第4話(前)
工場からさらに歩いて、6番街のはずれまで行き着くと、遺跡の一端が見えてきた。揺らめく炎を結晶化させたような、異様なフォルムの尖塔が目につく。古代の神殿に付属する礼拝塔だろう。どういう魔神を祀っているのかまでは知らないが。
近づくにつれ、木製の柵が神殿の周りを囲っているのも見えはじめた。隙間の大きな、簡単な柵だ。工事現場を囲っているのだろう。さらに進むと、その柵をもうひと周り囲い込む形で、テントのようなものがびっしりと立っていた。木の支柱と、ぼろきれを縫い合わせて作ったらしい天幕を組み合わせただけの素朴なものだが、規模は大きい。小さな部族だったら、丸ごとそこで暮らせそうなほどだ。
そして実際、暮らしている連中がいるようだ――ざわめきが聞こえてくる。大人数で囁きかわす、木の葉のそよぎにも似た音だ。見ると、天幕の舌には無数の亜人たちがひしめいていた。ほとんどが鳥人のようだが、中には巨猪人のバカでかい影や、矮鬼人の小さな影も混じっている。ぽつりぽつりと、居心地悪そうな顔の純粋人類までいる。さながら人種の博覧会だ。みな、知った顔同士で固まって話し込んだり、炊き出しらしいスープ料理を掻きこんだりしている。座り込みと言うから、せいぜい数十人くらいが入口の前に居座っている程度のものを想像していたのだが、なかなかどうして大したものだ。まるっきり、小さな村のようじゃないか。ジュナルガククという組織の実態が、ますます底知れぬものとなってきた。
私はあえて帽子を取り、人の群れへ自然と溶け込んでいった。このごった煮の中では、亜人の顔立ちをあらわにした方がかえって目立ちにくいようだ。いかにも勝手知ったる風を装い、胸を張って歩く。周りの囁きに耳を澄ましてみると、どうも人々の関心は柵の入口の方に向かっているようだ。何があるというのか、私も首を伸ばして見てみた、その時――
「おい、来たぞ! 」
どこからともなく声が上がり、人々が柵の入口へと殺到し始めた。わけが分からぬままに、私も後に続く。人の群れは、入口前の道路を囲むようにしてせき止められていた。人だかりで造られた黒い塀の間を、なにか大きなものが通っていく。カギ爪が石とぶつかって立てる軽い音に、車の軋む音。人垣から首だけ出して道を覗くと、今しも、2頭のオオツチドリに曳かせた荷車が道の真ん中をゆっくりと通っていくところだった。オオツチドリは深層の土着種で、飛べない代わりに頑健な脚と強靭なクチバシを持つ大きな鳥だ。深層では飼いならされ、荷車曳きや交通手段として重宝される。
禿げた御者が1人で車を操り、荷台には建材らしき材木と、若い男が2人。一人は、仰々しく古代文字を書きたてたローブを羽織り、藁色の髪を短く刈った線の細い男。もう1人は、ローブの男をかばうようにして荷台に立膝で座る、鎖帷子の剣士らしき男だった。腰に吊るした細く長い剣の柄に手をかけ、油断なく辺りを見回している。構えと鞘の作りから察するに、片刃の剣の使い手らしい。
荷車を運転する御者の顔には、激しい緊張が浮かんでいた。禿げあがった額に汗の玉がいくつも浮かんでいる。その顔に、周りを取り囲む人垣の視線が冷たく注がれている。異様な光景だ。
私は、試しに傍にいた鳥人の男に話しかけてみた。
「なあ……私は、今日初めて来てみたんだが、こりゃどういうことだ? 何だってみんな、こんなに殺気立ってあの車を見つめてるんだ? 」
「おお、新入りか。人数が増えるのは大歓迎だ」
鳥人は言い、目で笑った。クチバシが硬く表情がつけにくいため、どうも鳥人の顔色と言うのは読み取りづらい。私は適当に愛想笑いを返しておいた。
「で、あの車か? ありゃ、中の工事現場に建材を届ける車だよ。教会を建てるための、な」
私は納得した。工事に反対している座り込みの連中が穏やかな気分でいられないのも当然だ。
「だが、何だってみんな、こう静かに見てるだけなんだ? 」
「お前、それも知らないのか? あの荷車に乗ってるのが、誰なのかも? 」
鳥人は目を丸くした。
「ほれ、あのローブの純粋人類……あの人の顔くらいは覚えておけよ。マリグ=ルガ――ジュナルガククの創始者にして、俺たちのリーダーだ。今回の座り込みの発起人でもある」
私は目を細めた。マリグ=ルガ……『うちびと』風の名だ。古代文字のローブといい、妙に深層風を気取る奴だ。私の怪訝そうな顔を見て、鳥人は補足説明をしてくれた。
「マリグは純粋人類だが、俺たちの文化に敬意を表するってことで、深層風の名前を名乗ってるんだ。念の入った男でね、俺たちの主張を証明するために、ああして荷車に乗っているんだ」
「主張? 」
鳥人は熱を帯びた目で頷く。
「純粋人類の侵略に対抗する――ただし、暴力を使わずに、だ。マリグがああする前は、現場に建材を運ぶ車や、食糧なんかを差し入れる商人たちが、亜人によって襲われる事件が相次いでいた。だけど、そんなことを続けていたら純粋人類の側だって遅かれ早かれ暴力で対抗してくる。ジュナルガククにだって戦闘のこなせる剣士や魔導士はいないじゃないが、大多数は普通の職工や労働者だ。対して、この階層にいる純粋人類と言ったら大抵は冒険者、戦闘のプロと言ってもいい連中だ。全面戦争になったらどっちが有利かは考えるまでもないだろ?
