニッツ。」
「ヒ!」
「何であの魔瘴獣は突然退却したんだ」
「お、オマエたちが傷を与えたせいだろっ!」
「傷?」
「アイツはまだ調整不足なんだ! 五感の一つが支障をきたしたら屋敷に帰還するよう、父さんが命令を与えてたんだよっ! フザけた真似しやがって!」
「ふーん。じゃあテメェはもうアレに頼れない。そういう事だよな?」
「! そ、それは……」
「で今からお前は半殺しにされる。俺たちによって。そういう事だよな?」
「え、あ」
「レイル。ちゃっちゃとコイツを片付けちまうぞ。放っておいたら何を、――……」
迅の言葉が途切れた。
視線の先のレイルが突然、ドサリ、と。
草の上に倒れ込んでしまった為である。
「れ、レイル!? 何だ、どうしたんだよ!?」
思わず駆け寄る迅。
それを見て好機と睨んだか、又は反射的行動だったのか。
マチスは身を翻した。
「ヒッ……イィイイイいいいッ!」
マチスが遁走する。
「ぼ、坊ちゃん!? 待ってくださいよ!」
その後を野盗たちが追走する。
「……お、オイこらテメェらっ! 逃げんじゃねぇよ!」
迅の恫喝は森の虚空へと消えゆくのみ。
マチスと数名の野盗は共に森へと逃げ込み、すぐにその姿は木立に隠れて視認できなくなった。
嘆息し、迅は再度レイルへと問う。
「どうした。何があった」
「す、済まない……! 魔力の過剰使用、それの揺り戻しが来たんだ。少し経てば歩けるようになる……だからジンはマチスの後を追って!」
「いや、――野郎は森の奥に姿を消しちまった。追ってももう間に合わねぇな」
「っ……ごめん。ジンの足を引っ張ってるね、僕」
「気にすんな。そもそも元を辿れば、俺がケンカを売ったのが原因だろ? アレでお前は余計な魔力を使用しちまったんだからよ」
「ん……。それもそうか。こうなったのはジンと戦ったせいだもんね」
「ははっ! ソフィアみてぇな言い分だな。それだけ口が利けりゃ上等だ! ――肩貸してやる。それなら歩けるだろ?」
迅はレイルの腕を持ち、己の肩の半分に背負った。
「っ、と。悪いね、兄さん」
「……はい?」
「え、あっ!? ち、ちちちちち違うんだ、違うんだよジンっ! つい間違えちゃって……ッ!」
焦る反応がソフィアそっくりで、思わず笑ってしまう。
「はははっ。アホ言ってねぇで行くぞ、レイル」
笑いながら、迅はレイルに肩を貸して歩行を開始する。
……まさか「兄さん」と呼ばれるとは。
恐らくはアレだろう。学校の女性教師に対し、間違って「お母さん」と呼んでしまうような。
だが、――レイルにそう呼ばれた時、不思議と嫌な気分はしなかった。
これも同じ戦場を駆け抜けた同士だからだろうか。
二人は共に進み続ける。
向かう先は、マチス達が姿を消したあの森。
だが別段彼らを追撃する意図はない。単にこの丘から町に戻る手段が「森を通過する必要がある」からに他ならない。
今この状況で連中が反撃に転じてくる可能性も皆無ではなかった。だが、もしそうなったのならば僥倖だ。今度こそ完全に仕留め切れるのだから。戦闘不能のレイル一人を抱えている事など、ハンデにすらならない。
一歩、一歩。二人はゆっくりと歩を進める。
枯れ枝や葉を踏みしめながら。
「っ、っと」
レイルは時々蹴躓きそうになっていたが、その度に迅が引き起こしている。
数分前に一戦交えた少年を運びながら、迅は先ほどの戦闘を振り返る。
――野盗やマチスなど物の数ではなかった。
ソフィアの「魔術が使えなくても大丈夫そうね」という迅への評価が証明された形となる。『絶牙』という実在すら疑われるスキルの凶悪さが浮き彫りとなった。
そう、迅の戦闘力は何をも圧倒する。相手が人間ならば。
問題は魔瘴獣だ。
アレに銃弾は通用しない。
もし再び対峙した際は、レイルとの連携攻撃も読まれており、使えないだろう。次は生きて還る自信が無い。
――とにかく、生きていて良かった。
今はそう喜ぶべきなのだろう。
「……ジン。一つ気に掛かる事がある」
肩を借りて歩きつつ。レイルが口を開いた。
「何だよ」
「あの魔瘴獣・ベディウスの事だよ。……マチス、あれを使役していたよね?」
「ああ。だが魔瘴獣を操るなんて本来不可能なんだろ? お前そう言ってたじゃねぇか」
「うん。でも手段そのものは存在するんだよ。現実的じゃないだけで。……――」
「何だよ、黙り込んで」
「……もしかすると。マチスは『魔瘴獣の管理禁止違反』とは比較にならない程、重大な罪を犯している可能性がある」
彼の意図する所を読めず、迅は「罪って何だ」と問おうとした。
しかしレイルが首を振った為、それを中断する。
「いや……姉さんが心配だ。話は後。先に家に戻ろう」
「だな。その件はソフィアも含めて話そうぜ。アイツの見解も聞きてぇし」
「魔術に関しては僕よりも姉さんの方が詳しいしね」
現状、マチスは「魔瘴獣を目撃した迅とレイル」を野放しにしている。
二人が王都へと報告すれば、彼は即座に罪人扱いであろう。それを避ける為ならば「ソフィアを人質に取る」程度の手は打ってくるハズだ。
……ソフィアが大人しく捕まる、捕まらないは別として。
――ザッ、ザッ。
二人は森の獣道を征く速度を、少しだけ上昇させた。




