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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ 子らを悼む歌 ~
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第8話

 太陽苔の光も消えた真夜中、私は独り宿のベッドから起き上がった。


 上着を着込み、ロビーに出ると、宿屋のオヤジは椅子に座ったまま大口を開けてイビキをかいていた。また眠っているのか。いったい、いつなら起きているんだ――そんなことを思いながら、足音をひそめてロビーを突っ切り、静かにドアを出る。


 夜の第7大隧道は暗く、静かだ。歴史の浅い街だけあって、終夜営業の商店や歓楽街といったものは、まだあまり栄えていない。。少し上がれば空中市場があるのだし、冒険者たちも、日頃の憂さを晴らすのならこんな田舎よりもっと上層の店に行きたいのだ。静けさの中、自分の靴が砂利道とこすれ合う音を気にしながら、私は通りを歩きだした。

 2,3区画を通り過ぎると、目当てのものが見えてきた。うす明かりの中、黒々と浮き上がる三角柱の看板。『ドワーフの帽子亭』だ。今は既に閉店し、戸口にも「準備中」の札が掛けられている。私はしばらく通りの反対側から店の外観を眺めていたが、意を決し、戸口に近づいていった。


 パルには黙っていたが、最初から私は『ドワーフの帽子亭』をもっと深く調べてみるつもりだった。場合によっては、泥棒の真似事までする心構えだ――ただし、一人でだ。流石にそんな仕事に、子供を巻き込むわけにいかない。それに私の推測が正しいとすれば、今度の事件はバザール絡みだ。一人の復讐相手にしては、巨大すぎる相手だ。


 私は目線を上げ、事務所があるという2階の様子をうかがった。明かりは消えて――いや、ついている。部屋の中で揺れているかすかな明かりが、カーテンの端から漏れてくる。誰かが残って事務仕事でもやっているのだろうか。押し込むには不都合だ。私はどうしたものかと思案しながら、店の周りを2、3度行ったり来たりした。


 その時、ふと気づいた。


 もう一度、窓を見上げる。やはり細い灯りが揺れている。まるで躍る蝶々のように――そう、揺れているのだ。動いている。光源は動いている。何故だ? 自分の店の中で、冒険でもするかのように明かりを持ってうろついているとでもいうのか?

 嫌な予感がして、私はドアノブに飛びついた。握ったノブを、ゆっくりと回してみる――回る。鍵がかかっていない。私は5秒ほど逡巡したのち、蝶つがいを軋ませないように細心の注意を払いながらドアを押し開けた。


 店内の空気は、変に淀んでいた。明かりはなく、真の暗闇だ。目が慣れるまで静かに待ってから、ゆっくりと店の奥へ歩を進めていく。人影は見当たらない。店員も帰った後のようだ。問題は2階だ。私はつまずかないように気を付けながら、水の中を泳ぐように緩慢な動きでカウンターを越え、階段を上った。

 2階に近づくにつれ、空気が冷たくなりだした。やはり何か異様だ。何かが起こっている。胸騒ぎを覚えつつ2階に上がり、事務所のドアの前で中の様子をうかがう。ことりとも音がしない。誰もいないのか? いや、見たところ階段は私が上ってきた一か所しかないし、先ほど見かけた動く光の持ち主が立ち去ったとは考えにくい。私が上がっていくのに気づいて、息を殺して隠れているのだろうか? 考えていてもらちがあかない。私は覚悟を決め、事務所のドアをそっと開いた。


 中から漏れ出した空気は、身震いするほどに冷たかった。やはり異様だ。自然現象ではあり得ない。すると何かの魔術か――考えながら、部屋の中へ踏み込む。左手の手袋を外すことも忘れない。私の左手には、大地の魔神ゲム=リガゲメトとの契約印が刻まれている。印から魔力を放出し、無機物に注ぎ込めば、その無機物を銃弾のように射出することが出来る。武器らしい武器を携帯しない私の、唯一使える護身手段だ。

 左手を銃のように胸元で構えつつ、奥へ奥へと進む。中には事務用の机がいくつかと、暗がりでよく見えないが何かの棚らしい影が壁際にいくつか。人影は今のところ見えない。隠れられそうな場所も、パッと見た限りでは見当たらない。


 ふと机に手を突くと、何かすべすべしたものが手に触れた。目を凝らしてよくよく見ると、それはランプらしかった。書き物をするために、机に置いたものだろう。中に蝋燭を立てる仕組みのものだ。が、肝心の蝋燭は消えている。黒く焦げた芯からは、まだ薄く白い煙が立ち上っていた。

 私はハッとして、その机をもう一度見直した。何の変哲もない事務机――いや、よく見ると、上に何か大きなものが乗っている。布袋のような、くろぐろとした輪郭。私は顔を近づけ、それが机に突っ伏した人の体であることに気付いた。


「安心したまえ、死んでいるわけではない。眠っているだけだ」


 澄んだ声が後ろから響いた。私は首筋に刃を当てられたような気分で後ろを振り返る。そこには、手に持った杖からの光に照らされた長身と、謎めいた片目があった。


「ジャムフ……! 」


 私は呻いた。魔術の可能性を考えた時点で予想していなかったわけではないが、目の前に現れるとやはり動揺する。メイユレグの導師、片目のジャムフ。恐るべき魔導士にして狂信者だ。


