第3話(後)
エディオル先生は右手で魔導杖をかざしながら、左手を伸ばしてナイフの柄を握り、一思いに死体の腹から引き抜いた。流れ出しかける血が、魔導杖から放出される水の魔力により逆流させられ、とどまる。治癒魔導士が使う治癒魔法は、基本的に人体の水分に作用する水の魔術だ。
「ほら、これが凶器だ」
エディオル先生は引き抜いたナイフをランプの明かりにかざした。固まりかけた血にまみれ、ナイフの細く鋭い歯が不吉な光を放っていた。
「こいつが、柄のところまで刺さってたんだ。傷口の具合から見て、一息に刺したらしい。一瞬の出来事だよ。声を出す間もなかったろうね」
「声を出す間も、か……」
あたしはふと思いついた。
「でも、そりゃ妙じゃないか? あんなトカゲ面の男を、わざわざナイフが刺せるくらいの至近距離まで近づけるかね? 」
「現場は暗かったそうだし、彼は黒ずくめの上帽子までかぶっていたんだろう? 誰だかわからなかったという可能性もある……そうだ、そもそも、あのベク=ベキムとかいう探偵と被害者とが知り合いでないという確証もないんだ。まだ捜査はそこまで進んでいないようだから」
「知り合い」という言葉にあたしは思い出し、両手を打った。
「そうだ、手段と、それから動機だったな。忘れるとこだった。こいつの身許は分かったのか? 」
「子供のおつかいじゃないんだから、まったく……」
呆れた様子で呟くキブルを睨むと、奴は軽く咳払いをし、ジャケットのポケットからメモを取り出して読み上げた。
「ムラト・レギナム。42歳。もと冒険者で、バザール運営委員会直属の内部監査員だ」
「内部監査? 」
眉をひそめるあたしに、キブルは嫌悪をにじませた目を向けた。
「あんまり、下種の勘繰りを働かすんじゃないぞ。彼の仕事については、委員会の内部秘だ」
「そーやって隠そうとするから、なおのこと覗きたくなっちまうんじゃねえかよ」
あたしは言いながら、台の上に横たわるレギナムの横顔を見た。年齢は刻まれているが、ヒゲや傷といった特徴的な造作のない、のっぺりした顔だ。何の表情も浮かべずに目を閉じているさまは、眠っているようでもあった。無残に刺し殺されたとは思えない顔だ。
「実際、バザールだって疑ってんだろ? ヤバめの仕事に使ってた手先が深夜の路上で刺し殺された。これで仕事との関係を疑わなかったら、よっぽどのマヌケだぜ」
「そんなことは、こちらも分かっている。仕事上の調査で何かを突き止め、口封じのために殺されたという可能性は高い……バザールでも、その線で追っている」
「だったら……」
なおも文句を言おうとするあたしに、キブルは額を押さえながら、困ったような顔で言った。
「そこが、デリケートな所なんだ。彼に与えられていた任務は、バザールの会計に関する調査だった。使途不明金が認められると会計部が言ってきたんでな。厄介なことに、どの部署がどう予算をごまかしているのかは、分かっていないんだ。ヘタに刺激したら、不正をやっている者の方で感づいて証拠を隠滅されてしまうこともありうる。それを防ぐために、レギナム一人に調査を任せていたんだが……」
「ブッ殺されちまったんじゃ、世話ねえな」
あたしは肩をすくめた。
「だが、それならそれで、こいつが最後に追ってた奴が黒幕ってことになるんじゃねえのか? そいつをとっ捕まえろよ」
「人の話を聞かん奴だな」
キブルはあたしを睨み、声を1オクターブほど高くして言った。
「いいか、さっきも言ったように、犯人に感づかれることを避けるためレギナムは単独で調査をしていた。バザール内部にも、どの部署の誰を調査しているとは明かしていないんだ。当然だ、そのバザール内部を調査してるんだからな。
デリケートだと言うのはそこだ。レギナムが誰を不正の犯人として追っていたのかを詮索しだすと、バザール内部での犯人探しが行われることになる。そうなったらもう、滅茶苦茶だ。どのギルドだって身内を犯人扱いされたら黙っていないだろうし、ギルドや部署によっては競争関係や対立関係にあるところもある。そういう連中はこの機会にこぞって対立相手を陥れようとするだろうしな」
「やれやれ、呆れたもんだね」
あたしは大袈裟に嘆息し、首を振って見せた。こういう面倒があるからこそ、あたしはギルドってもんが嫌いなんだ。あっちの方でも、あたしに好かれたいとは思ってないだろうけど。
「でも、なるほどね……読めてきたような気がするよ。だからバザールは、裁判を長引かせたくないわけだ。バザール全体を巻き込んだ陰謀論をブチ上げるより、トカゲ男が酔った勢いで人ひとり殺しちまいましたってだけのことにした方が、ダメージが少ないもんね」
「だから、そういう下種の勘繰りをするなと言っているんだ」
苦々しげにキブルは言い、メモを懐にしまうと踵を返した。
