第9話(1)
翌日、朝早くに起きだし、まだうつらうつらしている宿屋のオヤジの前を通り過ぎて、私は外の通りへと出た。空気を嗅ぐと、水の臭いがした。見上げると、隧道の天井が湿っているようだ。太陽苔の光も弱い。ひと雨来そうな雰囲気だ。傘は持ってきていない。チラチラと天を仰ぎながら、私はパルの家まで歩いた。
鳥人族の街は、昨日にも増して湿気を含んだ不快な空気に満ちていた。扉の呼び鈴も、湿った音で鈍く響いた。どうにも音が小さい気がして、私は2度も呼び鈴を鳴らしてしまった。と、戸を開けて、ジャルが鋭い目でこちらを睨む。
「……そう、たびたび鳴らさなくとも、聞こえておる。そろそろ来る頃じゃないかと思っておった。まあ、入れ」
入ってみると、ちょうど朝飯を食い終わった所らしかった。汚れた皿がテーブルの上に並んでいる。部屋中にたちこめた、存在感のありすぎる香辛料の匂いに私は顔をしかめた。やはり彼らとは、味覚が合わない。パルはテーブルの傍らに座布団を敷いて座り、パウンドケーキを食べていた。昨日の晩、私がやったものの残りらしい。
「どうだい、それ、うまいだろう? 」
「うん、まァね」
パルは顔を上げずにそっけなく答えた。が、ジャルが茶を入れに台所へ行ってしまうと、笑いをこらえるような顔でこちらを手招きしてくる。私が顔を近づけると、パルはこっそり耳打ちしてくれた。
「本当言うと、すごくうまかったんだけどね。お祖父さんには合わなくてさ。昨日の晩は、ずっと不機嫌だったんだ……これ、言っちゃダメだよ。知ったら多分、お祖父さん、もっと不機嫌になるから」
私はニヤリと笑い、パルの肩を軽く叩いた。混血となると、味覚の方も純粋人類に近づくのだろうか。何にしても、冗談が言えるんなら上等だ。思いつめすぎてはいないかと、心配していたのだ。
「何を笑ってるんだ? 」
奥からジャルが茶を持って戻ってきたので、私たちは慌てて真顔を作った。
「いや、何でもないんですよ、何でも……ああ、茶は結構。昨日で懲りました」
「そうだろうと思ってな、だから持ってきたんだ。早い話が嫌がらせだよ……で、冗談はさておき、またパルを連れまわそうってのか? よくよく無駄な骨折りの好きな男だな、お前さんも」
「よく言われますよ。無駄なことばかりやるバカだって……そんなバカだから、ありがたい忠告に従うだけの頭もない――やめておけ、ってね」
私は気取って言い返しつつ、上着のポケットに手を突っ込んだ。
「さて、大見栄切っといて言うのもなんですが、実はあなたの方にもちょいと頼みがありましてね。こいつを見てほしいんです」
私が差し出したのは、あの深層織の切れ端だ。昨日の晩、ジャムフに託された『ヒント』。地元の鳥人ならば、深層織のことにも詳しいだろうと踏んだのだ。ジャルは胡乱げな顔で眉羽根をしかめ、差し出された布きれを手に取ってじっくりと眺めた。しばらく光にすかしたり、カギ爪で引っぱってみたりしていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「……なるほど、なかなかよく出来たニセモノだな」
「ニセモノ? 」
私は思わず声を上げた。正直言って、そんな答えは予想外だった。私の驚きにも頓着せず、ジャルは淡々と説明を続けた。
「紋様は確かに深層織のものだ。こういう、極彩色の幾何学模様をギッチリと組み合わせた図柄は、儂らの工場でも扱う。だが、布地が違う」
「布地……私には、ちゃんとドクイバラの繊維を使ったものに見えますがね」
私の言葉に、「ド素人め」とでも言いたげな顔でジャルは首を振る。
「確かに、繊維自体はドクイバラのものだ。だが、製糸の仕方に違いがある。儂らがやったら、こんなにガサガサした不細工な糸は出来んよ。薬液に浸す時間も短すぎりゃ、浸した後のほぐしも足りない。闇雲にブッ叩いて繊維をバラしたんだろう。本当なら、繊維にそって軽く伸してやるだけで糸はほぐれるんだ。
それでいて、ところどころに薬液の洗い残しがこびりついている。糸を洗うのに使った水の種類も違うんだろう。地面から出る湧き水を使うと、きれいに洗えないんだ。土の成分がもともと水の中に溶けてるからな。
それに染料も違う。我々が伝統的に使うものではなく、上層の染料を使っているようだな。発色が悪い。ドクイバラの硬い繊維には、普通の染物に使うのと同じような染料じゃ浸みこまないものだ。多分、上層の連中が真似て作った模造品ってとこだろう」
「なるほど……」
私はジャルの説明を聞きながら、改めて織物を見直した。確かに言われてみれば、工場で見たような深層織とは少々違う気もする。だが、だから何だというのだろう? ニセモノの深層織と、バザールの陰謀とに、何の関係があるというのか?