「久しいな、同胞(はらから)。元気そうで何よりだ」


 ジャムフは心安げな笑みを浮かべながら言った。


「まったく、お互い息災でよかったな。こんな所で言い合うセリフでもないが」


 私は多少虚勢を張って、そう言い返した。ジャムフの笑みが、顔全体に広がった。


「そうだな……だが、静かに話した方がいいぞ、同胞(はらから)よ。術を使ったとはいえ、そこにいる人間は眠っているだけだ。あまり大きな声を立てると、目を覚ます。そうしたら、お互い困ったことになるんではないかね? 」


 私は机に突っ伏した男を見やり、歯ぎしりした。確かに、ジャムフのいう事ももっともだ。私たちは不法侵入者だ。騒ぎ立てられたら面倒だ。


 しかし魔術で、眠らせたとは――ジャムフの杖の光を見、炎の消えた蝋燭を見て、その理由が何となく推測できた。杖の先に灯る光は、風の魔力の残滓だ。ジャムフは風の魔術で、周囲の空気を杖の周りに引き寄せ、空気の薄い空間を造りだす魔術を使う。それで店の人間は気絶し、蝋燭の炎は消えたのだろう。


「フム、黙ったね……私と話をしたくはないのかね、同胞(はらから)? 」


 三日月のような笑みを浮かべて、ジャムフは囁いた。私も抑えた声で返す。


「あるとも、聞きたいことが山積みだ。何故ここにいる? 何を企んでいるんだ? それは、ジェマイアス教会の建造に関わることか? 」


「そう、焦るな、同胞(はらから)

 そうだな……ここにいる理由か? 君と同じだ。同胞(はらから)を、救いに来た」


 ジャムフの片目が、ぎらりと光った。相変わらず顔は笑っているが、目だけは異様な光を帯びている。ジュナルガククの無邪気な狂信とも、パルの思いつめたような光とも違う、何かまるっきり別種の生物のような、得体のしれない瞳だ。私は呑まれそうになりながらも、その瞳を見つめ返した。


「やっぱり、教会建設を潰す気か……ジュナルガククの後ろにも、お前らがいるのか? 」


 ジャムフの笑みが消えた。少し迷っているようなそぶりで小首を傾げ、ゆっくりと口を開く。


「……無知は罪だ。罪人に同情の余地はない。だが、未知は罪ではない。

 知ろうとする意志を持ちながら、巡り合わせのために未だ知らないというのは、別段恥ずべきことではない」


「相変わらず、人を煙に巻くのが好きな奴だ……何が言いたい!? 」


 押し殺した声で私が叫ぶと、ジャムフは再び小さく笑った。


「未知から組み上げた論理は、誤った結論を生む……我らはメイユレグ、真なる世を成す者なり。真なるは、ただ真ならざるを以て真なり。

 外を内より勝るものと断ずるのは愚かだ。だが、内を外より勝るものと断ずるのもそれに等しい。我々はどちらの味方でもない。どちらにつくこともなく、どちらの真も真とはしない。真ならざるものが入り乱れ、入り混じりあうその姿にこそ、真なる世がある」


 ジャムフはふふっと息を漏らすようにして笑うと、コートの奥に手を突っ込んだ。


「ここの人間どもに用はない。ただ、少しばかり確かめに来ただけだ。それももう済んだ。我々は、知りたいことを全て知った。君に教えてやってもいいが、それよりも自分で知った方が、君のためにもなるだろう。知りたいのなら、自分で考えたまえ。

 まあ、ヒントだけはやろう。そら――」


 コートから取り出したものを、ジャムフは私に投げてきた。反射的に、両手を伸ばしてキャッチする。何か柔らかく、ザラザラしたものだ。罠や危険物の類ではないようだが、これは一体――しわくちゃに丸められたそれを、指でほぐしてみる。どうやらそれは、ドクイバラ繊維で織りあげた深層織の切れ端らしかった。鳥人(バードマン)の工場で作っていたものと似ている。


「……こんなものが、ヒントだと? 」


 私は顔を上げ、ジャムフのうすぼんやりとにじんだ顔を見据えた――うすぼんやりと? ぎくりとして首をめぐらすと、いつの間にか闇の中に、さらに濃い霧が立ち込め始めている。気づかぬうちに、ジャムフの杖から発する光の色も変わっている。霧を生み出す、水の魔術だ。


「では、さらばだ、同胞(はらから)

 いつかも言ったな。正しき怒りを持ちたまえ。真実を知れば、君なら必ず分かる」


 霧の向こうから、ジャムフの声が聞こえた。はるか遠くから聞こえてくるかのように、ぼやけた声だ。私はその後を追おうとした。が、足元の机を回り込んでいるうちに、杖の光も消え、あたりは完全な闇に包まれた。


「待て、ジャムフ! まだ聞きたいことが……」


 叫び、さっきまでジャムフが居た場所に駆け寄ったものの、既にジャムフの姿はそこにはなかった。霧もいつしか窓から外に流れ出していた。まるで今までのことが全部夢だったかのように、ジャムフは忽然と姿を消してしまった。


 背後で、呻き声が聞こえた。慌てて振り向くと、机に突っ伏していた男がかすかに身じろぎしている。さっきの声で目を覚ましたのだろうか。ろくに調査できず心残りではあったが、私は急いで事務所を抜け出し、店の外へ出た。


 外は相変わらず静かだった。街並みは無邪気に眠っているように見えた。その中に、得体のしれない陰謀を隠しているとは露ほども悟らせず。羽毛の布団にくるまって安らかに眠る性悪女――そんな想像をしつつ、私はわけもなく通りに唾を吐いてから、宿に帰るため歩き出した。

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