そこでマリグは、暴力を使わない抵抗に出たってわけだ。こうして座り込み、工事現場を囲い込んで圧力をかける。加えて、工場での労働も場合によっちゃあ止める。ぶん殴り合いには強くたって、物資が途絶えりゃ冒険者だって生きてはいけないからな。それに、こうして囲い込んでプレッシャーをかけていれば、ゆくゆくは工事現場で働く連中だって、労働意欲が削がれてくるだろう。
そうして『教会なんか造るのは損だ』と純粋人類に悟らせるのが、マリグの狙いなんだ」
鼻息も荒く語る鳥人に、私はさらなる疑問をさしはさんだ。
「だが、それと荷車に乗ることと、どういう関係があるんだ? 」
「よく聞いてくれた。いや、最初のうちは、マリグの考えに賛同するものは少なかったんだよ。道に罠を仕掛けて荷車をひっくり返そうとしたり、御者に石を投げたり、そういうことをして足並みを乱す奴が跡を絶たなかった。あわや純粋人類どもが亜人狩りを始めようかって一触即発の状態になった。そこで、マリグは自分から荷車に乗ることを言いだしたんだな。自分らの大将が乗ってれば、亜人もそうそう滅多なことは出来ないだろう、と言って、純粋人類をなだめたんだ。大した男だろう? 」
言われて私は、改めて荷車の上のマリグ=ルガを見た。薄く神経質そうな唇がかすかに歪められているのは、緊張か気負いのせいだろうか。やや吊り上がった目には、硬い決意と信念の光が燃えている。かつて私は、似た光を見たことがある――聖ジェマイアス教会の、宣教師の目の中に。
「思想家、って奴は、本当に……」
私は鳥人に聞こえない程度の声で、もぞもぞと呟いた。その時だった。
風を切る音が、ざわめきの波を突き破って道に響き渡った。
ほとんど間をおかず、鋭い金属音が走る。私は荷車を見た。マリグの傍らに控えていた剣士が立ち上がり、鋭い目で周囲を睨んでいる。その手の剣は、いつの間にか抜き放たれていた。片刃の細い刀身には、波打ちうねるような紋様がしらじらと描かれている。『焼き』というやつだ。これも深層でよく見られる技法の一つで、特殊な方法を使い高熱によって刀身を丹念に鍛えることで、剃刀のように鋭い切れ味と美しい波型紋を刃に与えることができるらしい。
「おい、何だ? ティルザが剣を抜いているぞ……」
「抜いたのか? 今、見えなかったが……何かを斬ったのか? 」
人垣の間から、ざわめく声が上がる。御者は青い顔で、荷車を停めてマリグの顔を見ていた。マリグは心もち眉をひそめ、ティルザと呼ばれた剣士を見据えた。
「……何事だ? 」
ティルザは薄い眉を上げ、顎で道の上を示した。
「短弓か何かだ。そこに、矢が落ちている。俺が斬り落とした」
柵の前で、喧騒が爆発した。人垣の中から何人かが進み出て、ティルザの示したものを拾い、高々と掲げた。短く鋭い矢だ。鋼鉄製らしい矢尻が、柄と一緒に真っ二つになっている。空中で、飛んでくる矢を切って落としたというのか。
「流石、ティルザだ……」
さっき話していた鳥人が、唾を飲み込みながら唸る。私はその肩を叩いた。
「ティルザって言うのか、あの剣士。凄腕らしいが、何者なんだ? 」
「ティルザ=ルグ。マリグの片腕で、用心棒だ。もとは冒険者だったらしいが、仲間のやり方が気に食わなくて足抜けし、マリグに拾われたんだと。深層の技術で造った剣と、魔物との戦いで培った実戦剣術には、冒険者ギルドの精鋭でさえ一目置いてるって評判だぜ。いや、あれが味方でよかったよなあ」
感心した様子でしきりに首を振る鳥人を尻目に、私は停まってしまった荷車を見つめた。ジュナルガククも、非暴力を謳う割には、随分と物騒な奴を飼っているものだ。やはり、その魂胆には疑わしいところがある。そう思っていると、やおらマリグが荷車の上に立ち上がった。息を吸い込み、両足をぐっと踏ん張って、人垣を睨み据ええている。どうやら、一席ぶち上げるつもりらしい。