頭の中で、目まぐるしく計算が行われた。ジャムフは、「確かめたいこと」があって『ドワーフの帽子亭』を訪れたと言っていた。その「確かめたいこと」というのが、この布きれの存在だったとしたら、どうだろう? つまり、バザールと偽深層織との関係を確かめたかったのだ、としたら?
深層織はかなり巨大な産業だ。何しろドクイバラは繁茂力の強い植物で、放っておくだけでどんな荒地にもやたらと生える。材料には困らない。実際、この産業だけで一つの部族が食っていけるほどなのだ。貪欲なバザールが、深層織生産を手中に収めたいという野望を抱いたとしても不思議はない。
とはいえ、第7での織物生産はほとんど鳥人部族に握られていて、流石のバザールでも手が出せない。としたら、どうするか。既存の工場に頼るのをやめ、まったく新しい工場を建てるか?
私はジャルの話をゆっくりと反芻し、ふと、気になる一語があるのに気づいた。以前、何かの拍子に話題に上ったことがある単語だ。あれは何の話だったか――とりあえず、ジャルに話を振ってみた。
「今、湧き水は使わないって言いましたよね? じゃあ鳥人族は、糸を洗う水をどこから手に入れるんです? 」
「そりゃあ、魔導泉だ。大昔は、専門の水魔導士がいたらしいがな。今じゃそんな手間のかかることはしない。作業用のデカい魔導泉が、工場に据えてあるんだ」
「フーム……」
私は唸った。魔術、湧き水……何か欠けているような気がする。まだ何か、選択肢があったような……
「そうだ! 神殿だ! 」
「何? 」
素っ頓狂な声を上げた私に、ジャルは驚いた目を向けた。クチバシがぽかんと開き、持ち上げかけたイバラ茶のカップも空中で静止している。そんなジャルに私は勢い込んで質問をぶつけた。
「神殿の水は? そら、昔はあの神殿から生活用水を手に入れてたって、言ったじゃないですか。水の魔神の神殿だから――あの神殿から水を引いて、糸作りに使おうって考えた奴は、いなかったんですか? 」
「神殿の水で……? 」
ジャルは困惑した様子で、眉羽根の辺りを掻き、考え込んだ。
「……そうさな。そういうことも、やろうと思えば出来たかもしれんが……少なくとも儂の知っている限りでは、実際にやったという話は聞かんな。あの神殿の魔神は湧き水を司る魔神だから、あそこの水を使ってもいい織物は出来んだろう。
それに、あの神殿は生活に深く浸透しすぎていたからな。慣れ親しみすぎて、地元の者からはかえってそういう新しい発想が出なかったのかもしれん。あんただって、わざわざ台所で書類仕事をしようとは思わないだろう? 」
言葉の終わり際は、もう聞こえていなかった。ようやく、全てが繋がった気がした。バザール、神殿、ジュナルガクク。一見バラバラなそれらの要素が、深層織のドクイバラ糸という要素を付け加えることにより、文字通り一本の糸でつなぎ合わされたかのようだった。
「とすると……これは、のんびりしちゃいられない」
私は立ち上がり、パルの方に顔を向けた。
「行こう、パル。君の力が必要だ。急がなければ……私の予想通りなら、もう話は我々だけの問題じゃない。早く手を打たなければ、ジェマイアス教会や――下手をすれば、ジュナルガククにまで危害が及ぶ可能性がある」
「ジュナルガククが、危ない……!? 」
パルは目をまん丸く見開いた。ジャルも険しい顔になって、冷たい瞳で私を睨み据えている。
「そんな……だって、ジュナルガククっていうのが、悪いやつだったんでしょ? 父さんが死んだことに関係がある奴らだって。それが、危ないって……」
