第3話(後)
「どうか、しましたか? 」
唖然とする私を見て、シエラは不思議そうに聞いてきた。
「あ、いや、何でもないんだ……」
私は慌てて愛想笑いを浮かべる。
さて、少々面倒なことになった。まさかこの娘が、アーキソン教授の論敵だったとは。どうするべきか? 一応アーキソン教授は、話を聞いてもいいと言っていた。しかし、ついさっき「研究協力に来た」などとウソをついておいて、即座にひるがえすというのも抵抗がある。それに、アーキソン教授のことに言及しない方が、率直な意見が聞けそうだ。
私はしばらく黙っておくことにした。
「その若さで研究員とは立派だと思ってね。私が君くらいの頃は、古代語の翻訳で小銭を稼ぐくらいがせいぜいだったのに」
「いえ、そんな……」
シエラは慌てて手を振った。
「私なんか、そんな……ただ、ジョルダンスン教授の計らいなんです。いつまでも学生をさせておくより、研究員として仕事をさせた方が当人のためだっていうのが、教授の持論ですから」
私は頷いた。ジョルダンスン教授は後進の育成にもフットワークが軽い。私も、私立探偵を止めて研究者にならないかと誘われたくらいだ。
「講堂や寮が改築されたのも、外界のアカデミー本部理事会に教授が働きかけてくれたのが大きいんです……あっ、ほら、見えてきました。あれが今の学生寮ですよ」
見ると、赤レンガ造りの堅牢そうな建物がどっしりと立っていた。外界様式の2階建てで、装飾は少ないが丁寧な造りだ。簡便さを重視する大竪穴の様式とは、一見して違う。
「こりゃ、立派なもんだ」
私が唸ると、シエラは嬉しげに笑った。
「ちょっと、もったいないくらいですよね? 立派すぎて」
「何と言うか、感慨深いな……大竪穴研究も、ここまで外界に認められるようになったのか」
大竪穴の踏査が始まったころは、遺跡といえば財宝目当てに潜る場所であり、学術的な研究を志す者は酔狂人扱いされていた。そんな無理解と資金難の中、ジョルダンスン教授やアーキソン教授ら黎明期の研究者は細々と研究を続けていたのだ。私が第3大隧道に居た頃も、そういった気風は色濃く残っていて、外界のアカデミーからも研究成果はほとんど無視されていた。
それが今や……思いながら、これでは若者に昔話を得々として語る年寄りだなと思い、黙る。私だって、気の利かない野暮なオジサン扱いはされたくない。ことに、若い女性には。感想は控えめにして、私は事務的なことを先に片づけることにした。
「まず、寮監に会いたいんだが」
「それだったら、こちらに事務局があります。私もついて行きますから」
私はシエラに連れられて建物に入り、広い玄関を通って、角の事務局に向かった。
寮の内装は、外界様式の重厚さと大竪穴様式の飾り気ない実用性が組み合わさった、落ち着いた雰囲気だった。事務局の中には、白髪頭の老婦人が一人座っていた。老婦人――だろう、おそらく。ものすごく巨大だが。
長机の前に座っているが、机が小さく見えるほどの巨体だ。黒っぽいドレスに身を包み、荒縄のような白髪を後ろでギュッとひっ詰めている。たくましい猪首の上に乗った顔はまるまると太り、下顎からはぐっと突き出た2本の牙。明らかに、巨猪人の女性だ。それも、かなり人種的特徴が顕著に出ている。
「こちらが、寮監のハウプさん。ハウプさん、こちら、ベク=ベキムさん。研究協力のために呼ばれて、こちらに滞在するということで……」
「お話は、伺っております」
ハウプと呼ばれた巨猪人の老婦人は、ビリビリと響くバリトン・ボイスで答えた。答える時、一瞬だけシエラに目をやった。
「いついらっしゃっても良いよう、お部屋を用意しておけと言われておりますのよ、その……」
何やら煮え切らないその口調から、私は察した。シエラの前で、アーキソン教授の話を出すことを憚っているのだ。私はすかさず、彼女に目配せしながら答えた。
「ええ、ありがとうございます。少々長い滞在になるかもしれませんが、よろしいでしょうか? 」
