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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ 子らを悼む歌 ~
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第10話(2)

「パル! 何故戻ってきた? 」


 私の叫び声に、パルは顔をマリグたちに向けたまま答えた。


「ごめん……近くに隠れて、ずっと話を聞いてたんだ。あんたは何も話してくれないから。お蔭で、全部わかったよ。誰が父さんを殺したか、も」


 パルの横顔に、私は死の匂いを感じ取った。思いつめたような、子供らしからぬ光がその瞳に蘇っていた。憎しみに任せて突き進み、その傍らにどれだけの骸が積み重なっても毛ほども心を動かさない。そんな残酷さを秘めた危うい目だった。


「止すんだ、パル! 気持ちは分かるが、今はそんな時じゃない。言っただろう、危険が迫っていると。共通の敵がいるんだ。メイユレグが……」


「動くんじゃない! その武器も捨てろ! 」


 パルは私の声に耳を貸さず、ボウガン男を怒鳴りつけた。男は上げかけていたボウガンの銃口を、のろのろと降ろす。


「何を言われたって、考えを変える気はないよ……僕は、殺す。父さんを殺したひと殺しを」


 低い声でパルは言った。その手が小刻みに震えているのに、私は気づいた。そうだ――彼の銃には、弾が入っていない。この私自身が、弾丸を抜き取って金庫にしまったのだ。彼は代わりの弾丸を込めたのだろうか? いや――手元の様子から察するに、どうもそうではないらしい。

 空砲だけを手に、パルは飛び出したのだ。父親を殺した相手を見つけたから。そうせずにはいられなかったから。何も考えずに第7から私の家まで歩いて登ってきた、あの時のように。


「パル、だが、それは……」


 かける言葉を見つけられないままに、私は喉から声を絞り出していた。何も言えなくても、とにかく何かを言いたくて――だが、その言葉は遮られた。

 神殿が、轟音とともに揺れ出した。


「な、何だ、こりゃあ……! 」


 危険に敏いティルザが、真っ先に顔色を変える。もと冒険者だ、この事態の異常さもよく分かることだろう。この神殿は水の魔神の神殿だ。大地の魔神ではない。水が噴き出すといったことなら魔導機械の誤作動で説明がつくが、大地が揺れるなんてことはまず起こらない――ケタ外れの魔力でも、ブチ込まれない限りは。


「ジャムフ……」


 私の口から呟きが漏れた。なんとなく、確信していた。こんなことを起こせるのは、あいつしかいない。急いで逃げるんだ、何かとんでもないことが起こる――私はその場の全員に向かって叫ぼうとした。その時だった。


 音に驚いたパルの腕が、一瞬だけ下がった。拳銃の銃口が床を向く。その瞬間、ティルザが体を宙に躍らせて、傍らの男からボウガンを奪い、パルに向けた。パルは銃を上げようとしたが、遅かった。風を切る音が響き、短い矢が閃光のように飛んだ。

 ぐっ、と、短い悲鳴がパルの喉から上がり、拳銃が石の床に転がった。パルの右手には、血に染まった矢尻が突き抜けて飛び出していた。


「おい、マリグ……ボサッとしてるな! 」


 唖然として立ち尽くすマリグに、ティルザは叱るような声を投げつけた。その声にマリグは振り向いて、一瞬だけ反抗的な目をティルザに向けたが、すぐに向き直って数歩駆け出した。パルが落とした拳銃を拾おうというのだ。パルも、手を押さえながらそちらに走る。が、ティルザの声がすぐに、2人の動きを止めた。


「遊んでるヒマはねえ! 今すぐここを出るんだ、マリグ」


 言いながら、ボウガンの男を従えて走り出そうとするティルザを、マリグは不思議なものでも見るような目で見つめた。


「ここを出るって……『敵』が来るって言う、こいつらの話を間に受けるのか!? 気でも狂ったのか、ティルザ! 」


「……信じたくはないが、万一と言うこともあるからな。この揺れは尋常じゃねえ……何にしても今は避難した方がいい」


 ティルザはあくまで冷静に言った。言いながら、ちらりと冷たい目で私たちの方をうかがう。手にしたボウガンが、威圧するように動いた。何も我々のことを忘れてくれたわけではないようだ。それでも、避難する気になってくれただけ大きな進歩だ。私は横から口を挟んだ。


「とにかく、外に出てみた方がいいと思うがね。外で何か起こってるのはハッキリしてるし、第一ここに居たままじゃ、いつ天井が崩れて来るかも分からんからな」


 ティルザは「余計なことを」と言いたげな顔で私を睨んだが、とりあえず私の助言に従う気になったようだ。階段へ向かおうとするティルザに、腕を振り回しながらマリグは叫んだ。


「バカな……聞くな、ティルザ! 今さら後に退けると思うのか!? ここでこいつらを逃がしたら、全てが露見しちまう……バザールの援助はどうなる!?