「詳しい話は後だ。まずは私の推測が正しいかどうか、確証を得る必要がある。そのためにはまず、あっちの大将と話をしなきゃならない――ジュナルガククのリーダー、マリグ=ルガとな」
パルの表情がたちまち強張る。無理もない、自分の父親を殺したかもしれない連中の親玉と、話をしろというのだ。しかも場合によっては、その連中を助けてやるかもしれないという。とても納得できる話ではないだろう。しかし、納得してもらわなければならない。
「君の助けが必要なんだ」
私は必死の思いでかきくどいた。
「君はビアルの息子だ。ビアルは生前、職工を率いてジュナルガククに接近していたという。ジュナルガククにとっては、少なくとも表向きは『仲間』だったはずだ。そんな仲間の息子なら、無下に追い返したりはしないだろう。警戒されずに奴らに接近するには、君から近づくのが一番手っ取り早いんだ」
「……」
無言でうつむくパルに、私は少しの間迷った後、嫌な言葉をかけることにした。
「ジュナルガククには、君の部族の人間も少なからず加わっているんだぞ。罪もない、ただ純粋に『うちびと』文化を守ろうとして仲間に加わった連中だ。そういう連中を見殺しにしてもいいのか? 新しい人死にを出してまで、君は復讐がしたいのか? 」
パルはびくりと肩を震わせた。細く骨ばったその肩を見つめながら、私は心底自分というものが嫌になった。こんな小さな子供に、人の命などという重大なものを背負わせようとは。卑怯もいいところだ。だが、パルは瞳を上げた。
「その、人死にが出るかもしれないって話――本当なの? 」
「それを、確かめなければいけないと言ってるんだ」
私は答えた。自分を見つめる金色の瞳から、目を反らしたかった。だが、堪えた。
「私の推測通りだったら、間違いなくとんでもない事態になる。死人も、1人や2人じゃ済まないだろう。そういう相手が関わっているんだ。」
私とパルは、しばらくの間見つめあった。パルの、燃えるような金色の瞳が、1度か2度またたいた後閉ざされた。
「……分かった。行こう」
目を閉じたままパルは言った。その震える肩を、私は抱いてやりたかった。今からでも、何も伝えなかったことにしたかった。全てを忘れて、一人の子供に戻って楽しく暮らせばいい、そうしていい権利が子供にはあるんだから――そう言ってやりたかった。だが、私は拳を震わせながら立っていることしか出来なかった。何かを言ったところで、言った私も言われた彼もみじめになるだけなのが、分かっていたから。
「……行くのか。本当に」
ジャルが静かな声で問うた。答えを期待していないかのような声音だった。パルが小さく頷くと、ジャルは驚くほど優しい仕草でパルのふわふわした髪を撫で、しわがれた小声で言った。
「行くがいい。そうするしかないというのなら。だが、いつでもいい、『戻りたい』と思ったら、いつでも戻ってこい。ためらったり恥じたりする必要はない。元々、あの男――お前の父親などのために、お前が何かをしてやる必要など、ないんだからな」
パルは黙って、硬い表情のまま聞いていた。何を思ったにせよ、その思いが顔に現れることは無かった。私は無言で彼の手を取り、引いていった。
胸の中ではパルに、ジャルと同じことを言っていた。引き返せ、君がこんなことする必要はない――だが、ジャルと違って、口に出すことは出来なかった。私には、その資格がない。家族でも何でもない、単なる根無し草の探偵風情には。
通りに漂う雨の匂いは、さっきより強くなっていた。心なしか街も、闇色のヴェールでもかけたかのように沈み込んでいる。私たちはそんな雰囲気の中、肩を寄せ合って歩いた。