「構いませんよ」
ハウプは私の目配せに目で答え、頷いた。
「どうせ、空き部屋はまだありますから。ご用意したのは2階の12号室ですけど、何か不都合があったらおっしゃってくださいまし。食事は、朝昼晩と寮の食堂が開きますけど、外で食べていらっしゃっても構いません。これがお部屋の鍵です」
ハウプは机の引き出しから金色の鍵を取り出し、私に手渡した。
「何か、ご質問は? 」
「そうですね……一つだけ」
私は一本指を立て、ハウプの方へ顔を突き出しながら聞いた。
「面と向かって聞くのもなんですが、ちょっと議論になったもんでね……率直に言って、私の顔って、どうです? これでも自分では男前だと思ってるんですが」
ハウプは戸惑う様子もなく、まじまじと私の顔を眺め、真面目くさって答えた。
「親しみやすい顔だと、私は思いますよ。子供の時分に飼っていたトカゲに、よく似ていて」
後ろでシエラが吹きだすのが聞こえた。私は肩をすくめ、帽子を持ち上げてハウプに別れの挨拶をし、事務局を出た。
廊下に出て、私はシエラの方へ振り返り、言った。
「ここまでありがとう、シエラ。助かったよ。それで、お礼と言っちゃなんだが、この後時間あるかな? 食堂が開いてたら、コーヒーでもおごりたいんだが」
「それは結構ですけど……ご迷惑じゃないですか? お疲れでは? 」
私は歯を剥きだして笑った。
「迷惑どころか……分からないかな、口説いてるんだよ、君を」
シエラはしばらくきょとんとした顔をしていたが、やがて吹きだした。
「すいません……でも、噂通りの方ですね」
シエラはくすくす笑いながら言う。
「みんな言ってました。ベキムさんは、冗談好きな人だって」
「そう、そうさ。冗談好きでね、私は。いつだって言ってるんだ」
私は苦笑いしながら言った。こういう評判は、本当に困る。
ともあれ、私たちは一階の食堂へと歩いて行った。昼の中途半端な時間とあって、席に座っている者はまばらだった。奥のカウンターで2人分のコーヒーを頼むと、私とシエラは適当なテーブルに向かい合って座った。
「そういえば、まだ聞いていなかったが……今は何を研究しているんだい? 」
私はさりげなく、本題を持ち出した。ここで例の写本について、シエラの側からもいくらか聞き出しておこうという算段だ。シエラはコーヒーを吹いて冷ましながら答えた。
「神話と、文学について――特に最近は、イユル=ゲマフのことが中心ですね。ジョルダンスン教授の弟子ですから」
シエラは誇らしげに言う。本当に、ジョルダンスン教授のことを慕っているのだ。私に何かと親切なのも、私が教授の知り合いだからというのが大きいのだろう。一抹の寂しさを覚えながらも、私はさらに質問した。
「イユル=ゲマフというと、なかなか難しい研究対象だね。一次資料が少ないだろう? 『イユル=ゲマフの歌』の全文が見つかっているのは、まだしも救いだが……」
「あれは……! 」
シエラの表情がこわばった。言っていいものかどうかという迷いと、それを上回る強い感情が、瞳の中でうごめいている。やがてシエラはゆっくりと、しかし確信に満ちた口調で話し始めた。
「今、『イユル=ゲマフの歌』とされている写本――あれは、後世の偽書だと考えています。
発見当初は、まだ大竪穴自体の踏査が進んでいなかったから、比較研究が出来ていなかったんです。それで、みんな書いてある通りを信じ込んでしまった……でも今、詳しく調べていくと、いろいろと矛盾点が見つかるんです。
まず、材質。『イユル=ゲマフの歌』とされる全文写本は、地底パピルスの紙をドクイバラの縄で綴り合わせてあります。製紙の方法も、綴り方も、古代『うちびと』様式を忠実になぞっている。けど、そもそも材料の組み合わせがおかしいんです。
ドクイバラは深層のどこにでも見られる植物ですけど、唯一生育しない場所が地底パピルスの群生地なんです。地底パピルスは地下茎を伸ばして群生を作る際、その地下茎から分泌物を出して、他の植物の生育を阻害します。だから、この2つが同じ場所で書物の材料になるなんて、不自然なんです」