「もう、被害者のことはだいたい分かっただろう。いつまでもエディオル先生の邪魔をしていないで、別のことを調べたらどうだ? 時間がないんだろうに」
「時間がねえのは、誰のせいだと思ってるんだよ、ったく……」
あたしはぼやきながら、もう一度改めてレギナムの死体を見た。
こいつも、気の毒な野郎だ。自分の仕事をこなしてただけだってのに刺し殺されて、殺された後は誰も悼んじゃくれない。どいつもこいつも、死人のことなんか眼中になく、ただ自分の損得ばっかりで動いてやがる。だが、まあ、そんなもんだ。命だの人生だのについて世の中じゃ甘いセリフがまかり通っているけれど、実際は結局のところ死んだら終わり。死人のことなんていつまでも構っているほど、あたしたちはヒマじゃないってことだ。
「……その、ヒマな真似をやるハメになっちまったのは、一体何の因果かね……」
あたしは天井を見上げてひとりごちた後、エディオル先生にちょっと頭を下げて、部屋を出た。
廊下に出ると、ちょうど独房から出てきた例の若作り検事とすれ違った。デニア・メイガンとか言ったっけ。キブルはへりくだった物腰で近づき、話しかける。
「どうも、お疲れ様です、デイアさん……尋問の首尾はいかがです? 」
「どうもこうもない。何一つ、まともなことを言わん」
うんざりした顔で、デニアはがっしりした肩をすくめた。
「自分は殺していない、何があったかも分からないの一点張りで、ヒマさえあればくだらない冗談を挟みたがる。まともに話も出来んようなありさまだ。私が白髪染めを使っているかどうかだの……まったく、時間の無駄だった」
あたしは吹きださないように苦労した。たまには、あたし以外の誰かがあのうろこ面のクソ冗談に付き合わされるのを見るのも悪くない。キブルは焦った顔であたしにしきりと「黙ってろ」と目配せしている。それに気づかず、デニアは首を振りながら言葉を続けた。
「まったく、これだから亜人は仕方ない。人間よりも一段落ちるからこそ、ヒト以下の「亜」人と呼ばれているのだろうがな。相手をするのにも一苦労……」
キブルの顔色が変わった。あたしの顔色も……自分じゃわからないが、多分変わっているんだろう。ちょっとだけ諦めの混じった恐怖の表情を浮かべてキブルが目の前に立ちはだかるのを、一瞬だけ見た。
その顔は、次の瞬間、廊下の遥か向こうに消し飛んでいた。
「な、何だ……」
恐怖に歪むデニアの首に、今さっきキブルを突き飛ばしたあたしの腕が伸びる。くそいまいましい血筋の賜物、猿人の腕力。その両手が、相手の太い首を掴み、難なく吊り上げた。
「……亜人が、何だって? 」
デニアの顔が見るみる紫色に変わっていく。磨き上げられた革靴が宙に浮き、空しく空気を蹴る。死に向かうバタ足だ。両手はあたしの両腕を弱々しく掴むが、腕を引きはがせるほどの力など残っているはずもない。あたしは怒りのままに、デニアの首を締め上げ続けた。
「やめろ、この……バカめ! 」
引きつった叫び声とともに、あたしの体に硬いものが激突した。廊下の隅に置いてあった、観葉植物の鉢植えだ。肩を打たれてあたしは思わずデニアの体を手放した。デニアは、床の上で2、3度転がった後ぐったりとその場に横たわった。
「デニアさん! 大丈夫ですか!? 」
あたしに鉢植えを投げつけた相手――キブルは、叫びながらデニアに駆け寄った。デニアは咳き込みながらもなんとかキブルに助けを借りて起き上がった。
その頃には、あたしも幾分か冷静になっていた。興奮が冷めるとともに、鉢植えをぶつけられた肩が鈍く痛み出した。折れたりはしていないようだが、いくら頑丈な猿人の体とはいえ無傷というわけにはいかない。
「貴様……正気か!? バザールの運営委員に向かって! 」
唾を飛ばしながらキブルが叫ぶ。あたしは頭を掻き、目をそらした。
「……ま、ちっとは悪かったよ。元はと言えばそこの若作りが、バカなことを言いだしたからだけどさ。実際に手を上げたのはこっちが悪かった」
一応は譲歩したあたしを、デニアは涙のにじんだ目で睨み、かすれ声で言った。
「お前……そうか、マフィ・エメネスか。ケチな故買屋の。類は友を呼ぶというが、お前があの蜥蜴人間の雇った探偵だとはな」
「おやおや、あたしのことをご存じとは、光栄ですこと。知ってるなら、なんで自分がエラい目に遭ったかも想像できるよなァ? 」
あたしは恨めし気なデニアの瞳を、挑むように睨み返した。
「あたしの前で、亜人がどうだのこうだの言うのはやめろ。それと、もう1つ。今度の裁判は、ナァナァじゃ終わらせねえぞ。トカゲ一匹生贄にして事なかれで済ませようなんて、横着なことを考えてるんなら、諦めるんだね」
あたしはローブのポケットを探り、双子のようにこっちを睨んでいるデニアとキブルに向かって、丸めたバザール紙幣を投げつけた。
「鉢植えの弁償代だよ。せいぜい有難くとっときな。あたしがバザールにカネを出すなんて、滅多にないことなんだからな」