 何のために、殺しまでやったと思ってる!? その殺しを、面倒な手まで使って隠したのは、何のためだ! 」


 本音が出たな――私は独り頷いた。ビアルを殺した後、死体を何故神殿の前に放り出したのか、それが私の違和感の始まりだった。死体を隠してしまうことだって出来たはずだ。だが、それでは『失踪事件』になってしまう。第7の憲兵隊も動き出すだろう。ビアルがジュナルガククに接近していたことは公然の秘密だったから、当然ジュナルガククや神殿にも捜索の手は伸びる。そうなれば、バザールの工場建設計画がバレる恐れがある。

 それを避けるために、連中は「抵抗運動を押しつぶしたい教会派によってビアルは殺された」というストーリーを造りだし、狙撃事件まで演出してその信憑性を強化したのだ。同時に、狙撃事件こそが首謀者を狙った『本命』であり、ビアルの死はその前触れに過ぎないと印象付ける狙いもあったのだろう。


 私はパルの方を見た。不安に胸を高鳴らせながら――やはりと言うべきか、その顔には再び、殺意がくろぐろと燃えていた。十をいくつも越えていない子供がしていい表情じゃない。


「パル、落ち着け。逃げるんだ。君がこんな危険をくぐることを、父さんが望んでいるとでも……」


 伸ばした私の手を、パルは荒々しく振り払った。


「父さんは死んだ! こいつが殺したんだ!! だから、僕が……こいつを殺さなきゃあ」


 パルは叫び、落ちた拳銃に手を伸ばそうとした。が、踏み出した足の先がぶつかり、拳銃は床を滑って転がって行った。ちょうど、マリグとパルの中間に、拳銃は転がった。

 マリグも走り出した――拳銃を拾い上げようと体をかがめ、前に踏み出す。


 その瞬間を待っていたのだ、パルは。


 小さな体が毬のように弾み、マリグの傾いた体にぶつかった。マリグは一瞬怪訝そうな顔をし、次の瞬間、裂けんばかりに目を大きく見開いた。曲がった背骨が、マントの下でしなり震えた。マントに書かれた古代文字に、赤い点が上塗りされていく――血だ。

 2人の体がゆっくりと離れた。マリグは腹を押さえ、苦しげにパルを見た。パルは無表情に自分の手を見つめている。その手には、血に染まった鋭いトゲ――先ほど撃ち込まれた短矢が生えていた。あたかも腕から生えた枝か何かであるかのように突き出た矢尻には、パルとマリグ、2人分の血がこびりつきしたたっていた。


「こ、この……ガキが! 」


 マリグはかすれ声で叫び、足元の拳銃を拾い上げて引き金を引いた。撃鉄が、虚しく空の銃倉を叩く音がした。絶望に目を見開くマリグを見て、パルは嗤った。


 嗤ったのだ。少年の顔が、氷のような笑みを。


 冷たい私の血が、さらに、凍るほど冷たくなった。修羅場を幾度となく潜り、恐れすら感じなくなった鬼の顔――深層帰りの冒険者や、手練れの暗殺者が、ごく稀に見せるような形相だった。矢尻を握った右手を振り上げるパルの背中が、影絵のように歪み、巨大に見えた。私は必死でその腕にすがりついた。


「もう止せと言っているだろう、パル! 言っておいたはずだ、ひと殺しに加担はしないと――目の前で人殺しが行われるとなったら、私は命がけで止めると」


 パルは獣のような唸り声を上げながら、私を振りほどこうとした。だが、私は離さなかった。私の腕の下でパルは急速に、血も涙もない殺人者から、12、3の子供に戻っていった。


「離してよ! 僕は……僕は! 」


 パルは腕をめちゃくちゃに振り回した。目に涙を溜めながら叫ぶその顔は、もう頑是ない子供の顔だった。やがてパルの動きは鈍り、叫び声は次第にすすり泣きへと変わっていった。私は彼の横で、その肩に手を置いたまま、かける言葉も見つけられずに立ち尽くしていた。本当なら、抱きしめてでもやるところなのだろうか。しかし……私は顔を背け、その拍子に、気づいた。


「おい……何してる! 」


 私は叫び、左手の契約印をかざした。相手――いつの間にか後ずさりし、ティルザの傍まで逃げようとしていたマリグは、私の声にびくりと身を震わせた。その両手は、ボウガンを持ったティルザの手に重なっていた。


「おい、何だ? 離せよ」


 ティルザは困惑し、マリグの手を振りほどこうとした。だがマリグは必死の形相でボウガンごとティルザの手を掴み、私たちに向けて持ち上げた。


「何のつもりだ……そいつから、手を放せ! 妙な真似をしたら……」


 私は焦り、2人に駆け寄りながら左手を振り上げた。石を「撃ち出す」魔術で、マリグを狙うつもりだった。だが、追い詰められたマリグの動きは速かった。絹を引き裂くような悲鳴を上げながら、マリグはティルザの指に指を重ね、ボウガンの引き金を引いた。

 風を切ってボウガンの矢は飛んだ。だが、角度が低い。石の床で跳ね返り、矢は私の足元をかすめただけだった。ズボンを切り裂かれ、体勢を崩しかけながらも、倒れ込む勢いで私は足元の敷石を叩いた。

 大地の魔力が弾ける。ボウガンの矢に勝るとも劣らぬ勢いで、敷石の一枚が飛び、マリグの腕をしたたかに打った。骨の砕ける嫌な音がして、マリグは苦悶の声を上げながら床に這いつくばった。


「いい加減にしろ、お前も」


 私は荒い息をつきながら、地面に伏せ、マリグを睨みつけた。


「ティルザ、お前さんもだ。妙な真似はするな。今はそんな時じゃない。とにかく、急いでここから出よう。分かっているな、パルも……」


 私は後ろを振り向き、パルに声をかけた。


 返事は、なかった。


 金色の瞳が1つ――たった1つ、感情のこもらぬ視線を私に投げかけていた。

 大きく見開かれた左目と奇妙な対をなすようにして、パルの右目には、ボウガンの矢が深々と突き刺さっていた。

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