「それは、どうだろうな? 古代『うちびと』社会にだって、交易はあっただろう。神を讃える書物に特別な材料を使うというのは、別段考えられないことじゃない」
私の反論に、シエラは勢い込んで答えた。
「まだ、理由はあります。内容面――写本に書かれている内容は、一種の叙事詩です。神々の名が並べられ、それぞれにイユル=ゲマフが恩恵や刑罰を与えていく。一見すると、イユル=ゲマフの偉大さを讃えている神話として違和感がないように見える。
でも、おかしくないですか? イユル=ゲマフは忘れられた神で、今まで遺跡さえ見つかっていない。そんなに古い神が、神殿が残っているような新しい神と並べて記述されるものでしょうか? 」
「……それも、今の段階では何とも言えないな」
私はコーヒーを飲みながら、冷静に答えた。
「イユル=ゲマフの神殿は確かに見つかっていない。だが、まだ踏査されていない深層で見つかる可能性もある。当然、比較的新しい神の神殿と並んで信仰されている痕跡も、見つかるかもしれない。どの神の歴史がどこまで遡れるか、今までの調査ではまだ分からないんだから。
それに、仮に『イユル=ゲマフの歌』が新しい神の時代に書かれたものだったとしても、だ。それはそれで、重要な資料になる。新興の神々にとってかわられた後も、イユル=ゲマフを信仰しその偉大さを讃える者たちは残っていた――その証拠としてね」
シエラはぐっと詰まり、必死に反論を考えている様子だったが、口を開きかけたところではっと我に返った。
「ご、ごめんなさい。私ったら、つい興奮して……議論を吹っかけるつもりなんて、なかったんですけど」
「いやァ、楽しいもんだよ、アカデミックな会話ってのは。若い娘さんが相手なら、特にね」
私が笑うと、シエラはますます恥ずかしそうに顔をうつむけた。
「ちょっと今、論文のことで行き詰っているというか……一人、私の論文にものすごく反発されている教授がいて。今は下の階層へ出張してるんですけど、それまでは毎日のように今みたいな議論を繰り返してて、正直、疲れてるんです」
シエラは控えめに微笑んだ。その顔を見ていると、まさにその意地悪な教授――アーキソン教授に雇われている自分が、とんでもない大悪人のように思われてくる。私は心を鬼にして、コーヒーを飲み干した。
「仕方ないだろうね。資料の真贋というのは重大な問題だ。一人の学者の立場を危うくしかねない。手を出すなという事ではないが、慎重にやるに越したことはないよ」
「もちろん、そのつもりです。とことんまで調べるつもりですから」
屈託のない笑顔でシエラは笑った。罪悪感は強くなる一方だったが、今さら後へは引けない。私はついでに、もっと情報を引き出すことにした。
「ところで、その写本だが、なんでもアカデミーにはないんだって? どこかの商人が持っていると聞いたが……」
「ああ、ハパールク氏のことですね」
シエラは答え、困ったような顔をした。
「先代の頃は、研究にも積極的に協力してくださっていたらしいんですが、今の代になったら、急に写本の貸し出しを渋るようになられて……自由に研究が出来なくて、困っているんですよ」
「フーム……? 」
私は顎をひねった。何か、写本を持ち出されたくない理由でもあるのか? いずれにしろそういう事では、写本の実物に近づくのは難しそうだ。多少、策を講じなければならないだろう。色々と思案しながら私は立ち上がった。
「いや、楽しい時間を過ごさせてもらったよ。私はそろそろ、部屋へ上がって休むとしようかな。君は、この後? 」
シエラはにっこり笑って、コーヒーカップを置いた。
「私はまた研究室に戻って、周辺資料の整理をします。一刻も早く、論文を完璧に仕上げたいですから」
私も笑みを返した。依頼人を裏切るのは探偵として最悪の行為だが、今度ばかりは、依頼人より目の前の若き学者を応援したい気分だった。




