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冷血探偵  作者: 曲瀬 湧泥
~ かくて幕は降り…… ~
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第4話(前)

 他人の整えたベッドで眠るというのは、いいものだ。


 独身生活が長いと、そう思うようになる。快適な一晩の後、私は爽やかな気分で目覚めた。窓から差し込む太陽苔の光さえ、色鮮やかに見える。

私に提供された12号室は、広くはないがいい部屋だった。ちゃんとベッドやタンスといった家具も揃っており、多少埃っぽいにおいはするが清潔だ。手入れが行き届いているのだろう。


 服を着て、食堂で朝食をとった後、外に出る。学生たちは早くも構内を行きかっており、たまに挨拶をされる。そのたびに、帽子を取って挨拶を返す。少々戸惑いを覚えるほどの居心地の良さだ。ずっとここに居座りたくなる。私にとっては、何の気兼ねもなく挨拶をされ、答えるということも特別なのだ――ことに、それが若い女学生だったりすれば。


 未練を振り払いながら、私は街へと出た。まずはアーキソン教授の依頼どおり、ハパールクの周辺を調べるつもりだった。まず、第3大隧道を統括する貿易ギルドの登記所へ向かう。外界と大きな取引をする場合は、その業種と大体の規模をここへ届け出るものだ。係員をさんざんアゴで使った後、ようやく目当ての情報を手に入れることが出来た。


 ハパールクが現在扱っているのは、主に食料品や衣料品といった生活物資らしい。年ごとの取引を年代順に並べると、現当主エヴロ・ハパールクに代替わりした後タバコから日用品へシフトし、現在ではほぼ9割が生活物資となっていた。が、取引額自体は年々減っている。事業が行き詰ってきているのだろう。

 鳥力車(ちょうりきしゃ)の御者が今の当主を「バカ息子」と称したのも、まんざら理由がないことではなかったのだ。大竪穴の黎明期ならともかく、現在の大竪穴では農業も牧畜も行われており、最低限の生活実用品なら竪穴内でまかなえるようになっている。生活物資を輸入する意義がなくなってきているのだ。そこを読めず、時代に逆行して嗜好品から日用品輸入へ転換してしまった――明らかに失敗である。


 私はついでにハパールクの現住所を調べてから、登記所を後にした。

さて、ここからが問題だ。ハパールクの経済状態が噂通り芳しくないのは分かった。問題は、それを知った上でどう彼に近づくかだ。それも、本来の目的を隠し通したうえで。


 あれこれ考えつつ、郊外にあるハパールクの邸宅へと向かう。周囲は高級住宅地といった趣で、広い庭を備えた外界様式の邸宅が立ち並んでいた。ハパールクの邸宅は、その中でもひときわ古く、ひときわ派手派手しい造りをしていた。屋根の雨樋には『うちびと』の魔神像を真似たものと思われる怪物の石像が飾られ、柱には契約印を模した装飾が施されている。いかにも、大竪穴の成金が立てそうな家だ。


 私は正門を避け、裏門に回った。門番小屋があり、ガラの悪そうな髭面の門番が噛み煙草をを噛んでいる。私は出来るだけ堅気の商人に見えるよう、服装を整えた。今日の服装は、濃紫のジャケットにレモンイエローのシャツ……まあ、色合いは地味な方だろう。ちょっと襟が大きいのが気になるが、無礼になるほどではあるまい。私は意を決して、門番の詰所へと歩を進めた。


「失礼、ちょっといいかな? 」


 門番は面倒くさそうに顔を上げ、黒ずんだ唾を吐くと、眠たげなだみ声で言った。


「ああ、何の用だァ、亜人野郎? 」


「商売の話だよ、人間野郎」


私は答え、歯を見せてにやりと笑った。門番は別に面白くもなさそうに、耳の穴をほじくった。


「主人に――ハパールク氏に取り次いでくれないかな? 私は古美術商なんだが、こちらのご主人が大層なコレクターだと聞いてね……商売の話をさせてもらえればと思って」


 門番は、胡散臭げに私の顔を見ている。


「おめぇが? ハッ、古美術商ってより、邪教の魔神像みてえなツラしてるくせによ」


「芸術品のような容姿、と言ってもらいたいものだね」


私はすました顔で言う。


「冗談はさておき、いかにも私は亜人だ。深層から来た――つまり『うちびと』文明の本場からだ。分かるかね、この意味が? 蛇の道はヘビと言うだろう。『うちびと』美術品の取引をするなら、亜人とやるのが一番いい。

 こんなうまい話をむざむざ断ったら、主人に怒られるんじゃないかね? 」


 門番の表情に、迷いが生まれた。私はしめたと思った。適当な嘘八百だが、目上に媚びへつらい目下に横暴なこの手の人種にはなかなか効く。


「ちょっと待ってろ……ハパールク様に聞いてくる」


 門番の男は詰所から出て、急ぎ足に屋敷へと向かった。私はその後姿を見送って、しばらくあたりを見回しながらその場で待った。広い庭は、外界の植物で華やかに飾られてはいたものの、ところどころに手入れの行き届かぬ箇所が目立った。花壇には深層に固有の雑草が生え始めているし、道に敷かれた玉砂利も禿げが目立つ。零落が忍び寄っているといった風情だ。

 時代の移り変わりというものを噛みしめながら景色を眺めていると、門番が仏頂面で戻ってきた。


「それで、どうだった? 」


 私が聞くと、門番はぶすっとした顔のまま、黙って親指で屋敷の裏口を示した。


「あー……通ってもいいということかな? 」


「……廊下を進んで突き当たりが、ハパールク様の書斎だ。早く、行きやがれ」


苛立ちを滲ませながらそれだけ言うと、門番は詰所に戻ってまた噛み煙草を噛み始めた。


「そりゃ、どうも。ありがとうよ、人間野郎。君だってなかなか男前だよ」


 私は帽子を上げて門番に別れの挨拶をすると、裏口を通って邸内に入った。

 邸内は薄暗く、どうにも陰鬱な雰囲気が立ち込めていた。外界様式の華美な窓からふんだんに光を取り入れているはずなのに、何故か照らしきれない暗がりがある気がする。廊下の隅や窓枠など細かいところに埃が溜まっている。私の気分まで落ち込んでくる。


 長い廊下の突き当たりに大きなドアがあった。門番の言葉を信じるなら、ここがハパールク氏の書斎だろう。もう一度身だしなみを確認してから、ノックをし、ゆっくりとドアを開ける。

 回転椅子に腰かけた男が、こちらを振り向いた――思っていたより若い、いや、幼い。髪にちらほらと白いものが混ざってはいるものの、顔立ちは丸っこく、皺も少ない。目は無垢と猜疑心とを併せ持つ淀んだ色をしている。


「ああ、君か、深層の古美術商というのは」


言いながら男は立ち上がり、右手を差し出した。


「私がハパールク――エヴロ・ハパールクだ」


「どうも。空中市場から参りました、古美術商の……」


私はふと気づく。名前を考えていなかった。別に本名を名乗ってもいいのだが、後のことを考えると偽名の方が何かと安心だ。私はとっさに言葉を継ぎながら、ハパールクの手を握った。


「エメネス。そう、エメネスと申します」


「わざわざ遠いところからお出でいただき、光栄ですよ、エメネス殿」


 ハパールクは気のなさそうな笑みを浮かべた。とりあえず会ってみることにした、程度の熱意に見えるが、果たして本心かどうか。余裕のあるところを見せて、取引を有利に進めようというハラかもしれない。探りを入れてみるか。


「私は主に深層で仕事をしているのですがね、今度上層まで取引の場を広げようと思いまして。こちらのご主人が有名な古美術愛好家でいらっしゃると伺いましたので、まずはご挨拶をと」


「それは、どうも……」


相変わらずハパールクの反応は薄い。椅子に戻り、鈍重な動きで回転いすに寄りかかる。


「しかし、収集家だったのはむしろ父のほうでね。私も古美術は好きだが、今さらあれこれ買い集めようとは思っていないのだ」


「……なるほど、ねえ。買い集める方には、興味がないと。いや、それは残念なことで」


 私は適当に相槌を打ちつつ、横目で書架を盗み見た。なかなかバラエティに富んだ、充実した蔵書だ。『うちびと』関連の古書で、主要なところが揃っている。しかし……私は目を細めた。奇妙だ。

 例えば、『火の神の祭』が書架にある。これは『うちびと』が書き残した随筆集で、旅行記だ。火の神を信仰する地域を歩いてその風習を書き記した作品である。だが、同じ作者の続編『炎を見る人々』は書架にない。この二作品はお互いに内容を補完しあっており、収集家なら併せて持っておきたい品である。印刷技術が発達したころの本で、部数が出ているため入手難度も低い。古くから収集家として知られる先代のハパールクが、それを揃えていなかったとは考えづらい。


 書架のコレクションは一見そうそうたるものだが、よく見ると『炎を見る人々』のような歯抜けがところどころに見受けられるのだ。先代ハパールクのコレクションにしては、これはどうにも不自然だ。とすれば――

 私は少々カマをかけてみることにした。


「しかし、何もお売りするだけが私の商売じゃありませんからねえ。先代様のコレクションは、それこそ第3大隧道に響き渡るほどの規模だと伺っております」


「ああ、まあ、ね」


ハパールクの言葉は相変わらずそっけない。が、私はその声に、押し隠した不安を聞き取った。もうひと押しだ。


「例えば、この書架だけとっても私などには、もう垂涎の品ばかりでして。例えばこの、『火の神の祭』……惜しむらくは、これで『炎を見る人々』が揃っていれば、もっと価値が上がったのですがね」


 ハパールクが椅子の上で身じろぎをした。表情が徐々に強張っていく。


「それは、本当か? 」


「ええ。その2冊は同じ作者のもので、セットでお求めになる方が多いものですから、揃っていると価値も上がるので……どうか、されましたか? 」


 ハパールクの顔は、怒りと屈辱でみるみる赤黒く染まっていった。やはり、と、私は心中ほくそ笑んだ。予想通りだ。

 エヴロ・ハパールクは、金に困って父のコレクションを一部売りとばしたのだ。が、知識が足りなかったためにセットの片割れだけを先に手放してしまった。書架に見える歯抜けは、その痕跡なのだ。


 これはかなり困った事態だ。ハパールクが蔵書を売る気になっているというのは悪くないニュースだが、実際に売り始めているとなるとまずい。つまり、肝心の『写本』もいつ売り飛ばされるか分かったものではないということだ。闇のマーケットなどに流れれば買い戻すのは一層困難になる。なんとかその前に、写本を手に入れる算段をつけなくては――私が思案していると、その沈黙を何か別の意味に解釈したらしく、ハパールクが不安げな顔で口を開いた。

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